メタファーとしてのゴジラ 講義終了 そして クリスマス・プレゼントの数々 又は 肋骨に罅
「メタファーとしてのゴジラ」生涯3度目(2000年の中国南京大学での特別講義を含む)の講義を終了した。僕にはそれなりの充実感がある。僕は確かにこの数年の悶々とした中で、言いたくても言えなかったことを、言い得たと感じている。
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夕刻、整形外科で胸部レントゲンを撮った。肋骨が折れて内臓を破損している可能性はないと思ってはいたが、一部の肋骨に罅の入った骨折らしい影はあるものの、とりあえずは湿布で様子を見ることで済んだ。しかし、しっかり痛い。しかし、ほっとした。僕はこれから母を背負わねばならぬから――。
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昨日から何人かの教え子から思わぬクリスマス・プレゼントを貰った。来年のカレンダーや山形の「からかい」や「さくらんぼカレー」、近況の御手紙やメール――僕はそれで十全に至福である(面には現わさないものの、53歳のへたれ親爺でもクリスマス・プレゼントは、実はウレピい!)。今日の「ゴジラ」を飽きることなく聴いてくれた12人子ら(+先輩の先生1人。加えて「ゴジラ! どうしても聴きたかったのに!」と私用で出られず、わざわざ昼過ぎにいらした折りに僕にそう言って下さった女性の先生にも)も含めて、僕は心から感謝する――確かに教師をやっていて――よかった――としみじみ思った一日であった――
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