地獄 芥川龍之介
地 獄
人生は地獄よりも地獄的である。地獄の與へる苦しみは一定の法則を破つたことはない。たとへば餓鬼道の苦しみは目前の飯を食はうとすれば飯の上に火の燃えるたぐひである。しかし人生の與へる苦しみは不幸にもそれほど單純ではない。目前の飯を食はうとすれば、火の燃えることもあると同時に、又存外樂樂と食ひ得ることもあるのである。のみならず樂樂と食ひ得た後さへ、腸加太兒の起ることもあると同時に、又存外樂樂と消化し得ることもあるのである。かう云ふ無法則の世界に順應するのは何びとにも容易に出來るものではない。もし地獄に墮ちたとすれば、わたしは必ず咄嗟の間に餓鬼道の飯も掠め得るであらう。況や針の山や血の池などは二三年其處に住み慣れさへすれば格別跋渉の苦しみを感じないやうになつてしまふ筈である。
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僕は特に謂うべき言葉を持たぬ。
それが「地獄」であるという以外には。
僕にとっては現実が『退屈な』地獄であるという現在的意味以外には認識はない――
しかし現実が不定則であっても、それが理智によってディスクール可能な地獄であってみれば――
芥川龍之介よ、それは真の地獄ではないのだ――
真の地獄とは――
芥川龍之介、お前の言うように、如何なる理(ことわり)からも隔絶した『行為』自体の狂気性にある――
お前が最もフォビアした狂気だ――
いや――であってみれば、我々は狂気の中にあってこそ、真に絶対の地獄に「在ることが出来る」のではないか?
芥川龍之介、君が良秀に言わせたように――
地獄よ、来い――
『来るがいい』では――ない――
自律的な願望の表現だ――
地獄よ、来い――