未公開片山廣子芥川龍之介宛書簡(計6通7種)のやぶちゃん推定不完全復元版 最終校訂/注追加 その他 HPテクスト大祓
「未公開片山廣子芥川龍之介宛書簡(計6通7種)のやぶちゃん推定不完全復元版」の最終校訂と注を追加した。この期に至って廣子の書簡本文の脱字を発見、我が身の愚かしさを歎くことしきり。芥川龍之介の遺稿「或阿呆の一生」などや梶井基次郎のテクスト群も再校訂した。
――一つの區切は終はつた――
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「未公開片山廣子芥川龍之介宛書簡(計6通7種)のやぶちゃん推定不完全復元版」の最終校訂と注を追加した。この期に至って廣子の書簡本文の脱字を発見、我が身の愚かしさを歎くことしきり。芥川龍之介の遺稿「或阿呆の一生」などや梶井基次郎のテクスト群も再校訂した。
――一つの區切は終はつた――
今日の夕方、アリスを散歩させていると、近くの寺院の庭で餅搗きをしている音がした。子供らの歓声が聞こえた。……僕はそれを聴きながら、38年前のことを思い出していた……
……富山の隣りの田島のおばさんは当時、もう60がらみだったが、普段は一人で生活していた。時々、おじさんの姿を見ることがあったが、一緒に生活している風でもなかった。……僕の町の住居表示板には「田島ハル」とおばさんの名義が記されていた。……遊びに来た高校時代の友人が「凄いな、古代遺跡だぜ」と言った。何のことかと思ったら、「だってタージマハールだぜ」と言ったのを二人して笑ったのを覚えている。……
……あれは丁度、今日と同じ12月の末のことだった。
田島さんの玄関先で、久しく見なかったおじさんが臼と杵を持ち出して、おばさんと一緒に餅を搗いていた。
母と一緒に呼ばれて行った。
田島のおじさんは、何かの職人らしく、寒いのに半袖のシャツで隆々たる筋肉を見せて美事に餅を搗いていた――右手一本で――
おじさんの左の二の腕は搗いている杵と同じようになっていた。何でも若い頃に、仕事で怪我をして切断したのだということだった。――
しかし、その右腕は狙い済ました感もないのに、トン! と臼に搗き入れる杵の一打は確かであった。――
それは少しひねくれた不良学生だった僕から見ても――とってもカッコ良かったのだ。――
おじさんは、暫く搗いたところで、そばで黙って見ていた僕に、
「あんちゃん、搗いてみっか?」
と杵をすっと差し出した。
普段の非力の僕なら、きっと人見知りして断ったに違いないのだが、おじさんのすりこ木のような左腕をずっと見ていた僕には――おじさんの妙技に惚れてしまっていた僕には、それを断わることが、ひどく非礼なこととして感じられたことだけは、確かに覚えているのである。
緊張気味の腰つきで――おじさんの見よう見まねで――僕は餅を搗いた。
「あんちゃん、なかなかスジがええぞ!」
と、皺だらけの顏でおじさんが言った。
横に寄り添っていたおばさんも何だか普段と違ってつやつやとした肌で笑いながら、合いの手の水を打って呉れた。
あの日、僕ははにかみながら、生まれて初めての餅搗きをしたのだった。
あの日の、田島のおじさんとおばさんと、そして母と、懸命に黙々と餅を搗いている僕と。
――僕は、後にも先にも、餅を搗いたのは、この時ぎりだったんだ。――
――その時の、杵を振り下ろす片腕のおじさんの精悍な顔――僕はそれを今も忘れない――。
田島のおじさんは、それから二、三年後に病気で亡くなった――
……アリスがリードを引っ張った。……寺の庭の餅は、もう搗き上がったらしい……子供らの嬌声が聴こえてくる……
僕はアリスの行くがままに、その寺の前を、去った……
この数日、芥川龍之介後期作品の僕のテクストの校訂を始めている。特にHP開設当時のものは、ミス・タイプが多いことに今更ながら気がついて、こんなものを平然と放置していたことへの――何より芥川龍之介へ「合わせる顔がない」状態であった。時間のかかることではあるが――例えば「歯車」は今、終わった。読みも底本通りに総て入れた。未だお読みでない方は、是非、一つ、今年最後の、正に芥川龍之介最期の一篇として読むに若くは御座らぬぞ。――
……かう云ふ氣もちの中に生きてゐるのは何とも言はれない苦痛である。誰か僕の眠つてゐるうちにそつと絞め殺してくれるものはないか?……
今日は朝から右腕遠位端骨折の跡が疼き始めた――咳――肋骨の痛み――何か忘れていたものが僕の肉体の内側から叫んでいるようだった――そうだった、そうだったのだ――今日は
Memorial to Andrei Tarkovsky/南方熊楠忌
タルコフスキイの死から24年――
南方熊楠の死から69年――
……この疼痛は――僕の肉と霊の内なるタルコフスキイと南方熊楠のスティグマだったのだ――
今日、儂はミクーシ國のミンノー・コルフオーズで、遂に、農園でも牧場でも、誰より一番の農園主になつたぢやて。――
――なつたが、何處の農園もとんと人氣がねえ。烏麥が蔓延り、作物も家畜も居らん。不潔な蠅が、淀んだ水桶と古びた糞に群がつてわんわんと唸り立ててゐる。――
――しかし、儂は此處を去らぬぞえ。――
――何故かつて? ツルゲエネフの御主人樣の御歸りを待たねばのう。――
――それによ、お前さん、分かつてないのう、人にとつて幸せな世界ちうはの、社會主義たら言ふ怪し氣なものでも、資本主義たら言ふえげつないものでものうて、中國のどえりやあ哲人さんが申された、あの小國寡民とか何とか言ふもんなんぢや、なかろうか、の……
……これが、ミクーシの農園の管理人で御座つたエルモライの――最期の言葉ぢや……
さようなら、皆の衆……さうして、皆の衆……心からありがたう――
今現在、2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来の累計アクセス数は261,550を越えた。一日当りの平均アクセス数は凡そ155アクセスである。――
――ところで、アクセス解析の「検索ワード/フレーズ」とは「訪問者がどのような言葉を組み合わせて検索して訪れたか」を「検索時に入力された語句をそのまま集計し」たものである。試みに2010年9月1日(水) ~ 2010年12月27日(月)までの4ヶ月(集計対象検索ワード/フレーズによるアクセス数は6,541である)を見てみよう。一部の知人によるものを除けば、これだけの世界中の人々(*)が、この変なモノローグに奇特にも来訪してくれている事実は驚天動地だ。
*
同時期、この4ヶ月の「言語別アクセス数」は凡そ9,050人で、その内訳は日本語を除くと、
2 English 1,048人 11.6%
3 Chinese 113人 1.2%
4 German 112人 1.2%
5 French 53人 0.6%
6 Korean 40人0.4%
7 Spanish 9人 0.1%
8 Italian 5人 0.1%
8 Dutch 5人 0.1%
である(但し、在留邦人のパソコン設定が現地語設定になっていることを考えれば、これらは必ずしも非日本人であるわけではない)。なお、去年まではロシア語のアクセスが5位から7位を確実に確保していた。それは主に当時公開したツルゲーネフの「獵人日記」や「散文詩」の言語表記部分へのロシア語ワード検索アクセスであった。
*
さて「検索ワード/フレーズ」ランキング50位までを見ると、以下のようになる。これを僕なりに幾つかのカテゴリに分類(それぞれの後にある《 》)してみると、僕のブログへのアクセス傾向(少なくともこの4ヶ月の、であるが、過去を見ても大差はないのである)が浮かび上がってくる。
1 撓骨遠位端骨折 2.4%《撓骨遠位端骨折関連》
2 プルートゥ 0.7%《芸術;漫画「プルートゥ」ノース2号関連》
2 ノース2号 0.7%《芸術;漫画「プルートゥ」ノース2号関連》
4 バッタと鈴虫 0.7%《文学;川端康成「バッタと鈴虫」》
5 離魂記 書き下し文 0.5%《文学;陳玄祐「離魂記」》
6 ノース2号 0.5%《漫画;「プルートゥ」ノース2号関連》
7 宮沢トシ 0.5%《文学;宮沢賢治宮沢トシ関連》
8 橈骨遠位端骨折 後遺症 0.5%《撓骨遠位端骨折関連》
8 フタゴムシ 0.5%《生物;水産生物関連》
10 芥川多加志 0.4%《文学;芥川龍之介関連》
11 尾形亀之助 0.4%《文学;尾形亀之助》
11 鬼火 日々の迷走 0.4%(知人・教え子)
13 鬼火 0.4%(知人・教え子)
14 ノース2号論 0.4%《芸術;漫画「プルートゥ」ノース2号関連》
14 宮沢賢治 近親相姦 0.4%《文学;宮沢賢治宮沢トシ関連》
14 氷の涯 0.4%《文学;夢野久作》
17 生田春月 0.3%《文学;詩人》
18 奉教人の死 現代語訳 0.3%《文学;芥川龍之介関連》
18 ソデフリン 0.3%《生物;水産生物関連》
20 伊東静雄 0.3%《文学;詩人》
20 the picture of dorian gray 和訳 0.3%(これでしばしば来られる方があるのであるが、私のマイ・フォトの題名に別なテクストの「和訳」が連動しての結果である。その方は激しく失望されて帰られるに違いない。ここに謝罪しておく。――が――この名称を変えるつもりは私には、ない)
22 川端康成 バッタと鈴虫 0.3%《文学;川端康成「バッタと鈴虫」》
23 離魂記 書き下し 0.3%《文学;陳玄祐「離魂記」》
23 コーレス骨折 後遺症 0.3%《撓骨遠位端骨折関連》
25 田園風景 0.2%《?》(この4ヶ月で実数16もこのワードで来訪者がいる。不思議?)
25 自然毒 最強 0.2%《生物;水産生物関連》
25 宮澤トシ 0.2%《文学;川端康成「バッタと鈴虫」》
28 アフリカの月 0.2%《音楽;西岡恭蔵》
28 教師を辞めたい 0.2%(これは実際には過去データを見ると《撓骨遠位端骨折関連》についでアクセス数が多い。ここに現実がある)
28 評伝尾形亀之助 0.2%《文学;尾形亀之助》
28 ウルトラマン 金城哲夫0.2%《映画;金城哲夫関連》
32 鉦叩き 0.2%《生物;昆虫 又は 文学;尾崎放哉関連》
33 富永太郎 0.2%《文学;詩人》
33 histoires naturelles jules renard pierre bonnard
0.2%《文学;ルナール「博物誌」》(過去数年、外国からの明らかな外国人によるアクセスが最も多いワード/フレーズである)
33 村上昭夫 0.2%《文学;詩人》
33 新原敏三 0.2%《文学;芥川龍之介関連》(芥川龍之介の実父である)
37 耳嚢 0.2%《文学;「耳嚢」関連》
37 松村みね子 0.2%《文学;芥川龍之介・片山廣子関連》
37 鬼火 やぶちゃん 0.2%(知人・教え子)
37 檸檬 授業 0.2%《文学;梶井基次郎関連》
37 宮沢賢治 トシ 0.2%《文学;宮沢賢治宮沢トシ関連》
42 秋和の里 0.2%《文学:伊良子清白》(伊良子清白の詩の題名である。地名ではなく高い確率で彼の詩の検索であろう)
42 袈裟と盛遠 0.2%《文学;芥川龍之介関連》
42 枯野抄 現代語訳 0.2%《文学;芥川龍之介関連》
45 フトユビシャコ 0.2%《生物;水産生物関連》
45 撓骨遠位端骨折 後遺症 0.2%《撓骨遠位端骨折関連》
45 芥川龍之介 袈裟と盛遠 0.2%《文学;芥川龍之介関連》
48 ルナール 博物誌 0.1%《文学;ルナール「博物誌」》
48 狂師像 0.1%(これは僕が出て一位になった職場の体育祭の仮装競技の「旧」称)
48 杉田久女 訳 0.1%《文学;俳句》
48 草野心平 第百階級 0.1%《文学;詩人》
48 耳嚢 佐渡金山 0.1%《文学;「耳嚢」関連》
48 星野之宣 宗像教授 0.1%《芸術;漫画》
48 石川嘉延 0.1%(静岡空港建設に反対して静岡県庁前で焼身自殺した畏兄井上英作氏の仇)
実に《撓骨遠位端骨折関連》が全体の3.4%で、これは過去も常に首位をダントツで保守している。如何にこの撓骨遠位端骨折(分かり易く言うと手首の関節部分を グシャ! とやっちまうことだ)及びその後遺症に悩まされている人口が多いかが知れる。僕もあの時は人生、真っ暗になったからな――。
「プルートゥ」の人気、未だ衰えず! いいねえ! いつか本作を分析する授業をしたいもんだ! 総合学習でウルトラ・シリーズで差別を考えるというのをやらかそうとしたらダメ出しでるくらいだから、今のところじゃ、できそうもないのが悔しいねえ――。
賢治とトシ関連――これだけは是非とも、例の僕のブログを読んでくれ! 嬉しいね、ここに来てくれるのは!――
見渡せば花も紅葉もなかれども――水産生物関連と芥川龍之介関連が随所に挟まるのは――これ、僕の至福中の至福! ありがとう!
ともかくも――僕の色気――僕が読んで貰いたいと思っているHPやブログの対象が――ほぼ一つ残らず(!)網羅されているのが凄いんだ!――実にいろんな人が覗きに来てくれているんだ!――これが僕の現在的活力――スッポン手に明日(スポンテニアス)の活力なんだ!――「生きていてよかった!」――という感懐そのものになっているんだよ!
更に言えば――学期末テストや大学のレポートのための検索が透けて見えるものもすこぶる散見されるねぇ――それもよかろう、ねぇ!――僕のテクストの中には、実は、それこそ確信犯があるからねぇ!――でもさ!――自分で考えようぜ! なあ? 君!――分かるだろ? 俺の謂いが、さ――ふふふ♪
――ともかくも――詩から小説から、音楽から生物から漫画からエッチから、特撮に至るまで――僕の「覚悟」のそれを見に来てくれる――あなたに、あなたに、あなたに、あなたに――そして、あなたに!――僕は心から感謝する!――これらの訪問してくれた、あなた総てに!
“Here's looking at you, kid!”――「君の瞳に乾杯!」
この更新はもう書かないと言いながら、やっぱりこれは読んで貰いたいと思うと書きたくなるのは僕の人情である。
「未公開片山廣子芥川龍之介宛書簡(計6通7種)のやぶちゃん推定不完全復元版」注に片山廣子の「乾あんず」からソロモンとシバのエピソード部分を引用追記した。
既に片山廣子の「乾あんず」の冒頭注で僕が述べていはいるのであるが――
――これはシバ廣子、確信犯の23年後の龍之介への「相聞」歌――ラブ・レターなのである――
2007年月曜社刊の正字版の片山廣子「新編 燈火節」入手後、恣意的に正字に直してテクスト化し、「心朽窩旧館 やぶちゃんの電子テクスト集:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に公開済であった同作品集の中の9篇のうち、これによる校訂未了のものがあったが、総て、本日を以って完了した。
廣子に――これは素直に、今年最後の――愛をこめて――
*
肋骨に罅が入っていると――咳をするのが怖ろしくコワイということが分かった――脇腹からエイリアンが飛び出して来るような激痛が走るから――である――
――「テレビ・チャンピオン」初登場の時代から熱烈なファンである大好きなさかなクンもそうだと思うが――僕は真面目に彼の助手になりたい。本気でだ!――僕から出て来た、ワラスボ(スズキ目ハゼ亜目ハゼ科ワラスボ亜科ワラスボOdontamblyopus lacepedii)似のぎょぎょぎょの面のそいつを水槽で飼って「絵依里ちゃん」とか名前を付けて可愛がってみたい気もしないでもないのだが――
自分の聲に倦いた詩人が
泉のそばで音樂を聽く。
詩人は聽衆であるとき、
最も良い詩人である。
「未公開片山廣子芥川龍之介宛書簡(計6通7種)のやぶちゃん推定不完全復元版」の更新はもう載せない予定であったけれど――今日は正真正銘の龍之介と廣子二人のイコンを挿入した――とだけ、述べておこう――二人の純愛に――
*
今朝、咳をしたら眼ん玉が飛び出る程、わき腹に痛みが走った。結局、整形外科に行き、肋骨骨折固定用のコルセットみたようなバンドを腹部に巻くことと相成った。
「未公開片山廣子芥川龍之介宛書簡(計6通7種)のやぶちゃん推定不完全復元版」を読んでくれている奇特な知人から――無断引用を恐れぬ程に――それは僕との――以心伝心、霊魂の無限交合であるからだ――
*
……やっと最近になってそのテクストを少しずつ読んでいます。
それにしてもあの画像いいですね。
ソロモン王とシバの女王
さっきもPCでまじまじみていたのですが
ソロモン王の顔や衣服は 芥川龍之介らしさや
彼が支那旅行で購入した浴衣を呼び起こしたし
シバの女王の顔も あの藍色の衣服も 片山広子らしい気がして
みた瞬間 あの二人が確かここにいると思えました。
それにしてもこの二人の眼、とても穏やかですね。
すべてを見据えた穏やかさなんでしょうかね……
*
コンラート・ヴィッツのあの絵……
龍之介の浴衣……そうだったのだ!――
「メタファーとしてのゴジラ」生涯3度目(2000年の中国南京大学での特別講義を含む)の講義を終了した。僕にはそれなりの充実感がある。僕は確かにこの数年の悶々とした中で、言いたくても言えなかったことを、言い得たと感じている。
*
夕刻、整形外科で胸部レントゲンを撮った。肋骨が折れて内臓を破損している可能性はないと思ってはいたが、一部の肋骨に罅の入った骨折らしい影はあるものの、とりあえずは湿布で様子を見ることで済んだ。しかし、しっかり痛い。しかし、ほっとした。僕はこれから母を背負わねばならぬから――。
*
昨日から何人かの教え子から思わぬクリスマス・プレゼントを貰った。来年のカレンダーや山形の「からかい」や「さくらんぼカレー」、近況の御手紙やメール――僕はそれで十全に至福である(面には現わさないものの、53歳のへたれ親爺でもクリスマス・プレゼントは、実はウレピい!)。今日の「ゴジラ」を飽きることなく聴いてくれた12人子ら(+先輩の先生1人。加えて「ゴジラ! どうしても聴きたかったのに!」と私用で出られず、わざわざ昼過ぎにいらした折りに僕にそう言って下さった女性の先生にも)も含めて、僕は心から感謝する――確かに教師をやっていて――よかった――としみじみ思った一日であった――
「未公開片山廣子芥川龍之介宛書簡(計6通7種)のやぶちゃん推定不完全復元版」の三訂を行った。未だ残っていた誤植を訂正し、注その他の不満箇所を再度修正、大幅に補足をした。また、Konrad Witz (コンラート・ヴィッツ 1400から1410年頃~1446年) 作 “König Salomo und Königin von Saba” の絵を龍之介と廣子のイコンとして挿入した。僕の龍之介と廣子に――心から愛を込めて――
*
今日、朝3:50、アリスが吠えるので家に入れようと、暗い階段を降りて行ったところが、三段転落して、背部をいやという程、打った。体がバラバラになったように痛い。
これも試練というか?――そりゃもう、悪意だろ?――
*
以降、僕はこの「未公開片山廣子芥川龍之介宛書簡(計6通7種)のやぶちゃん推定不完全復元版」を今年の最後の最後まで拘って神経症的に増補するであろう。それはしかし、もう、ここには記さないことにする。12月31日迄毎日が更新だと思って戴いてもよい。それは当該冒頭注の追記には記す。
芸大に受験を望むT君と小論文シュミレーションに半日一緒に付き合う。
東大寺金剛力士二像(阿吽形)の造形的特性を比較検討して論述し(阿形が運慶、吽形が快慶とされる。但し、明白な工房製作による寄木造である。それは勿論、問題に示されていない)、更に俊乗上人坐像(伝康慶〈運慶の父〉又は運慶作とされる法然の弟子重源の写実的木像)及び八幡神坐像(快慶真作)の作者を、その作風から類推して、両金剛力士像と同一の作者のものと結んで論述せよという超難問だ。
そうして更には、「アポロンとダフネ」(恋したアポロンから逃れるダフネが木化する過程をスカルプティング・イン・タイムした絵画作品と彫刻作品(ベルニーニ)を比較して、そのベルニーニの彫刻作品の持っている造形的特性を述べよという問題だ。
実に4時間以上、二人で職員室で議論した。こんなに楽しい一時は――僕はこの職場に来て、6年間の中で、殆んどなかったと告白する――いや、2年前に某国立大学のマルチ・メディアへの進学を望んだデユシャンの指導をした女生徒(美事後期試験で合格した)と、その彼氏で東大に一発現役合格した少年への、何と一対一(彼には実に芥川龍之介の「骨董羹」の現代語訳で協力を東大受験直前に(!)協力してもらったのであった!)の講義だけが――それに十全に匹敵するものであったと言える。
『狂師』冥利――この言葉ももうそこでは死語になってしまったな――狂師冥利は、ここに美事に尽きた――――「私はこの時始めて、云ひやうのない疲勞と倦怠とを、さうして又不可解な、下等な、退屈な」この数週間の「人生を僅に忘れる事が出來たのである。」(芥川龍之介「蜜柑」)――本当にありがとう! T君!
「心朽窩 新館」の『立ち尽くす少年――諸星大二郎「感情のある風景」小論』を、2005年度版から本日授業で配布した2010年度版にリニューアルした。
少々、拙速に過ぎた。「未公開片山廣子芥川龍之介宛書簡(計6通7種)のやぶちゃん推定不完全復元版」の誤植を訂正、注その他、不満箇所を修正し、大幅に補足した。しかし、これで一応、僕の憂鬱は完成したのだ。
「未公開片山廣子芥川龍之介宛書簡(計6通7種)のやぶちゃん推定不完全復元版」を「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に公開した。一昨日より二日間で仕上げることが出来た。久し振りに、僕は穏やかな心持に居られる――この書簡群は僕が生きている限り、ライフ・ワークのターゲットである――
いや――これが今年の、僕のやりたかった――総てではある。
いや――2010年は確かに、僕にとって鮮やかに不満もなく暮れる――
いや――このテクストで、今年は確かに満足のうちに、暮れてゆく『愚劣な全人生』では、あった――
いや――それでも――読んで御覧なさい――そうして感じなさい――今のあなたに今の相手に――こんな素晴らしいラブ・レターが書けるかどうかを……
動物、その他
なつめの實がこぼれおちてけふは秋晴れ空氣に猫の毛のにほひがする
日ぐれ建物はくらい窓を見せて不用の箱みたいだなかに小ねずみがあそんでゐるのか
さびしくえぢぷとの葉を吸ふときしろ蛇がすうつと出てゆきました
犬の眼よりもつと靜かな眼がみつめるあたしは空のまん中にゐるやうな眩暈がす
支那そばやが三角のひかりを投げてゆくくらい建物のすそにあたしはゐました
(底本は月曜社2006年刊片山廣子/松村みね子「短歌集+資料編 野に住みて」の短歌のパートの「拾遺」のものを用いたが、表記は恣意的に正字に直してある。)
*
猫は芥川龍之介の思ひ出と直に結びつく(廣子の「黑猫」を參照されたい)――
「不用の箱」のやうな書き割りの中――寂しい「小ねずみ」の廣子が凝つと動かずに震えてゐる――
「えぢぷとの葉」は單子葉植物綱イネ目カヤツリグサ科カヤツリグサ属パピルス Cyperus papyrus L.で、これは芥川龍之介の「三つのなぜ」の「二 なぜソロモンはシバの女王とたつた一度しか會わなかつたか?」の映像に結びつくものに違ひない(ソロモンはイスラエル王國の王ではあつたがエジプトのファラオの娘を娶り、エジプトに臣下の禮を盡くした)。僕には白い蛇が龍之介の魂に見える――
龍之介の「もつと靜かな眼がみつめる」「あたし」の魂はふらふらと「空のまん中に」憧(あくが)れ出でてしまふ――そんな――「眩暈がす」る――
「支那そばや」の屋臺が「三角のひかりを投げてゆく」夜道――それは幽冥界の鬼火――こちら側に、獨り、取り殘されて「くらい建物のすそにあたしはゐました」……
*
芥川の自死後、廣子が多少なりとも相応の数の歌作に復帰するためには、戦後を待たねばならなかった。その間でも、私的には歌を創ってはいたようであるが、その間、公開されているものは、多くがやや古い詠草の再録のようである。しかし、その中に、非常に奇異な口語短歌を見出すことが出来るのである。以上の5首がそれである。僕のHPの廣子の歌群を幾分でも読み馴染んでおられる読者には、恐らく、これが片山廣子の歌だと言わなければ、『今の』新進若手女性歌人の短歌だとお思いになるやも知れぬ。
――僕には、この一見ひょいと軽く詠み捨てたような歌柄にこそ、逆に廣子の心の深い傷痕(トラウマ)を見る思いがするのである――
上海に赴任した教え子が、上海では僕のHPにアクセス出来ない旨、連絡して来た。
ソウカ!――遂に僕のページは中国政府(!)からも人民主義を揺るがす反社会的有害サイトと見なされてしまったか!
勿論、そこまで中国政府も暇ではあるまいが――分からぬ(グレート・ファイアー・ウォールが何かの問題表現を自動検知しているのか?)――いやいや、少しばかり面白い。
「海 の 幸」
青 木 繁 畫
ただ見る靑(あを)とはた金(きん)の深き調和(てうわ)――
きほへる力(ちから)はここに潮(うしほ)と湧き、
不壞(ふゑ)なるものの跫音(あのと)は天(あめ)に傳へ、
互(かたみ)に調(しら)べあやなし、響き交(かは)す。
海部(うみべ)の裔(すゑ)よ、汝等(いましら)、頸(うなじ)直(す)ぐに、
勝鬨(かちどき)高くも空(そら)にうちあげつつ、
胸肉(むなじし)張れる姿の忌々(ゆゆ)しきかな、
「自然(しぜん)」の鞴(たたら)に吹ける褐(くり)の素膚(すはだ)、
瑠璃(るり)なす鱗(いろこ)の宮を嚴(いづ)に飾り、
大綿津見(おほわたつみ)や今なほ領(しろ)しぬらむ。
いかしき幸(さち)の獲物(えもの)に心足(こころた)らふ
汝等(いましら)見れば、げにもぞ神の族(うから)、
浪うつ荒磯(ありそ)の濱を生(いき)に溢(あふ)れ、
手に手に精(くは)し銛(もり)取り、い行き進む。
(「春鳥集」より)
夢を食(く)ふ獏(ばく)といふ獸(けもの)がある……
みにくい獏はみにくい夢を食ふ、
おれは獏だ、みにくい獏だ、
それでいい――うまい夢にさへありつければ!
だが、もう夢もみんな食ひ盡くした……
さて、これから何を食はう?
やはらかな夢の下から出たものは硬い現實、
その現實を、獏よ、おまへも食はねばならぬ!
食(くら)ひ付け、食(くら)ひ付け、その現實に、
でなければ、おまへは餓死(うへじ)ぬぞ!
獏は食(くら)ひ付く、現實に、硬くみにくい現實に……
それでいい――さて、おまへも一人前だ!
(「澄める靑空」より)
地 獄
人生は地獄よりも地獄的である。地獄の與へる苦しみは一定の法則を破つたことはない。たとへば餓鬼道の苦しみは目前の飯を食はうとすれば飯の上に火の燃えるたぐひである。しかし人生の與へる苦しみは不幸にもそれほど單純ではない。目前の飯を食はうとすれば、火の燃えることもあると同時に、又存外樂樂と食ひ得ることもあるのである。のみならず樂樂と食ひ得た後さへ、腸加太兒の起ることもあると同時に、又存外樂樂と消化し得ることもあるのである。かう云ふ無法則の世界に順應するのは何びとにも容易に出來るものではない。もし地獄に墮ちたとすれば、わたしは必ず咄嗟の間に餓鬼道の飯も掠め得るであらう。況や針の山や血の池などは二三年其處に住み慣れさへすれば格別跋渉の苦しみを感じないやうになつてしまふ筈である。
*
僕は特に謂うべき言葉を持たぬ。
それが「地獄」であるという以外には。
僕にとっては現実が『退屈な』地獄であるという現在的意味以外には認識はない――
しかし現実が不定則であっても、それが理智によってディスクール可能な地獄であってみれば――
芥川龍之介よ、それは真の地獄ではないのだ――
真の地獄とは――
芥川龍之介、お前の言うように、如何なる理(ことわり)からも隔絶した『行為』自体の狂気性にある――
お前が最もフォビアした狂気だ――
いや――であってみれば、我々は狂気の中にあってこそ、真に絶対の地獄に「在ることが出来る」のではないか?
芥川龍之介、君が良秀に言わせたように――
地獄よ、来い――
『来るがいい』では――ない――
自律的な願望の表現だ――
地獄よ、来い――
検索サイト Google 検索ワード 宮沢賢治 近親相姦 で つい先程の
2010/12/16 22:00:58
に来訪された
あなたが
260000アクセスでした――
ありがとう!
待ちに待っていた僕を感じて下されい!
ユニーク・アクセスですから、あなたは僕を知らない。
それでよいのです。
そうして、心から――ありがとう!
*
以上、ブログ260000アクセス突破記念として芥川龍之介「河童」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に公開、その『芥川龍之介「河童」やぶちゃんマニアック注釈』」も同じく「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に公開した。後者は、確かに僕の『覚悟』の注釈である――
これが、僕の総ての答えだと言ってもいい――
さても――僕のHP及びブログでの総ては、これを以って完全に復活することを宣言する。
*
――最後に――
今教えている2年生の、1組・2組・5組の3クラスの生徒一人残らず総て子らに――このテクストと注釈を――僕の人生総てを賭けて、心を込めて贈りたいと思う。 心から――ありがとう!
曇天の海辺だ――
浜辺のコテージではストックのハンカチをなくした少し滅入ったサティが、アプサント酒を飲み過ぎて少し陽気になったフランクと一緒に連弾をしている――フォーレはコントラバスの弦を外して傍の枯木に結わえた――
入り江の木蔭ではデュシャンがエルンストとチェスをしている――「王の入城」をしたエルンストに怒ったデュシャンが割れたガラスを投げつける――エルンストは数枚のシダの葉でそれをいなす――その傍らにイヴ・タンギーがパイプを吹かしながらマグリットの死んだ人魚の鱗を退屈そうに毟っている――
ドゥエンデに入ったアントニオ・ガデスと陰部丸出しのギリヤーク尼ヶ崎が岬の突っ端でランボーの詩を主題に踊っているのが遠く見える――隣りには、フェルディナン・グリフォンがダイナマイトを巻きつけたまま、手持ち無沙汰に魔方陣パズルの数字に頭を悩ませている――
と――その時――
フリードリヒの海辺を歩んでいた僧侶が――身を投げた!――
浜辺で焚き火をして、したたかに酔った三井弘次扮する遊び人喜三郎、一言、
「――折角の踊りを、チッ、ぶちこわしやがってぇ!――」
(拍子木が鳴って暗転)
終劇
*
このアルバム。昔の教え子が呉れた。この一ヶ月毎日、これしか聴いていない。以上は、そんな僕の孤独なディスクリプション――
ひとりの聖女からの罪深い口づけのためならば、私はペストでさえ天の恵みとして受け入れるだろう。
(E.M.シオラン「涙と聖者」金井裕訳より)
*
小さきテレジア……母……果てしなき希望……オイディプス……先生……靜……エリス……蜜柑を投げ打つ娘……ろおれんぞ……夕顔……あの夏の由比ヶ浜の少女……シャーレの中の、僕の死んだ妹……僕の娘や息子、無数の死んでいった精子……玄牝の涎……「こんな悲しい目に僕を逢わせないでお呉れよ!……僕というレプラに、触れてお呉れ!」……
ヨブ、宇宙の嘆き、そしてしだれ柳。……自然の、そして魂の開かれた傷口……そして人間の魂――神の開かれた傷口。
(E.M.シオラン「涙と聖者」金井裕訳より)
*
ヨブよ、僕は25歳の時、ユングの「ヨブへの答え」を読み、そして順序を違えながら「ヨブ記」を親しく読んだ。そうして、僕は、ヨブよ、君は神を越えたのだ、とずっと思ってきた。エホバの証人の勧誘でも、僕はそれを口角泡を飛ばして力説し、気が変な奴だと思われたらしく、早々にお引取りになられたのを思い出す。――しかし、とっくにシオランは――それを確かに論証していたことに――今日、僕は気づいたのだった――。
僕は三脚の椅子
座るあなたの支えなしには
あなたを支えられない
僕はあなたに愛撫されようなんて
もうこの古びた体では思わないが
せめて あなたの重みを
僕のこの身に感じながら
僕は その部屋に
あなたと「在る」 と
感じていたいのだ
*
今日、僕は――「僕」という存在の――辛き復活のスタート・ラインに――やっと立てた気がする――まだまだ先は遠い――けれど――僕は確かに――沢山の僕の教え子たちによって救われたのだ――僕は心から、あなた――あなた――あなた――総てのあなたに――心からの僕という老いさらばえた惨めな生き物の――しかし、確かな愛を――贈りたい……
死んだ小鳥は
葬らなければならない
ほんとうの空ならね
何時だって真青な色なんだ
そう思いながら
みきちゃんもかこちゃんもけんちゃん達も
みんな鉄砲なんかうたない
幸せな大人になるんだもの
そう思いながら
死んだ小鳥は
葬らなければならない
自身の不甲斐なさを冷徹に見直してみる必要がある。暫くブログの更新はお休みを頂戴する。〈但し、その間に260000アクセスが来た場合、芥川龍之介「河童」及び僕の覚悟の『「河童」マニアック注釈』の公開は行います。〉では、随分、御機嫌よう――