やぶちゃん版編年体芥川龍之介歌集 附やぶちゃん注 柳田國男氏に 注追加
芥川龍之介の書簡を読んでいるうちに新しい発見をし、「やぶちゃん版編年体芥川龍之介歌集 附やぶちゃん注」の「柳田國男氏に」の一首に注を増補追加した。以下に「柳田國男氏に」全体を示す。追加したのは後方の注の最後の書簡部分である。
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柳田國男氏に
君が文を鐵箒に見て思へらく吾(あ)もまた「けちな惡人」なるらし
[やぶちゃん注:「鐵箒」は「てつさう(てっそう)」と読む。当時の『東京朝日新聞』に最初に作られた投稿欄の名前である。当初は記者が書くコラムとして大正8(1916)年に始まったが、翌大正9(1917)年には一般読者投稿も採用し始めた。現在の「声」に相当するものであるが、ネット上で該当欄の画像で形態を見、また内容を読んでみると、寧ろ現在の記者が書く「天声人語」と同じと言った方がいい、内容的にも高度に優れたものであることが分かる(以上は2000年度立命館大学産業社会学部朝日新聞協力講座ニュースペーパーリテラシー第9回「新聞との関わり」の「声」編集長の北村英雄氏の2000年11月30日の講演記事を参照した)。「けちな惡人」という柳田の該当記事は大正15(1926)年12月2日付『東京朝日新聞』の「鐵箒欄」に掲載された記事の標題である。柳田國男の新版全集には収録されているが、残念なことに私は旧版を元に編集された文庫版しか所持しておらず、職場の図書館の所蔵も旧全集で当該評論を読むことは出来なかった。その内、読む機会があれば芥川龍之介が「けちな惡人なるらし」と言った真意を究明すべく、その梗概を提示しようと思っている。]
しかはあれ「山の人生」はもとめ來ついまもよみ居り電燈のもとに
[やぶちゃん注:「山の人生」は大正15(1926)年2月に郷土研究社から刊行された柳田民俗学の核心に触れる記念碑的著作で、「遠野物語」に刺激された彼が、山中異界へと本格的に旅立った最初の作品である。なお、大正15(1926)年12月2日附柳田國男宛書簡(葉書・鵠沼から発信)にこのカタカナ表記のこの二句(「吾」を「ア」とする点が異なる)を含む三首が載っているので以下に示す。
君ガ文ヲ鐵箒ニ見テ思ヘラクアモマタ「ケチナ惡人」ナルラシ
シカハアレ「山ノ人生」ハモトメ來ツイマモヨミ居リ電燈ノモトニ
足ビキノ山ヲ愛(カナ)シト世ノ中ヲ憂シト住ミケン山男アハレ
十二月二日夜半
歌トハオ思ヒ下サルマジク候
芥川龍之介よ、悪いな、歌として採るよ。]