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2010/10/16

芥川龍之介「江南游記」「二十八 南京(中)」の「高跳動(カオチヤオトン)」解明

芥川龍之介「江南游記」の「二十八 南京(中)」に出る「高跳動(カオチヤオトン)」の正体を解明した。

旧来、未詳とされていたもの(筑摩全集類聚版脚注の『竹馬にのって踊りをするのか。』という推測は正しい)であるから、特にここにも掲げておく。

・「高跳動(カオチヤオトン)」“gāotiàodòng”であるが辞書にもなく、検索にも掛からず、筑摩全集類聚版脚注が『竹馬にのって踊りをするのか。』とするのみで、新全集の神田由美子氏注では注さえない。今回、中国通の知人の二人の協力を得て、遂に解明出来た。これは正しくは「高蹻戲」“gāojiăoxì”(ガオチャオシ)若しくは「高脚戲」“gāojiăoì”(ガオチャオシ)である。大正15(1926)年に書かれた青木正児著劉延年図「北京風俗図譜」の解説本平凡社東洋文庫「北京風俗図譜2」(1964年刊 内田道夫解説)の「伎芸第八」に、「道化芝居、竹馬芝居(秧歌戯〔高脚戯〕」として以下の記載がある。青木氏の著作権は存続しており、画師である劉延年の著作権も存続している可能性があるが、現在まで『不詳』とされてきたこの項目を、多くの方に認識して頂くという公益性を重んじて敢えて以下に全文と3枚の画像を示す(万一、著作権侵害を申し立てられた場合は、画像を削除し、引用を部分引用にする意志はあるが、本件に関して言えば、その全体の引用が本件注釈としては不可欠と判断され、それがかの芥川龍之介の「江南游記」の注としてならば、私は青木氏も許容して頂ける引用範囲内にあると考えている。なお、3枚の内の1枚は同書に参考として掲げられている「鴻雪因縁図記」の画像であるが、これは麟慶(1791~1846)の書で既に著作権は切れている)。内、最初のカラー版は友人の所有になる「北京風俗図譜」彩色図版の同一画像である。彩色の美しさが少しでも分かって頂けると嬉しい。なお、ルビの拗音は私が勝手に判断したものである。

Gaotyaosi

Gaotyaosi2

 《引用開始》

 秧歌(ヤンコ)はがんらい田植や収穫の時に歌われる民謡であったが、化装をともなった秩歌戯(ヤンコシー)(道化芝居)に発展して、お正月の農民の遊びとなった。高蹻戯(カオチャオシー)(高足駄)もやはりお正月の演技として各地に行なわれる。十二人または十人を一組とし、化装して足に高蹻(カオチャオ)(高脚(カオチャオ))―竹馬をつけて巧妙に演技する。その構成は(図向かって右より前へ)漁翁(りょうし)、武扇(扇をもった男子)、文扇(扇をもった女子)、小二格(シャオアルコ)(花籠をさげた子供)、大頭和尚、俊鼓(太鼓を打つ美男)、丑鑼(銅鑼を打つ醜女)、俊鑼(銅鑼を打つ美女)、丑鼓(太鼓を打つ醜男)、海女、膏薬売り、樵夫の十二人で、十人のときは海女と膏薬売りがぬける。北京の北郊妙峯山の縁日のときは、高蹻戯(カオチャオシー)が賑やかに上演されるが、これを秧歌(ヤンコホイ)と称している。
 湖北省にも同じくこの風が行なわれ、小丑(シャオチョウ)という道化役が手に一尺ほどの竹筒をもち、これを振ると筒の中の一文銭が高い響きをたてる。竹筒を連番(リェンシャン)といい、この道化役を打連香(ダーリェンシャン)という。あるいは銅の簡を用い、中に金環をいれて振る。古く雑劇に列せられた「打連廂(ダーリェンシャン)」の遺響であるという。児童が女性に扮して、指さきで筒をまわして音を出し、顔にのせて眉間より鼻の先に落として見せる。また眉間のところで筒をまわしながら、左手に拍板を鳴らし、右手に扇を舞わせて歌を歌ったりする。
 高脚戯の装束が何を意味するのか、よく分らないが、十二人はいずれも妖怪変化で、大頭和尚は蛤蟆(がま)、小二格は蝎虎子(やもり)の精というように、端午節に演ずる『混元金(フンユアンホ)』の芝居をまねたのだともいう。
 演技は仰向けにひっくりかえって見せたり、腰掛を飛びこえたり、一本脚で跳びまわったり、二人が相手の一部を持ちあったり、肩を組んだりして駈けまわる。高蹻(カオチャオ)(竹馬)は木の棒で作り、下端には鉄のたが、または釘をはめ、棒の中程のところに足がかりの板をつけ、その上に出た棒の部分を足に縛りつける。その由来はたいへん遠く、『列子』説符篇に「宋に蘭子というものあり、技をもって宋元君に干(もと)む。……雙枝の長さその身に倍するものをもって、その脛(すね)に属し、並びに趨(はし)り、並びに馳す」という。くだって宋の都杭州のことを述べた『武林旧事』巻二にも舞隊の中に踏※の名が見える。(『支部民俗誌』二巻二篇)[やぶちゃん字注:「※」=「距」-「巨」+「堯」。以下の「※」も同じ。]
[やぶちゃん注:ここに有意な行空きがある。]
 清時代の麟慶の『鴻雪因縁図記』(三集上)には山東臨清県の運河ぞいの縁日の賑わいを述べ、
[やぶちゃん注:ここに有意な行空きがあり、以下の同書からの引用は底本では全体が二字下げである。ここではブラウザ上の不具合を考え、字下げを行っていない。]
四月十八日は碧霞元君(泰山の神)の聖誕と伝え、遠近数百里の郷民争って来たり社火(まつり)の会をなす。百貨つぶさに衆まり百戯つぶさに陳(つら)ぬ。しかして独り脚高※もっとも奇絶となす。蹬壜(かるわざ)、走索(つなわたり)、舞獅(ししまい)、耍熊(くなつかい)精妙ならざるはなし。
[やぶちゃん注:ここに有意な行空きがある。]
 と記している。いずれも農村娯楽の古い歴史につちかわれてきた演技である。

 《引用終了》

Kusetu

上に掲げたのが、清の麟慶『鴻雪因縁図記』の該当図絵である。ここで芥川に話しかけている五味君は日本人であるから、中国語の発音の類似と、恐らくはその動きから、このような和製中国語を造ったものか、若しくは南京の方言で「高蹻戲」を実際にこう言ったのかも知れない。

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