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2010/11/23

耳嚢 巻之三 吉兆前證の事 根岸鎭衞「耳嚢 卷之三」全注釈現代語訳 完了

「耳嚢 巻之三」に最終話「吉兆前證の事」を収載、以上を以って根岸鎭衞「耳嚢 卷之三」の全注釈現代語訳を完了した。


 吉兆前證の事

 當時昇身して諸大夫(しよだいぶ)席勤たる人、其以前布衣(ほい)也し日比(ひごろ)、上野へ至りて歸る比、下谷廣小路にて葬禮に行合しに、大風にて棺上に懸し白無垢、風に飜飛(はんぴ)して彼人の乘輿の上へ落けるに、葬禮の輩は大きに恐れ一言の言葉にも及ず、足を早めて逝去りぬ。駕脇の家來大に驚き、憎き者哉(かな)と憤り追欠(おひかけ)んとせしに、其主人是を制して、右白無垢を途中に捨歸らんやうもなければ、我宿に持歸ければ、家内の者忌はしきやう申罵りけるを、是は左にあらず、當年は果して諸大夫の御役にも進みなんとて、殊の外悦び祝しけるが、果して其年白無垢を着て諸大夫の御役にすゝみけると也。物は吉瑞も有るものかや。水谷信濃守といへる人、水の縁にもよるや、御役替或は吉事の時はかならず雨降ける。信濃守御留守居に成し時も、大雨車軸をながし、當但馬守御留守居に成し頃も又同時なりしに、前日大雨車軸をながしけるに、門前の小溝にて門番すばしりといへる魚をとり得て奧へ差出しけるに、目出度事也とて池へ放しいわゐ悦びけるが、奉書到來して其翌日御留守居被仰付けると也

○前項連関:特に連関を感じさせない。文末の句点なしはママ。

・「吉兆前證」よい前兆の証し。

・「諸大夫」五位。元来は律令制下の官位で四位・五位の地下人(じげにん)又は四位までしか昇進出来ない低い家柄の官人を指した。所謂、平安期の受領(ずりょう)階級(名前だけで現地に赴かない高位の遙任国守に対する実務国守階級)や実務官人としての武士もこれに属していた(その下に家来としての一般武士階級も勿論あった)。これが近世以降、五位という官位から、公家にあっては親王家や摂関家などの家司(けいし)が、また武家にあってはこの官位を受けた大名や旗本が、この職名で呼ばれた(以上はウィキの「諸大夫」を参照した)。

・「布衣」六位。布衣は近世、無紋の狩衣を指したが、同時に六位以下及び御目見以上の者が着用したことから、その身分の者を言うようになった。

・「上野」寛永寺。

・「下谷廣小路」現在の台頭区にある上野中央通り。寛永寺門前で火災の火除け地として広げられていた小路で、古くはここが真の下谷の地であった。 

・「水谷信濃守」水谷勝比(かつとも 元禄2(1689)年~明和8(1771)年)。底本の鈴木氏注に、『享保五年家をつぐ。千四百石。十四年堺奉行、従五位下信濃守。御普請奉行。御旗奉行を経て、宝暦九年御留守居にすすみ、明和八年致仕』とあるから、この話柄は宝暦9(1759)年のことであることが分かる。

・「御留守居」は江戸幕府の職名。老中支配に属し、大奥警備・通行手形管理・将軍不在時の江戸城の保守に当たった。旗本の最高の職であったが、将軍の江戸城外への外遊の減少と幕府機構内整備による権限委譲によって有名無実となり、元禄年間以後には長勤を尽くした旗本に対する名誉職となっていた(以上はフレッシュ・アイペディアの「留守居」を参照した)。

・「但馬守」水谷勝比の子である水谷勝富(かつとみ 正徳5(1715)年~寛政3(1791)年)。底本の鈴木氏注に、『明和五年従五位下但馬守。安永七年一橋家家老、天明五年御留守居、八年御旗奉行』とあるから、この話柄は天明9(1789)年のことであることが分かる。但し、天明9年は125日に寛政に改元されているので、根岸が厳密な元号表記をしているとすれば、この出来事は天明9年1月1日から24日までの間に限定出来ることになるが、流石にそこまでは考えて書いてはいないであろう(ただ、補任が正月に行われることはあってもおかしくはない気がする。識者の御教授を乞うものである)。

・「すばしり」鰡(ぼら)の幼魚。ボラ目ボラ科ボラ Mugil cephalus。ボラは出世魚で、例えば関東方言では、オボコ→イナッコ→スバシリ→イナ→ボラ→トドなどと変化する。底本の鈴木氏注では三年ものとするが、漁業関係者の記載では10㎝ほどの幼魚ともある。この順序は地方によって逆になったりするので、このまま鵜呑みにされては困る。

・「いわゐ」はママ。

■やぶちゃん現代語訳

 吉兆前証の事

 只今、出世なされて諸大夫席を勤めて御座るお方が、未だ布衣であられた時のことで御座る。

 ある日のこと、かのお方、上野寛永寺にお参りなされ、お帰りになられる途次、下谷広小路にて町人の葬列に行き遇(お)うた。と、その棺桶に掛けられて御座った白無垢が、突風に煽られて舞い上がり、こともあろうに、かのお方の乗れる輿の上に落ちた。

 葬列の者ども、吃驚仰天、魂(たま)も消え入らんばかりにうろたえ叫び、詫び事一つも致すも出来まいことか、皆々棺桶をがんらがらがら鳴らしながら、一目散に走り去ってしもうた。

 駕籠脇に控えて御座った家来、余りのことに驚き呆れ、

「おのれ! 憎(にっく)き不埒者めがッ!」

と憤り叫ぶや、かの者どもを追い駆けよう致いたところが、主人たるかの御仁、駕籠内よりこれを制して――かの白無垢、途中で捨てて行くという訳にも参らざれば――如何にも、いやそうな顔をして御座った家来の者に持たせ、我が家へと持ち帰って御座った。

 勿論、家内の者どもも口を揃えて、

「――忌まわしきことにて――」

と口々に申し、御主人がそれを持ち帰りになられたことを、あまりの不浄にてあればとて、御主人様のなさりようを、お恐れ乍らと、あからさまに咎めだてする者さえ、これ、御座った。

 ところが――かの御仁はといえば――これがまあ、至って平気の平左のこんこんちき、

「――いいや! そんな不吉なことにては、これ、御座らぬ!――当年は、果して我ら、諸大夫の御役に上らんこと、間違いなしじゃ!」

と喜色満面上機嫌にて御座られたという。

 そうして――果たしてその年の内に――白無垢を着て諸大夫の御役に上られたとのことで御座る。

 如何なる物――一見不浄と見ゆるものにても――吉なる瑞兆、これあるので御座ろうか。……

 同様のお話をもう一つ。

 水谷信濃守勝比殿というお方の話である。

 「水谷」なればこそ「水」の御縁が御座ったものか――御自身の御役替或いは吉事ある時には、これ、必ずや雨が降るという。

 信濃守殿が御留守居に目出度く就任された――未だ就任の御沙汰御座らぬ――その日の早朝にも、大雨が車軸を流すが如く降りしきった。

 加えて嗣子水谷但馬守勝富殿がやはり御留守居になられた頃にも――これは信濃守殿御留守居役御就任とほぼ同じ頃のことで御座ったと記憶して御座るが――やはり、未だ補任のこと、これ全く知らざる前日に、大雨、車軸を流して御座った。この時は、それに加え、その日の朝、どしゃぶりの雨のせいで、水野家門前の小溝が溢れ返って御座ったが、浸水を気にして見回っておった御屋敷門番が、「すばしり」といへる、何と、海の魚――これは何でも成長するに従(したご)うて名が変わる『出世魚』という魚の由――を捕まえて、奥へと差し上げた。

 ぴちぴち元気に跳ね回るすばしりを見た信濃守殿は、「――水谷家の大雨に出世魚とな?! これは! 何とまあ、目出度いことじゃ!――」

と、すぐに御屋敷の池へとお放ちになられ、大層なお悦びようで御座ったそうな。

 すると、その翌日、奉書到来致いて、目出度く御留守居役仰せつけられて御座ったとのことで御座る。

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