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2010/11/06

耳嚢 巻之三 狐獵師を欺し事

 

「耳嚢 巻之三」に「狐獵師を欺し事」を収載した。



 狐獵師を欺し事

 

 遠州の邊にて狐を釣てすぎわひをなせし者有しが、明和の頃、御中陰の事ありて鳴物停止(なりものちやうじ)也しに、商賣の事なれば彼者狐を釣りゐけるに、一人の役人來りて以の外に憤り、公儀御禁じの折からかゝる業なせる事の不屆也とて嚴重に叱り、右わな抔をも取上げけるゆへ、彼者大に驚き恐れ品々詫言せしが、何分合點せざる故、酒代とて錢貳百文差出し歎き詫けるゆへ、彼者得心して歸りしが、獵師つくづく思ひけるは、此邊へ可來役人とも思はれず、酒代などとりて歸りし始末あやしく思ひて、彼者が行衞不見頃に至りて亦々罠をしかけ、其身は遙に脇なる所に忍びて伺しに、夜明に至りて果して狐を一つ釣り獲しに、繩にて帶をして宵に與へし錢を右帶に挾み居しを、遠州にて專ら咄す由、地改にて通しける御普請役の歸りて咄しける。鷺、大藏が家の釣狐に似寄し物語、證となしがたけれど聞し儘を爰に記置きぬ。

 

□やぶちゃん注

 

○前項連関:地改の御普請役が登場人物である話から、話者が地改の御普請役で連関、二項前の中陰絡みで隔世連関。

 

・「狐」イヌ目イヌ科キツネ属アカギツネ種ホンドギツネ Vulpes vulpes japonica

 

・「遠州」遠江国。凡そ現在の静岡県大井川の西部地区に当たる。

 

・「狐を釣て」何故、狐については捕獲することを「釣る」というのかという疑問がある。熊釣り・鹿釣り・山犬釣り・猫釣りなどというのは聞いたことがない。これはもしかすると、狐が人を騙す(釣られる)ことから、逆に餌で誘って「狐を釣る」という語が出来たものか。しかし狸釣りとは言わない。油揚げを釣竿の先にぶら下げで釣るというのは――私には如何にも非現実的であるように思われる。識者の御教授を乞う。

 

・「明和」西暦1764年から1772年。

 

・「御中陰」人の死して後、49日の間を言う。死者が生と死、陰と陽の狭間にあると考えられたため、一般に特に精進潔斎して、殺生を戒めた。中有(ちゅうう)。

 

・「鳴物停止」忌中歌舞音曲禁止であるから、殺生は言うまでもない。

 

・「錢貳百文」明和の頃ならば米二升・酒一升・旅籠宿賃一泊分というところ。

 

・「地改」(ぢあらため)論所(所有権・権益などを巡る土地や水域の紛争対象地)について、幕府の評定所に提訴があり、その論所が複雑なケースの場合、係の下役が直接現地に出向き、論所地改という実地検分がなされた(前項「武士道平日の事にも御吟味の事」参照)。

 

・「御普請役」これは幕府御普請方役所で実務土木事業に従事した下級役人。

 

・「鷺、大藏が家」「鷺」家は、鷲仁右衞門を宗家とする狂言三大流派(大蔵流・和泉流・鷲流)の一派。江戸時代、狂言は能と共に「式楽」(幕府の公式行事で演じられる芸能)であった。大蔵流と鷲流は幕府お抱えとして、また和泉流は京都・尾張・加賀を中心に勢力を保持した。但し、現在、大蔵流と和泉流は家元制度の中で維持されているが、鷲流狂言の正統は明治中期には廃絶、僅かに山口県と新潟県佐渡ヶ島、佐賀県神埼市千代田町高志(たかし)地区で素人の狂言師集団によって伝承されているのみである。「大藏」家については、ウィキの「大蔵流」より一部引用しておく。『猿楽の本流たる大和猿楽系の狂言を伝える唯一の流派』。『代々金春座で狂言を勤めた大蔵弥右衛門家が室町後期に創流した。江戸時代には鷺流とともに幕府御用を勤めたが、狂言方としての序列は2位と、鷺流の後塵を拝した。宗家は大蔵弥右衛門家。分家に大蔵八右衛門家(分家筆頭。幕府序列3位)、大蔵弥太夫家、大蔵弥惣右衛門家があった。大蔵長太夫家や京都の茂山千五郎家、茂山忠三郎家をはじめとして弟子家も多く、観世座以外の諸座の狂言のほとんどは大蔵流が勤めていた』とある。

 

・「釣狐」狂言。鷺流の曲名は「こんくわい」。面や縫い包みを用い、基本的教習曲であると同時に難曲の一つでもある。小学館の「日本大百科全書」の油谷光雄氏執筆の「釣狐」より引用する(ルビの一部を省略した)。『雑狂言。仲間を釣り絶やされた古狐が、猟師に殺生を断念させようと、猟師の伯父の伯蔵主(はくぞうす)(前シテ、伯蔵主の面を使用)に化けて現れ説教をする。まんまと猟師をだまし、これからは狐を釣らぬと約束させた帰り道、古狐は猟師が捨てた罠をみつけるが、その餌の誘惑に耐えかね、身にまとった化け衣装を脱ぎ捨てて身軽になって出直そうと幕に入る。それと気づいた猟師が罠を仕掛けて待つところに、本体を現した古狐(後シテ、縫いぐるみに狐の面を使用)が登場、餌に手を出し罠にかかるが、最後にはそれを外して逃げてしまう』(底本の鈴木氏注によれば、堺の少林寺耕雲庵の僧白蔵主と狐の実話に基づく説話が原話とする)。『人(役者)が狐に扮し、その狐がさらに人(伯蔵主)に化けるという、二重の「化け」を演技するため、役者は極度の肉体的緊張を強いられ、しかもその「化け」がいつ見破られるかという精神的緊張が舞台にみなぎる。演技の原点である「変身」を支える肉体と精神がそのまま主題となった本曲は、それゆえに、「猿(『靭猿(うつぼざる)』の子猿)に始まり狐に終わる」といわれる狂言師修業必須の教程曲であり、ひとまずの卒業論文である。なお、江戸時代から再々歌舞伎舞踊化され、釣狐物というジャンルを生んだ』。因みに、狂言「猿(靭猿)」は大名狂言。シテの大名が太郎冠者に命じて、猿引き(猿回し)の連れる猿の皮を靭(うつぼ:弓矢を入れる筒。)の皮にせんと所望する。猿引きが断ったが、弓に矢を番えて強迫に及ぶ。猿引きはせめて矢傷にて殺傷せんより己が杖を振り上げて打ち殺さんととするが、猿はその杖を採って、常の舟の櫓を押す芸をしたので、猿引きは「共に殺さるるも猿は打てぬ」と泣き、大名も不憫に感じてもらい泣き、猿は命拾いする。猿引きは御礼に猿歌を謡い、猿を舞わす。すると大名も肌脱ぎになった上、衣から何から何まで褒美に与え、一緒に猿真似の舞いとなって大団円。狂言師の修業(特に和泉流)では三歳から五歳の頃に本狂言の小猿役から始められることが多いと、同じ「日本大百科全書」の「靭猿」の記載にある。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 

 狐が猟師を欺いた事

 

 

 遠州の辺りにて狐を釣って、それを生業(なりわい)と致いておる者が御座った。

 

 明和の頃のことであったが、やんごとなき御方の御逝去に伴い、その御中陰のこととて、鳴物停止(ちょうじ)の御法度が触れ回されて御座ったが、それじゃ商売上がったり、お飯(まんま)の食い上げじゃとて、かの者、何時もの通り、狐を釣っておった。ところが、かの者が狐釣りに隠れて御座ったところ、傍らの笹藪の内より突如、一人の役人が現れ、殊の外に憤って、

 

「御公儀御禁の折柄、かかる業(わざ)成せるとは! 不届き者めがッ!!」

 

と厳しく叱りつけ、男の罠なんどまでも荒らしく取り上げた故、男も吃驚仰天、大いに畏まって詫び言なんども致いて御座ったが、これが、なかなか怒りが解けぬ。さればとて、御酒代にと銭二百文を差し出だいたところが、漸く役人の勘気も収まり、納得して帰って御座った。

 

 しかし――その帰って行く後ろ姿を眺めながら――かの猟師は考えた。

 

『……こんな田舎下(くんだ)りにやって来るような役人の風体とも思えぬ。……そのくせ、酒代なんどの賄賂を、平然と取り上げて帰るというも……如何にもな、怪しきこと……』

 

と思い、かの役人の姿が見えなくなった頃、またぞろ、狐釣りの罠を仕掛け、そこから風下遠く離れた叢に隠れて、様子を伺っておったところ、夜明へ方に至って、果して一匹の狐が罠にかかって御座った。

 

 見れば――その狐、胴に繩の帯を締めており、前夜の宵に与えた銭をこの帯に挟んで御座った――

 

「……という話が、今、遠州にて専らの評判になって御座った。……」

 

と、普請方お役目として地改(じあらため)に遣わされた下役の者、帰って来ての話で御座った。

 

 思うに、鷺家及び大蔵家に伝える狂言の「釣狐」によう似た物語では御座る。されば、事実あったこととは如何にも言い難きことなれど、まあ、聞いたまま、ここに記しおくものである。

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