耳嚢 巻之三 老耄奇談の事 [R指定]
「耳嚢 巻之三」に「老耄奇談の事」を収載した。
本話柄はその内容と注釈にかなり強烈な性的内容を含む。自己責任でお読み戴きたい。
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老耄奇談の事
藤澤某といへる老士ありしが、おかしき人にてありし。或時つくづく思ひけるは、我等若き時よりあらゆる事なして、凡(およそ)天地の内の事なさゞるといふ事なけれど、童の比(ころ)より人と念友の交りなして若衆に成(なり)し事なけれ、いかなる物なるやと思ひけれど素より醜の上衰老なしぬれば、いか成(なる)那智高野の學侶也とも其譯賴みてなすべきといふ者もあるまじと、風與(ふと)思ひ付てはりかたといへるものを求て、春の日縁頰(えんづら)に端居して我身(おのづ)と其業なしけるに、衰老の足弱りして腰をつきけるに、肛門中へ根もと迄突込わつといふて氣絶なしけるを、彼聲に驚き子供娘など駈集りて見しに、氣絶なして尻をまくりて其樣あやしければ、醫師よ藥と騷ぎけるが、風與赤き紐の尻をまくりし脇に見へし故、彼是と糺しぬれば右の始末ゆへ驚て引出し、藥などあたへて漸(やうやう)に氣の附しが、かゝる譯と語られもせず、聞(きか)ん事も如何と、いづれも驚(おどろき)しうちにも笑ひを含みけると也。
□やぶちゃん注
○前項連関:時節を得、ツボを得ての出世から、尻のツボに張形で私の勝手な連関。ただ先の話柄の登場人物達――大名と家士そして神山某の三者(神山の養子も含めてもよい)――には、何やらん、念友の匂いが仄かに漂っているような気がするから、その連関との謂いなら、賛同して下さる方もおられよう。
・「念友」広義には男同士が男色関係を結ぶことを言うが、厳密には狭義の「念者」を指し、兄分(立ち役・攻め役)を言う。
・「若衆」広義には「若衆道」と同義で男色全般を指すが、厳密には狭義の「若衆」は「念友」「念者」の反対語で弟分(受け役)を言う。やっと「衆道」の説明を書ける。満を持してウィキの「衆道」から引用する(記号の一部を変更した)。『衆道(しゅどう)とは、「若衆道」(わかしゅどう)の略であり、日本においての、男性による同性愛・少年愛の名称・形態。別名「若道」(じゃくどう/にゃくどう)、「若色」(じゃくしょく)』。『平安時代に公家や僧侶の間で流行したものが、中世以降武士の間にも広まり、その「主従関係」の価値観と融合したとされる』。『衆道の日本における最初の記録は、日本書紀の神功皇后の項にある。「摂政元年に昼が闇のようになり、これが何日間も続いた。皇后がこの怪異の理由を尋ねたところ、ある老人が語ることには、神官の小竹祝の病死を悲しんだ天野祝が後を追い、両人を合葬した「阿豆那比(アヅナヒ)之罪」のなせる業であるという。そのため墓を開き、両者を別々の棺に納めて埋葬すると、直ちに日が照り出した」との記述がある。ある説によれば、この「阿豆那比」こそが日本最古の男色の記述であるとする。また「続日本紀」には、天武天皇の孫である道祖王が、聖武天皇の喪中に侍児と男色を行ったとして廃太子とされた記述が見える』(この前者については私の電子テクスト南方熊楠「奇異の神罰 南方熊楠 附やぶちゃん注」の注釈で、「日本書紀」原文・書き下し文・現代語訳を施したしたものを既に公開している。是非、御覧あれ)。『日本への制度としての男色の渡来は、仏教の伝来とを同じ時期であるとされる。仏教の戒律には、僧侶が女と性交する事(女色)を忌避する「女犯」というものがあった。そのため、女色に代わって男色が寺社で行われるようになった(男色の対象とされた少年達は、元々は稚児として寺に入った者達である)。近代までの俗説的な資料によれば、衆道の元祖は弘法大師空海といわれている』。『平安時代にはその流行が公家にも及び、その片鱗は、たとえば複数の男性と関係した事を明言している藤原頼長の日記「台記」にうかがえる。また源義経と、弁慶や佐藤継信・佐藤忠信兄弟との主従関係にも、制度的な片鱗を見出す説もある』。『北畠親房が「神皇正統記」の中で、男色の流行に言及しており、その頃にも流行していた証拠とされている(室町時代においては、足利義満と世阿弥の男色関係が芸能の発展において多大な影響があったとされている)』。『戦国時代には、戦国大名が小姓を男色の対象とした例が数多く見られる。織田信長と前田利家・森成利(蘭丸)ら』(注が附され、『信長と森乱丸(蘭丸)の関係については異説ならびに異論もある』などとある)、『武田信玄と高坂昌信、伊達政宗と片倉重長・只野作十郎』(注が附され、『信玄と昌信、政宗と作十郎(勝吉)については一次史料である書状が現存している。ただし、高坂のものは該当する史料に改変の痕跡があり、近年では信玄との関係を疑問視されている』とある)、『上杉景勝と清野長範』(注が附され、『景勝と長範について記す史書は江戸時代になって成立したもので二次史料ではあるが、当時の長範の知行等の待遇や逸話などから考えると、景勝と長範が実際に男色関係にあった可能性もあると推論されている』とある)、『などが有名な例としてあげられる』(注が附され、『戦国時代の主従間の男色関係の中には、主君の主導によらないとされる関係もある。浮気を謝罪する内容である信玄から昌信へ宛てたとする手紙は、その一例である』とある)。『武士道と男色は矛盾するものとは考えられておらず、「葉隠」にも男色を行う際の心得について説く一章がある』。『江戸時代においては陰間遊びが町人の間で流行し、日本橋の葭町は陰間茶屋のメッカとして繁栄した。衆道は当時の町人文化にも好んで題材とされ、「東海道中膝栗毛」には喜多八はそもそも弥次郎兵衛の馴染の陰間であったことが述べられており、「好色一代男」には主人公が一生のうちに交わった人数を「たはふれし女三千七百四十二人。小人(少年)のもてあそび七百二十五人」と書かれている。このように、日本においては近代まで男色は変態的な行為、少なくとも女色と比較して倫理的に問題がある行為とは見なされず、男色を行なう者は別に隠すこともなかった』。『しかし江戸時代後半期になると、風紀を乱すものとして扱われるようになり、米沢藩の上杉治憲が安永4年(1775年)に男色を衆道と称し、風俗を乱すものとして厳重な取り締まりを命じていたり、江戸幕府でも寛政の改革・天保の改革などで徹底的な風俗粛清が行われると衰退し始めた』。『幕末には一部の地域や大名クラスを除いては、あまり行われなくなっていき、更に明治維新以降にはキリスト教的な価値観が流入したことによって急速に異端視されるような状況となるに至った』(最後の記載には「要出典」要請が示されている)。『明治6年(1873年)6月13日に制定された「改定律例」第266条において「鶏姦罪」の規定が設けられ、「凡(およそ)、鶏姦スル者ハ各懲役九十日。華士族ハ破廉恥甚ヲ以テ論ス 其鶏姦セラルルノ幼童一五歳以下ノ者ハ坐(罪)セス モシ強姦スル者ハ懲役十年 未ダ成ラサル者ハ一等を減ス」とされ、男性同士の性行為が法的に禁止されるに至った。この規定は明治13年制定の旧刑法からは削除されたが、日本で同性愛行為が刑事罰の対象とされた唯一の時期である』とある。以下、「用語」集。
《引用開始》
陰子(かげこ)―まだ舞台を踏んでいない修行中の少年俳優。密かに男色を売った。
陰間(かげま)―売春をする若衆。
飛子(とびこ)―流しの陰間。
念此(ねんごろ)―男色の契りを結ぶ。
念者(ねんじゃ)―若衆をかわいがる男役(立ち側ないし攻め側)。兄分とも。
若衆(わかしゅ/わかしゅう)―受け手(受け側)の少年、若者。
竜陽君―陰間の異称。由来は魏の哀公の寵臣の名。
《引用終了》
・「風與(ふと)」「縁頰(えんづら)」は底本のルビ。
・「那智高野の學侶」諺に「高野六十那智八十」とあり、女人禁制の高野山や那智山にては男色が盛んであるが、稚児の補充が滞りがちになるため、六十や七十の老人になっても小姓役(女役)を勤める者があるという意。かつて経や仏典の用紙として用いられた高野紙は六十枚を以って、また同じく那智紙は八十枚を以って一帖(じょう)と成したことに引っ掛けたもの。
・「はりかた」張形。擬似陰茎。以下、ウィキの「張形」より一部引用する。『張形(はりかた、はりがた)とは人体の性器を擬したもののこと。現代の性具としてはディルド(ー)(Dildo)またはコケシと呼ばれ、勃起した陰茎と同じか少し大きめの大きさの形をしたいわゆる大人のおもちゃである。電動モータを内蔵し振動するものを「バイブレーター」(略して「バイブ」)、または「電動こけし」と呼ぶ』。『日本では特に男性外性器の形のものをさすことが多い。陽物崇拝では、子孫繁栄を願ったお守りとしても用いられた。現在の日本でも、木製の巨大なモノが神社に祭られている場合もあり、神奈川県のかなまら祭(金山神社・別名「歌麿フェスティバル」・英語名「Iron Penis Festival」)は日本国外にも奇祭としてよく知られ、毎年4月第一日曜日には日本のみならず欧米からも、梅毒やエイズの難を避ける祈願で観光客を集めている』。『この他にも地域信仰で体の悪い所(手足や耳・鼻といった部分)を模した木製の奉納物を神社に収める風習も見られ、古代のアニミズムにその源流を見出す事ができる。これらの人体の模造品は、その機能を霊的なものとしてシンボル化したり、または霊的な災い(祟り)による病気を代わりに引き受けてくれるものとして扱われた』。以下、「性具として」の張形について。「鼈甲製の張形」は『性的な道具として実用に供する張形は、現代では「こけし」または「ディルド」と呼ぶことが多い』。以下、「歴史的用途」という項。『男性が自身の衰えた性機能(勃起力)の代用や性的技巧として女性に用いる。勃起機能は男性アイデンティティの根底にあるため、類似する物品は世界各地・様々な時代に存在した』。『女性が性的な欲求不満を慰める道具として用い』られたと推測され、『歴史的起源が不明なほど古くから存在していたと見られる。本記事の写真のような物は、江戸時代よりしばしば記録に上っており、大奥では女性自身が求めて使用していたと言われる』。『性交の予備段階または性的通過儀礼の道具として用い』、『性交経験のない女性(処女)には処女膜があるため、地域によっては処女が初めて性交する際に処女膜が裂けて出血することを避けるために、予め張形を性器に挿入し出血させ、実際の性交時には出血しないようにしていたとされる。同様の発想は中世の欧州一部地域で見られ、童貞と処女がまぐわうことを禁忌と考える文化から使用されたとも考えられている。また初夜権のような風習との関連性も考えられる』。『これら性的用具の歴史は古く、その起源ははっきりしないが、紀元前より権力者の衰えた勃起能力の代用品として、張形と呼ばれる男性生殖器を模した器具が存在していたとみられる。石器時代には既に、そのような用途に用いられた石器が登場していたと見る説もあるが、処女が初めて性交する際の出血で陰茎が穢れるという考えからそのような器具を使用したとする説もある』。『記録に残る日本最古の張形は、飛鳥時代に遣唐使が持ち帰った青銅製の物が大和朝廷への献上品に含まれていたと云う記述があり、奈良時代に入ると動物の角などで作られた張り形が記録に登場している』。『江戸時代に入ると木や陶器製の張り形が販売され一般にも使われ始めた。大奥など男性禁制の場において奥女中が性的満足を得るために使用する例も見られた。江戸時代には陰間もしくは衆道という男色の性文化が存在し、キリスト教的文化圏と違って肛門性愛に対するタブーが存在しなかったため、女性用だけでなく男性が自分の肛門に用いることもあった。明治に入ると近代化を理由に取り締まり対象となり、多くの性具が没収され処分された。売春そのものは禁止されていなかったために、性風俗店での使用を前提とした性具は幾度も取り締まられながらも生き残っていった。しかし終戦を迎えた1948年(昭和23年)の薬事法改正から厚生大臣の認可が必要となった。そのためそれまで認可されていない性具は販売が不可能となった。そこで業者は張形に顔を彫り込んで「こけし」もしくは「人形」として販売を行なうこととなった。そのため日本の性具は人、もしくは動物の顔が造形されるようになった。そのため形状の似ている「こけし」という名称が使用された。また電動式のものは「マッサージ器」もしくは「可動人形」「玩具」として販売されている。インターネットの発達にともない規制の少ない海外製品も個人で購入できるようになったために、現在では顔のあるものは減ってきており、「ジョークグッズ」の一種として扱われることが多い』。以下は脱線するが、現代の張形である「ディルド」の記載。『ディルドを使う女性男性の陰茎と同様の形状をしており、自慰行為や性行為においてこれを用いる。使用法は主に、女性自身が自慰のために自分の膣へ挿入したり、性行為において男性が女性の膣に入れるなどして使用する。その他、男性自身の倒錯した自慰行為にも利用される。アダルトグッズショップや性具の通信販売では必ず見られる製品である』。『本体の材質はシリコーンなどの軟質合成樹脂素材のものや、金属製・ガラス製など様々なものが見られる。形状も陰茎に個人差があるように、様々な大きさ・長さ・色のものが見られ、人体の部分そっくりに着色されたものから、半透明なものや透明なもの、幾何学的な形状をしているもの、イボなどの突起を持つもの、実際にはない巨大なもの、人間以外の動物の性器を実物大で模したもの、人の拳を模したものなどバラエティに富んでいる』。『ディルドに小型バイブレータと電池を組み込み振動させる製品もある。これを女性器に密着もしくは挿入して使用する。多くのメーカが、多種多様な商品を製造しており、現在ではIC制御で、動きや振動を調節する事ができる製品もある』。『通常、女性が陰茎の代わりとして使用。中には太ももや腕に装着できるタイプもある。変わったものとしては風邪のマスクのように耳からかけて顎先に装着して使うものもある』。『ただこれらは薬事法上で性具が避妊具などと同種の扱いで、所定の水準を満たす必要があるため、外見が明らかに性具であっても、製品によっては特に使用方法を明記せず「ジョークグッズ」として販売される場合がある。実際に一般に見られるディルドの大半は性具以外の扱いとなっている』。『アダルトビデオなどの映像媒体では、男優によってこうした性具が多用される傾向にあるが、性具を用いて性的に興奮するという女性ばかりではないので注意が必要である。特に女性は体内に異物を入れるという行為には敏感であり、強い振動は女性に快感より痛みを感じさせる場合がある。また強い振動で繰り返し使用していると周辺の微細神経を傷付け性感を鈍らせることがあるので、適度な振動に調節して使用することが望ましく、感染症や擦過傷対策には使用の際にコンドームを用いるなど衛生面にも留意することが望ましい』と注意書きがある。この老人は他人には迷惑を懸けぬ、実直なる張形の使用では御座った。
■やぶちゃん現代語訳
耄碌した老人の奇談の事
藤澤某という私の知れる老いた武士が御座ったが、この人物、誠(まっこと)面白い人であった。
ある時、藤澤翁、つくづく思うことが御座った。
『……我ら、若き時より今に至るまで……あらゆることを為して、凡そ天地自然のうちのことで、為したことのないということ、これ、ない……なれど、唯一つ……童の頃より、男友達と念友の交わりを為し、若衆の経験を為したこと、これ、ない……これと言うてそれを恨みとするわけにてはなけれど……果たして……「それ」が如何なる感じのものにてあるか……想像して見たが……分からぬ……もとより……我ら、醜男(ぶおとこ)の上、老衰耄碌しておる故……例え、那智や高野の学僧で御座ろうとも……我らのこの願い、頼みて、相手にして呉れよう筈も、これ、あろうはずもない……』
「……いやとよ! そうじゃ!」
と、藤澤翁、ふと思いついた。……
藤澤翁、その日のうちにこっそりと出かけると、怪しげなる店より「張形」なるものを買い求め……参った。
その日の昼、藤澤翁は独り、暖かい春陽の射す屋敷の縁側へと張形を懐にし、出でて座って御座った。
辺りを見渡して、人気なきを見てとる……
……と……
――藤澤翁……
――徐ろに張形を取り出して中腰となり……
――己が尻(けつ)の穴に張形の先をぐっと押し当て……
――そうして……
――ゆっくら……腰を……下ろそうと致いた……
……ところが……
――老衰の足萎えにて御座ったれば……
……!……
膝が!
ガクン!
と!
キタ!
床に!
ドスン!
と腰が!
落チタ!
張形は!
ズブリ!
づづぅい!
根本の方まで! とことん! ぶっすり!
――と! 突っ込んだから、たまらない!
「……わ゛ァ! ギャあ゛ん! びェえ゛ぇぇ~! ぢゃア゛! ア゛ワ゛ワ゛ワ゛ぁ゛!!!!」
と、えも言われぬ奇体なる雄叫びを挙げ……藤澤翁はその場に気絶致いた……
………………
……恐ろしと言えど愚かな妖しの阿鼻大叫喚に吃驚らこいた倅やら娘やら、家中の下々の者どもまでも、皆々残らず駆け集(つど)って参り……見れば、
「父上!」
「……御大(おんたい)!」
「……ご主人!」
「……御隠居さま!」
――老人、尻を捲くったまま、奇天烈なる姿にて、文字通り、泡吹いて倒れて御座ったればこそ、
「は、早(はよ)う! 医者じゃ! 医者じゃ!」
「薬を! 薬を!」
と御家中、上へ下への大騒ぎと相成って御座った。
――と……
……そばに御座った娘……ふと見ると……父の薄芋(うすいも)の浮いた痩せこけた汚い尻の辺りから……何やらん……赤い紐の……これ、垂れて御座るのが……目に入る……
「……これ、何かしら?……」
と、紐を手繰る……手繰ってみると……何やらん、先にはがっしり致いた図太き一物……それがまた、充血して真っ赤になった尻の穴を……むっちりと塞いで御座ったればこそ……娘は真っ赤になる……
――と……
……老人が震え乍ら、薄目を開ける……少しばかりは意識をとり戻いたのか……倅が、
「……父上!……こ、これは……一体!?……如何なされたのじゃ!?……」
と訳も分からず、複雑な表情のまま、大声で訊ねたところ、
「……ぬ、ぬいて、く、くりょうぞぉ……け、けつべそのぉ……あなんなかぁ……ず、ずぶりとぅ……は、はいってぇ……もうた、ぢ、ぢゃ!……は、はよう!……ぬ、ぬ、ぬいて、くれぇ!……」
と、夢うつつ、虫の息にて呟いて御座ったれば――是非に及ばず――驚きつつも、尻の穴より塞げる一物、引き抜いて見れば……これまた、怒張隆々たる張形にてこれあり……倅も娘も、家中の者どもの手前、すっかり赤面致し乍らも……老人に気付けの薬なんど与えるうちには……老人も漸っと正気を取り戻いて御座った。……
………………
……流石に、藤澤翁、自分が何を致いて御座ったか、仔細を語ることも出来申さず……いやいや、如何にもお下の話なればこそ、敢えて訊く者も御座らなんだが……家内御家中いずれの者にても……驚懼(きょうく)の中(うち)にも……忍び笑いを堪(こら)え切れずに御座った、とのことで御座ったよ。