片山廣子短歌5首 昭和4(1929)年11月18日「読売新聞」掲載「名流和歌抄」より
動物、その他
なつめの實がこぼれおちてけふは秋晴れ空氣に猫の毛のにほひがする
日ぐれ建物はくらい窓を見せて不用の箱みたいだなかに小ねずみがあそんでゐるのか
さびしくえぢぷとの葉を吸ふときしろ蛇がすうつと出てゆきました
犬の眼よりもつと靜かな眼がみつめるあたしは空のまん中にゐるやうな眩暈がす
支那そばやが三角のひかりを投げてゆくくらい建物のすそにあたしはゐました
(底本は月曜社2006年刊片山廣子/松村みね子「短歌集+資料編 野に住みて」の短歌のパートの「拾遺」のものを用いたが、表記は恣意的に正字に直してある。)
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猫は芥川龍之介の思ひ出と直に結びつく(廣子の「黑猫」を參照されたい)――
「不用の箱」のやうな書き割りの中――寂しい「小ねずみ」の廣子が凝つと動かずに震えてゐる――
「えぢぷとの葉」は單子葉植物綱イネ目カヤツリグサ科カヤツリグサ属パピルス Cyperus papyrus L.で、これは芥川龍之介の「三つのなぜ」の「二 なぜソロモンはシバの女王とたつた一度しか會わなかつたか?」の映像に結びつくものに違ひない(ソロモンはイスラエル王國の王ではあつたがエジプトのファラオの娘を娶り、エジプトに臣下の禮を盡くした)。僕には白い蛇が龍之介の魂に見える――
龍之介の「もつと靜かな眼がみつめる」「あたし」の魂はふらふらと「空のまん中に」憧(あくが)れ出でてしまふ――そんな――「眩暈がす」る――
「支那そばや」の屋臺が「三角のひかりを投げてゆく」夜道――それは幽冥界の鬼火――こちら側に、獨り、取り殘されて「くらい建物のすそにあたしはゐました」……
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芥川の自死後、廣子が多少なりとも相応の数の歌作に復帰するためには、戦後を待たねばならなかった。その間でも、私的には歌を創ってはいたようであるが、その間、公開されているものは、多くがやや古い詠草の再録のようである。しかし、その中に、非常に奇異な口語短歌を見出すことが出来るのである。以上の5首がそれである。僕のHPの廣子の歌群を幾分でも読み馴染んでおられる読者には、恐らく、これが片山廣子の歌だと言わなければ、『今の』新進若手女性歌人の短歌だとお思いになるやも知れぬ。
――僕には、この一見ひょいと軽く詠み捨てたような歌柄にこそ、逆に廣子の心の深い傷痕(トラウマ)を見る思いがするのである――
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