芥川龍之介 越びと 旋頭歌二十五首 一首 注増補追加
芥川龍之介の書簡を読んでいるうちに新しい発見をし、「やぶちゃん版編年体芥川龍之介歌集 附やぶちゃん注」の「越びと 旋頭歌二十五首」の一首に注を増補追加した。以下に示す。
これは「無知も甚だしいエッセイ池内紀「作家の生きかた」への義憤が芥川龍之介の真理を導くというパラドクス」で紹介した池内氏が片山廣子の夫と勘違いした人物である。そちらにもこれを追加配置した。
腹立たし身と語れる醫者の笑顏(ゑがほ)は。
馬じもの嘶(いば)ひわらへる醫者の齒ぐきは。
[やぶちゃん注:「馬じもの」の「じもの」は接尾語で名詞に付いて「~のようなもの」という意を表す。「あたかも馬のように」の意。この人物は恐らく岩波版旧全集書簡番号一三六二の大正14(1915)年8月29日附塚本八洲(妻文の弟。結核で長い闘病生活を送った)宛書簡に登場する後者の歯科医であろう。以下にその軽井沢からの書簡の一部を示す。
目下同宿中の醫學博士が一人ゐますが、この人も胸を惡くしてゐたさうです。勿論いまはぴんぴんしてゐます。この人、この間「馬をさへながむる雪のあしたかな」と云ふ芭蕉の句碑を見て(この句碑は輕井澤の宿(シユク)のはづれに立つてゐます)「馬をさへ」とは「馬を抑へることですか?」と言つてゐました。氣樂ですね。しかし中々品の好い紳士です。それからここに別荘を持つてゐる人に赤坂邊の齒醫者がゐます。この人も惡人ではありませんが、精力過剰らしい顏をした、ブルドツクに近い豪傑です。これが大の輕井澤通(ツウ)で、頻りに僕に秋までゐて月を見て行けと勧誘します。その揚句に曰、「どうでせう、芥川さん、山の月は陰氣で海の月は陽氣ぢやないでせうか?」僕曰、「さあ、陰氣な山の月は陰氣で陽氣な山の月は陽氣でせう。」齒醫者曰「海もさうですか?」僕曰「さう思ひますがね。」かう言ふ話ばかりしてゐれば長生をすること受合ひです。この人の堂々たる體格はその賜物かも知れません。僕はこの間この人に「あなたは煙草をやめて何をしても到底肥られる體ぢやありませんな。まあ精々お吸ひなさい」とつまらん煽動を受けました。
「惡人ではありませんが」と断っているが、如何にも生理的に不快な相手であることが髣髴としてくる音信で、本歌の「腹立たし」「馬じもの嘶ひわらへる醫者の齒ぐき」が美事にダブって来るように思われるのである。]
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