tempus fugit
ただ40年の間、パウエルの演奏する曲として意味も知らずにいたよ――ラテン語かい――なるほど、パウエルにも、そして今の僕に相応しいな――
では、お休み――僕はただぐっすり眠りたいだけさ――
« 2010年12月 | トップページ | 2011年2月 »
ただ40年の間、パウエルの演奏する曲として意味も知らずにいたよ――ラテン語かい――なるほど、パウエルにも、そして今の僕に相応しいな――
では、お休み――僕はただぐっすり眠りたいだけさ――
「やぶちゃん版萩原朔太郎全句集 縦書版」をやぶちゃんの電子テクスト:俳句篇に公開した。【二〇二二年二月二十六日追記】本文の一部を補正したところ、HTML版が上手く行かなくなっでしまったので、PDF版縦書でリニューアルした。
「原民喜句集(杞憂句集) 縦書正字版」をやぶちゃんの電子テクスト:俳句篇に公開した。ルビがないため、作業は短時間で終わったが、その分、横書頁との差別化をはかるために、総てが戦前・戦中の句であることを鑑み、句本文の漢字を恣意的に正字に換え、明朝のフォントもプロポーショナルから等幅に変更した。
――この句集の題名にお気きになられただろうか――「杞憂句集」――これは一つの推測でしかないのだが――本句集の題名をもしも民喜が戦前に命名していた――としたら――
*その可能性は「杞憂句集 その一」が昭和16年で終わり、末尾に「拾遺」があって及び民喜による「以下は新作」というパートがあることから、僕は極めて高いものと考えているのだ。
――杞憂――空が落ちてくる――そしてその下敷きになって死ぬことを恐れた杞の国のある人の、あり得ない愚かな馬鹿馬鹿しい憂い、不安――
――「杞憂句集 その二」は――「原子爆彈」の連作で終わる――
――その時! 天は落ちたではないか!……
――落ちて来た太陽に人々は焼き殺されて死んでいったではないか!……
「やぶちゃん版新版 冨田木歩句集 縦書版」をやぶちゃんの電子テクスト:俳句篇に公開した。
訳あって急遽作製したため、縦書の文字列の補正等をしている暇がなかった(それでも読みをルビに変更、横書版とは差をつけてある)。閲覧される際には文字列の不具合が生ずるので、IEの「文字サイズ」を「中」にし、「全画面表示」でご覧戴きたい。
――木歩よ――母と僕に、力を与え給へ――
感涙ナガレ 身ハ佛(ホトケ)、
獨樂(コマ)ハ廻レリ、指尖(ユビサキ)ニ。
カガヤク指ハ天ヲ指(サ)シ、
極マル獨樂ハ目ニ見エズ。
圓轉、無念無想界、
白金ノ獨樂音(ネ)モ澄ミワタル。
*
(昭和25(1950)年新潮文庫 神西淸編「北原白秋詩集」 「白金ノ獨樂」より)
しみじみと澪がわかるる、これがわかれか。
光りてながるるみをのすぢ、光りてゆらめくみをつくし。
*
(昭和25(1950)年新潮文庫 神西淸編「北原白秋詩集」 「眞珠抄」より)
本底本が神西の編になること落としていた。
暗(くら)きこころのあさあけに、
あかき木(こ)の實(み)ぞほの見ゆる。
しかはあれども、晝はまた
君といふ日にわすれしか。
暗(くら)きこころのゆふぐれに、
あかき木(こ)の實(み)ぞほの見ゆる。
*
(昭和25(1950)年新潮文庫「北原白秋詩集」 「邪宗門」より)
母なりき、
われかき抱き、
朱欒(ザボン)ちる薄き陰影(かげ)より
のびあがり、泣きて透(す)かしつ、
『見よ、乳母の棺(ひつぎ)は往(ゆ)く。』と。
時に白日(ひる)、
大路(おほぢ)靑ずみ、
白き人列(つら)なし去んぬ。
刹那(せつな)、また、火なす身熱、
なべて世は日さへ爛(ただ)れき。
病むごとに、
母は歎きぬ。
『身熱に汝(な)は乳母焦がし、
また、阿子(あこ)よ、母を。』と。――今も
われ靑む。かかる恐怖(おそれ)に。
*
(昭和25(1950)年新潮文庫「北原白秋詩集」 「思ひ出」より)
今日、95分×2の「ヤンデル教授最終講義 人類補完計画」を終えた。これが三年生諸君への僕の最後の講義となった。
終えた後、特別教室を去ってゆく一人の男子生徒が
「ああっ、面白かった!」
と友人に思わず発したのを、僕は耳にした。
僕も本当に、心から楽しかった。
僕の教師生活の中でも――今日は最上の『僕も楽しかった授業』であったのだ。
受けてくれた50数名(! お前ら、ホント! 病んでるゼ!)の生徒諸君、君らは確かに僕の最愛にして、確かに最高の『最後の』教え子であったことをここに表明する。
言い忘れたこと――ヒト個体は遺伝子のヴィークルであるという事実だ――生物の「種の保存」と「進化」という生物学的な知見の中では、最早、我々の「個」という「存在」に大した意味はない。我々は遺伝子の乗り物に過ぎないのだとすれば、弁護士は妊娠した胎児に十全に「在る」のである――更に、女性を三人の排除対象に入れたあなたは明確に間違っている――(閉経が相対的に近いから年上の女性はどうか? とした女生徒の意見も、「閉経」という現実を認識するにうとい男子には思いいたらぬ鋭い指摘であったが――しかし、クローンを創るにしても卵子は絶対に必要なのだ! そうして子宮も絶対的にね!――だから女は総て生き残らせる必要が(数学嫌いの理系的国語教師である)僕には明々白々の必須の前提的事実であったということだ。最後に、牧師は――これは僕のディベートで眼から鱗であったはずだから、ここでは繰り返さない。
僕はもう思い残すことはない――
僕にとって「いっとういい授業」は、「僕にとっていっとういい」んだから――もう、ないんだ、ということをここに告解しよう。
君らは確かに――僕にとっての告解聴聞僧であった――
それでこその「大団円」であった――大団円は一度きり――それは確かにあったし、僕が君らを愛するという言辞は――確かに『真』であると信じよ!
――さようなら、そして幸(さち)あれ! 僕の君たち!
“Here's looking at your, kids!”
――君らの瞳に乾杯!
きつねのろうそく見(みイ)つけた、
蘇鐵のかげの黑土(くろつち)に、
黃いろなてうちん見(みイ)つけた、
晝も晝なかおどおどと、
男かへしたそのあとで、
お池のふちの黑土に、
きつねのろうそく見(みイ)つけた。
註。きつねのろうそく。毒茸の一種、方言、色赤く黃し。
*
(昭和25(1950)年新潮文庫「北原白秋詩集」 「思ひ出」より)
失(な)くしつる。
さはあるべくもおもはれぬ。
またある日には、
探(さが)しなば、なほあるごとくおもはるる。
色靑き眞珠(しんじゆ)のたまよ。
*
(昭和25(1950)年新潮文庫「北原白秋詩集」 「邪宗門」より)
Animaris Umerus
和名 風感虫(フウカンチュウ)
「風に応じて――感応して――生きる虫」
である。
生物学的なタクソンは未だ不明である。正式和名の表明は本ブログが最初である。以後の呼称はすべて和名異名である。
母さん――僕はいつもそばにいるよ――だって母さんがいないと――僕は「いない」んだもの――
*
小さな空
青空みたら 綿のよぅな雲が
悲しみを乗せて 飛んでいった
いたずらが過ぎて 叱られて泣いた
こどもの頃を 憶いだした
夕空みたら 教会の窓の
ステンドグラスが 真赤に燃えてた
いたずらが過ぎて 叱られて泣いた
こどもの頃を 憶いだした
夜空をみたら 小さな星が
涙のように 光っていた
夜空をみたら 小さな星が
涙のように 光っていた
いたずらが過ぎて 叱られて泣いた
こどもの頃を 憶いだした
――詞・曲 武満徹――
音源はこれ――波多野睦美&つのだたかし――以外は、全くだめだ!――但し、このネット音源もどうにも録音が劣悪であるし、失礼ながら映像も見るべきものを感じない。音だけ聴き給え!――しかし! 他の演奏を聴くのならこれに若くはない!!!――
*
母さんが言ってた……この時の母さんの服はピンク色なんだ……お前はゲエロックみたような二列ボタンの園児服を着て虎の威を借る狐を帽に頂き相変わらず不遜な表情で其処に立っているじゃないか……それは 「今のお前」と少しも、変わらないのではないか?……
あかしやの金(きん)と赤とがちるぞえな。
かはたれの秋の光にちるぞえな。
片戀の薄着(うすぎ)のねるのわがうれひ
曳舟(ひきふね)の水のほとりをゆくころを。
やはらかな君が吐息(といき)のちるぞえな。
あかしやの金と赤とがちるぞえな。
*
(昭和25(1950)年新潮文庫「北原白秋詩集」 「東京景物詩」より)
毛蟲、毛蟲、靑い毛蟲、
そなたは何處(どこ)へ匍うてゆく、
夏の日くれの磨硝子(すりがらす)
薄く曇れる冷たさに
幽(かすか)に、幽に、その腹部(はら)の透いて傳はる美しさ。
外(そと)の光のさみしいか、
内の小笛のこひしいか。
毛蟲、毛蟲、靑い毛蟲、
そなたはひとり何處へゆく。
*
(昭和25(1950)年新潮文庫「北原白秋詩集」 「思ひ出」より)
このクソ忙しい時期に実力テストの作問をせねばならぬとて徹夜をした。やっと自分の時間が取り戻せると思った頃には、アリスの散歩に母の見舞いに、夜の買出しに夕食の準備――これが僕が至っている現実である――これはもう毛虫の方がよっぽど自由だ――
このような巨大な海浜海岸性生物種が2011年の現在まで殆んど知られていなかったというのは前代未聞の出来事である。この新種には既に、
Animaris Umerus,1990 JANSEN
という学名がつけられており、数種の信頼出来る映像記録も撮られている。以下のAlexander Schlichter 氏が撮影した驚くべき映像が本種の生態を最も正確に捉えたものとして信頼出来る。
外見からは一見、節足動物の一種に見えるが、私の知る限りでは類似種は全くない。未報告であったのは、一見、クチクラ層によって形成されていると思われる複雑な(しかしそれは規則的な反復をも示しており、そこは環形動物に類似した特性も見られるし、映像の一部にはペットボトルに似た突起が複数個並んでいるのが認められることからは棘皮動物の管足構造との相同性をも感じさせるものである。さればこれはある種の機能特化した我々の未知の動物の群体である可能性すらもあるのである)体幹及び翼形をした鰭状部分が恐らくは死後急激に分解するためではないかと思われる(従ってそれは我々の機知の死後残存性の高いクチクラでは、実はないものと思われる)。内臓や口吻及び排泄器、種々の感覚器官と思しいものも映像からは視認出来ないところから、何らかの生物をその節足部分に共生させている可能性が疑われる。しかしゾーザンテラのような藻類であれば体色がこのように肌色を呈していることはあり得ず、常温の砂浜海岸に棲息するバクテリアなどを、その円柱状に変形しローラー様に特化した下肢の最下部から摂取して共生させているものとも推測される。
なお、発見者のテオ・ヤンセン氏は元は物理学者、現在は画家である。映像から見るとビーチ・コーミングが趣味で、その最中に稀有のこの巨大海岸生物に遭遇したものと推察される。
本種の英名は“Strand Beast”である。[藪野唯至注:現在、正式和名はない模様であるが、強いて訳せば「浜獣(はまのけもの)」「浜虫」である。しかし、これでは学名に比して(以下を参照)如何にも無粋である。速やかに相当な正式和名が命名されてしかるべきである。]
因みに学名の“Animaris Umerus”は羅和辞典で調べてみると、
「空気の肩」若しくは「空気の上膊部」
を意味するものと思われ、その映像に残された生態からも至当な命名と思われる。[藪野唯至注:一部の報道では本種を「砂浜の生命体」と邦訳しているが、これは“Animaris”の派生義である「活力のある」「生ける」という意味で取り違えて、英名とごっちゃにした誤訳と思われる。従って私はこれを正式和名としたくない旨、ここで声を大にして叫ぶものである。]
*
以上は、2011年凡夫社刊「世界嘘八百科事典」より、生物学墓士 Yandel Yabunovich Tadasuky 跛馬奴大学客員教授の英文記載より藪野唯至が翻訳引用したものである。
*
【2011年1月23日追記】
僕の知人である冬虫夏草の専門家Cordyloceps氏によれば、本種の増殖方法は何らかの未知の感覚器によって観察者の心理状態を察知し、本種を増殖させたいと思わせて、その観察者によって次世代を増やすという見解を示しておられる。これは種保存に於いて極めて有効且つ効果的な手法であるが、この実体が事実として判明した場合、この狭い地球はあらゆる生物種で充満してしまうが故に、解明の公開を憚られるものとも思われる。これは私には遺伝子操作など比ではない、とんでもない至高の種保存の戦略システムであると思われ、極めて興味深いものではある。
「篠原鳳作句集」の読みをルビ化し、「篠原鳳作句集 縦書版」を作製した。本HP最初期の最も愛する句集を遂に縦書にし得た。僕にとっては、相応な感慨がある句集である。
――この金剛石原石の光輝を放つ篠原鳳作が、もっと長命であったならば、恐らく現代俳句シーンはもっと早く航路を変更し、もっと素直に現代俳句が人々に馴染んでいたに違いない――と、お目出度くも真剣に、僕は思うのだ――
海の旅
滿天の星に旅ゆくマストあり
しんしんと肺碧きまで海のたび
幾日いくかはも靑うなばらの圓心に
感涙ナガレ、身ハ佛(ホトケ)、
獨樂(コマ)ハ廻レリ、指尖(ユビサキ)ニ。
カガヤク指ハ天ヲ指(サ)シ、
極マル獨樂ハ目ニ見エズ。
圓轉、無念無想界、
白金ノ獨樂音(ネ)モ澄ミワタル。
*
(昭和25(1950)年新潮文庫「北原白秋詩集」 「白金ノ獨樂」より)
何だか癪だ――やつぱり白秋は言葉の掬ひ方が如何にも氣障で上手いぢやないか――ちえ――
「杉田久女集」の読みをルビ化し、同時に「杉田久女集 縦書版」を作製した。
久女さん――僕は小菊を携えて貴女を春の山中にきっと探しに行くから――貴女は不如帰の鳴く馬酔木の木蔭で僕のために鯨刺しを料理(りょう)って――この僕を待っていて、お呉れよ――
「杉田久女句集 縦書版」を作製した。この句集は僕が愛する久女の全句から特に僕の琴線に触れるものを選句した全くのオリジナル句集である。
今日、神経内科の主治医と母と三人で面談した。神経パルスの検査データを貰ったが、下肢には全く反応がなく、上肢は異常ながらも反応が出ている。
筋萎縮性側索硬化症
又は
類似した運動ニューロン疾患
又は
慢性炎症性脱髄性多発神経炎(CIDP)
の極めて、極めて稀な主に下位に集中して発現するタイプの可能性を告知された。これらは僕の知見ではウイルス病原体説や自己免疫システム異常による自己生体への攻撃説(自身の細胞を異物として攻撃してしまう)が挙げられているものの、結局、原因不明というのが現状だ。これらの病気は、ただ症状の結果を表現しているに過ぎない。難病奇病の類いである。
特に三番目の病名は――最後の手段としてγグロブリン治療を試したい――と言った医師に対して、僕が「それはCIDPですね?」と確認した病名――即ち、僕がこの数ヶ月母を見てきて独自に推測した僕の見立てと一致するものでもあった。
γグロブリン――
思い出すなあ――教員になったその年、生徒から水疱瘡を移された時、打った注射だぜ――30年前で1本7000円もしたな――思わず僕は「給料日までツケにして貰えますか?」と言ったもんだ――大船共済病院(現・栄共済病院)の、たいそう美しい皮膚科の女先生だったが――にっこり笑って「いいですよ」と言ったのを――今のはもっと純度が高くて1単位何と100万円以上するそうだ(但し、高額医療制度の保険適応対象になっているから、どうということはない)――
副作用として血漿製剤であるから非濾過性ウイルスによる感染や血液の粘性が高まることによる脳梗塞発症などを医師はインフォームド・コンセントして挙げたが、僕の調べた限りでは、この療法は多様な病気の治療に於いて小児にも施されており、副作用のリスクは極めて低い。
ただそれが母の現在の症状及びその進行阻止に効果があるかどうかは――これ、全く分からぬ――そもそも病名自体が推測であるからして……しかし試す価値はあることは確かだ。
それにしても杓子定規な厚生労働省の役所根性によって、母がこの治療を受けるには、形式上、一回退院をせねばならぬというのである。アホでクソな仕儀だ。代議士が汚職で捕まりそうになると、何ヶ月も虎ノ門病院に入る癖にだ――これが「命だけは平等」なんぞとほざいている今の医療の現実なのだ。
以上が、母の現状である。
どうか皆さん、「小さきテレジア」聖子(母の本名です)の快復を祈ってやって下さい。
石が落ちてる
ほら 賢治が説教臭い意味を見つけた石――
人魚がいるよ
ほら 中也が否認した饐えた魚体――
クソの臭いがする
ほら 龍之介と廣子の秘かな二人が出逢った蝶の群がる馬糞――
笹の舟をたくさん流せ
ほら 亀之助の最後の晩餐だ――
――
僕は 僕のために 僕の 僕だけの無礼講をしよう――
背筋伸ばして 行こうぜ――旅に――
冷たきものは蛇の舌、タンゴ踊の眼(め)の光
執念(しうねん)の白蛇死んだ女王の陰(ほと)に入る、といの。
悲しや、鐘の中の安珍(あんちん)、金の中の眸(め)、
蛇も交(さか)るか眞實に、そのほかはみな嘘ぞかし。
ほれぼれと、女から、だまされて見たやの。
*
(昭和25(1950)年新潮文庫「北原白秋詩集」 「眞珠抄」より)
なお、2行目「執念の白蛇死んだ女王の陰(ほと)に入る、といの。」の後には五文字下げで
註。女王はクレオパトラ
とあるが、僕なりのこの不思議な韻律の詩の流れを考えると、ここに置いた方がよいと考えた。
*
秘やかにカテゴリ「北原白秋」を創始した。――但し、僕は人間としての白秋がどうしても好きになれないでいる。それはただ一点による。大手拓次の「藍色の蟇」の詩稿を握った儘、拓次の生前、遂にそれを出版しなかった彼に対する恨み故である――
思ひ出は首すぢの赤い螢の
午後(ひるすぎ)のおぼつかない觸覺(てざはり)のやうに、
ふうはりと靑みを帶びた
光るとも見えぬ光?
あるひはほのかな穀物(こくもつ)の花か、
落穗(おちぼ)ひろひの小唄か、
暖かい酒倉の南で
ひき毟(む)しる鳩の毛の白いほめき?
音色(ねいろ)ならば笛の類、
蟾蜍(ひきがへる)の啼く
醫師の藥のなつかしい晩、
薄らあかりに吹いてるハーモニカ。
匂ならば天鵝絨(びらうど)、
骨牌(かるた)の女王(クイン)の眼(め)、
道化(だうけ)たピエローの面(かほ)の
なにかしらさみしい感じ。
放埓(ほうらつ)の日のやうにつらからず、
熱病のあかるい痛みもないやうで、
それでゐて暮春のやうにやはらかい
思ひ出か、ただし、わが秋の中古傳説(レヂエンド)?
(昭和25(1950)年新潮文庫「北原白秋詩集」 「思ひ出」より)
そろそろ僕の我儘な時間が終わりかけていることを感じているのだ。――だからこそ、僕のやりたい――やれることを存分にやってみようじゃないか――という気にもなっている、とだけ言っておこう――
何が何でも出て行こう
僕は
「家出娘」になって
何が何でも出て行こう
――クォ・ヴァディス?――
僕は
あらゆる「在る」ことを呪いながら いや 拒みながら
それが 家出娘
確かな 家出娘
それに憧れる――
家を出るのは
娘=小娘=ノラ=女=少女=永遠に大人であることを拒絶しながら女である少女である/でしかない/であることが出来る
だから彼女だけに それは出来る――
少年は家出しない/出来ない
家出しても 放蕩息子は 所詮 惨めに帰還し父に縋りつくしかないのだ――
そして それは「家出」ではない――
少年は 所詮 父の前に懺悔する――
しかし 少女は 決して帰らない――
懺悔はしない――
する必要がないからだ――
僕は少年でない少女の気持ちが 今少し 分かったような気がする――
(気がするだけで それは 偽 に違いないのだが)
プエル・エテルヌスであること――それは実はやさしいことなのだ――
が――
女が女であることは――
少女が少女であることは――
とんでもない覚悟がいるのだ――
――ワン・シーンを援用させてもらったが、本記載は残念ながら山下監督の映画「リアリズムの宿」とは全く無関係な僕の夢想のでィスクリプションであることを、ここに付言しておく――
僕が何だか死にそうだって? それはお門違いというもんだぜ!……殺さないでくれ給え! 僕は何が何でも、あと一年は生きるんだ、生きずにはいられないね!……何故かって? 簡単さ! とある外国の作家の邦訳を電子テクストにし、原文と併記した上で、無知無謀なる掟破りのオリジナル注をつけたいからさ!……その翻訳者っていうのが、これまた、まるでマイナーな方でね、ネットでも図書館でも没年が分からなかった……先日、やっとこさっとこ、かつてそのターゲットの本を出版した、日本一有名な権威的書店に連絡をとって、失礼乍ら、とその方の没年の確認をとったところが、だ……オー! マイ・ゴッド! 著作権が切れるのは来年の1月1日だということが分かったんだわ……あと一年、何が何でも僕は生きる、という訳さ!……是が非でも、ね!……
芥川龍之介「冬心 《新・旧全集併載版》」 及び縦書の性能を生かした「冬心 《新・旧全集併載・原稿用紙推定準拠縦書版》」 を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に公開した。
縦書に漫然ときゃっきゃ言ってると、笑われる。既存のテクストの安易な改造と批判される前に、新たなテクストに縦書を生かした別バージョンを公開する。
ともかくも、失意の僕には、辛くもこの縦書によって、新たな僕のHP上での素敵にわくわくする世界への可能性が広がったことだけは最早、疑いようがないほど確実である。これも「つくば原人」様のお蔭である。ここに再び、感謝致します。
僕の「こゝろ」のフェイク「こゝろ佚文 縦書版」を作製した。
この作品には個人的な深い思い入れがある。
ここに仕掛けたいろいろなトラップは、必ずしも総ての読者に分かるとは思っていない。それでも僕が確信犯で登場させた芥川龍之介の面影に気づいて戴ければそれでよい――それ以外は、ある意味、私の人生の秘かな自慰行為でもあるからだ。
しかし、この最初の稿(クレジットよりも前である)を書いてから――あの頃、違った意味で人生に危なげだった自分が、今となっては逆に懐かしい気がする――もう10年が経つのか。――
そうして――そうして今も僕の中の「先生」は、
――「私といふ存在は、確かに、失敗でした。」――
と呟き続けるのである――
今日の〆に――せめて自分の句集ぐらい、縦書にしとかんとな――
この作業で分かったのは、HTMLソースで一行ごとに行間やフォントを自在に変化させるのは、結構、面倒だということであった。老眼の僕には、タグが粉雪のようにチラついて、難行苦行、おまけに多分これかな? という非能率的試行錯誤であるから(基本的なタグの一覧さえ実は見ていない)、とんでもない仕儀ではある。
それでも早速に、知人から「しず子句集」「芥川龍之介遺書」の縦書に熱烈歓迎のメールが舞い込んだ。
誠に、たかが縦書――されど縦書――である。
向後は、必要度の高いと思われるものから、のんびりゆっくらとやってみたいと思っている。
「芥川龍之介遺書全六通 他 関連資料一通――二〇〇八年に新たに見出されたる遺書原本 やぶちゃん翻刻版 附やぶちゃん注――縦書版」を公開した。
これこそ、芥川龍之介の遺書原本に近づけるためにこそ――是が非でも縦書でなくてはならぬ――ということに気づいた。
確かに――これでこそ遺書である!――
ご覧になる環境によって、いろいろと不都合があるやも知れぬ。こうした方がいいのでは? という御助言も歓迎――どうぞ、お気軽に御連絡あれ。
初めての手探りの仕儀で、『やぶちゃん版鈴木しづ子句集(旧「鈴木しづ子句集」改訂増補版) 抄出217句』の縦書版を公開した。
「つくば原人」様からの御教授を受け、取り敢えず、試験的に作製してみた。僕のHPビルダーは、手動でHTMLを縦書に書き換えると、自動的に「エラー修正」と称して、制作を拒否されてしまうので、縦書になったときのイメージを描きながら横書で補正に補正を加えて保存した上で、プレーンのソースで、縦書にし、更に不具合を補正するという結構面倒な仕儀とはなった――が――やっぱ、縦書はええなぁ! 俳句は縦書でなきゃ、あかんわ!
是非是非、哀しくも美しいしづ子の句を、お詠みあれかし!――
野をこめて
夜霧はふかく
露ふかく
哲人黙して
寒燈の
及ばぬところ
ただ風が鳴る
何だか、今日只今(もう昨日になってしまったけれど)、見知らぬ人の誠意に救われた気がしたのである――
その恋を捨てるのか
その三百年を捨てるのか
待つことのできる恋ならば
めのうのように結ばれるだろうに
その恋を語れるのか
その三千年を語れるのか
遠い恋について考える時
共に考え続けられるのか
考え続けられる恋ならば
海溝のように深まるだろうに
その三万年を
その三億年を越える月日を
語り続けられるのか
考え続けられるのか
*
ソロモンとシバのたった一度の恋は龍之介と廣子の邂逅から遡ること、実に三千年前のことだった――そうして三億年前――ソロモンとシバと後になる龍之介と廣子は――確かにゴキブリの祖先として地中深くの岩盤の間で互いの体を寄せ合い、暖めあっていた――そんな重なり合った化石を僕は確かに見たような気がする――村上昭夫よ、君の最後の畳みかけた疑問文は――少なくともこの二人には――「語り続けられる」のであり「考え続けられる」のであったと僕は信ずる――では、君は? そして、僕は?――それはきっとちっぽけな貴方や下劣な僕の問題では『ない』のかも知れないとは思わないか?――恋は一人では出来ぬことは自明であると知っていながら近代人の僕らは、必ず確信犯のように『恋』を単独者として語ってはいなかったか?――「語り続けられる」「考え続けられる」恋をするための、確かな相対する恋人の存在なくしては――それはそもそも命題として成立しないのである――でも――大丈夫さ――村上君、僕は確かに――君に確かに恋しているから……
芥川龍之介「絹帽子(シルクハツト) 附別稿」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に公開した。
すべてを疑え そして すべてを愛せ
これが 僕の愛する永遠の少年と少女であるべき君らへの おぞましき拒否すべき成人式への『贈る言葉』である――
しかし――めでたい!――おめでとう!
いいか?
世界を我がものにしたつもりに一度はならねばならぬ!
――いや それが青春というものなんだ――
山の仲間と飲む――八ヶ岳の思い出――それで僕の憂鬱は完成するのだ――
……あの日……僕らは抜けるような山巓で遂に全部を踏破した山々を眺めていた……言葉少なに しかし それぞれの満ち足りた思いとともに……それを僕は忘れない――
あの日の一日目の赤岳や阿弥陀岳が見えるね……あの阿弥陀の登りは恐かったな、直英よ……
3日目の横岳から硫黄岳へ……このパノラマを僕らは歩いたのだ……僕の素敵な憂鬱に、乾杯!……
各人への追伸:
――プエル・エテルヌス悠理よ、写真、使わせてもらったぜ。そうそう、探検部、くれぐれも洞窟は気をつけな。『穴』は何にせよ、危険がアブナイよ!
――マイ・ウェイ・マイ・ロード・ショウゴ、ヘイ! ヤンキーに生き胆抜かれねえよう、アテンションしてな、大和魂は白雪姫を略奪するぐらいじゃなけりゃ、グッドじゃあ、ねえ!
――山での女房役たる結生(むすぶん)! 何時も君のコップで水を飲んでたな、俺は。昨日の「一勝地→真幸」というのは、切符が哲学してるなあ! 凄い! 君のことだから、当然これは実在するのだと踏んだ。やっぱり、あるある! 何と! これ両方とも同じ路線じゃあないか?! JR九州肥薩線( えびの高原線)だ。一勝地駅(熊本県球磨郡球磨村大字一勝地)と真幸駅(宮崎県えびの市内竪)――いやあ、凄い! 凄い!
――風狂人直英よ、今度、その彼女と三人で飲みたいもんだ! しっかり捉まえて、決して離してはいかんゾ! 俺は、そうして人生に失敗して、憂鬱を完成させることと、相成ったのだ!
――芸の広がりが人を成長させることを感じさせる真打タイゾウとシェイプアップしたイケメン・セッキーも――また、飲もう、というか、食おう!
パソコンが死ぬ前に辛くも――「新編鎌倉志卷之二」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に公開出来た。
――勘違いしてもらっては困るが、「徧界一覧亭記」の禪臭芬々たる厖大な詩群なんぞは(分からんながらも、作業していると後に行くほど、流石に種切れで相同語句や表現が頻出するのが分かる)、その殆んどが僕にはちんぷかんである。――こんなもん、読解鑑賞した上でテクスト化しろなんぞと言われたら、命が幾つあっても足りゃしねえ――
――この二卷では最後に僕の大好きな十二所(現在は「じゅうにそ」と発音する)の御塔ヶ窪(首塚のある谷戸。籾塔という鎌倉市最古の石塔が漫然と転がっている)や頬焼け阿弥陀の光触寺を所載している――ああ、ここに僕は何度一人向け、何人の人を案内したことだろう――何度か逢った先々代の住職には「アンタは儂よりよう知っとる。儂が説明するまでもない」と言われたのを思い出す――
――33年前――あの参道への道の左手に藁葺の民家がまだ残っていたね――そして、その屋根には――小泉八雲が鎌倉を描写した(「江ノ島行脚」だったか)中にあったように――鮮やかな色の軒菖蒲の葉が――初春の青い空間を鮮やかに切り取って映えていたね――僕は、生涯で軒菖蒲を見たのは、あの時、きりだったんだ――あんなに美しい天然自然の飾らぬ美の差配を、貴女と見た――それはあの時、きりだったんだね……
………遂に逢はざる人の面影………
……では……もしかすると随分、御機嫌よう――
(追記:どうもディスプレイのハード的な損傷であるようにも思われ、これはもしかすると、それほどのことでもない――蛸足にしていたディスプレイの配線を正真正銘の基盤から引き直したところ、今のところ一度もブラック・アウトしなくなったし、或いはいざとなったらディスプレイそのものを丸ごと取り替えちまえば済んでしまうようなことのようにも感じられないではない――だがしかし、悪いことばかりしか起こらぬ昨今だ――僕はもう誰も何にも信じない。だから事前に明日の分はセットしておいたんだよ。)
理由が分からないが突然パソコンが死にかけているようだ――もしかするともう永い間、皆さんともお別れかもしれない――母は歩行不能になって増悪するばかり、原因も分からない。今日、再び手術をした湘南鎌倉病院に再び転院した――かろうじてパソコンが生きているこの瞬間――随分、御機嫌よう――「新編鎌倉志」の卷之二も苦節の末に完成間近だというのに――これも試練ではなく――全くの神の悪意だろ――神何ぞというおぞましいものがあるとすればの話だがね……
以前にお示しした芥川龍之介の自死の際に着していた自身の中国土産の遺愛の浴衣を今一度ご覧頂きたい。
次に、芥川龍之介の死後に岩波書店から昭和5(1930)年に刊行された芥川龍之介作品集「大導寺信輔の半生」の本体表装をご覧頂きたい(僕の所持する岩波の2001年の復刻本を使用)。
この絵は目録(目次)の裏に「小穴隆一畫」とある。ところが、先日、知人の指摘を受けて、この絵をよく見てみた。すると、この鹿の絵の周囲を廻っている紋様が、上に示した浴衣の前の合わせの部分を中心とした文様と一致することに気づく。そうしてこの絵を左に90度回転させると、
上部の二重になった紋様部分が、この浴衣の前の合わせの上部の紋様と完全に一致するのが分かる。但し、鹿の絵の多くの箇所や周囲の紋様の細部を見ると、有意な筆の擦れや紋様の断絶箇所が見られ、これは確かに『小穴が描いた絵である』ということもはっきり分かるのだ。
浴衣の前の合わせ部分は、その襟部分で絵が隠れているために判然としないが、向かって左部分(右胸部分)には象らしき獣が向かって右を頭にして四足を左(右袖方向)へ延ばしている(立っている)のが分かる。向かって右部分(左胸部分)には鳥が描かれており、これは二つの脚を浴衣の下の方に向けて揃えて、右胸のそれとは完全な対称として右(左袖方向)を地面として飛んでいるように見える。
対する、この表紙絵は向かって右を地面として角のある鹿が立っている。
則ち、この「大導寺信輔の半生」の本体の表装画は、あの自死の浴衣の裏、芥川龍之介の右背中部分に染め出されてあった衣紋意匠を、芥川の死後、遺品となったそれから、小穴が絵として写しとったものなのではなかろうか?!
……而して……僕の気持ちは遙かに翔ぶ……芥川龍之介の……その心臓の停止を……その重みと共に感じ取った左胸背部にあった動物は……何だったのだろう? と……識者の御教授を乞う――
世界は愚劣で退屈ではある――しかし――愚劣で退屈でないものが――果たして「ある」と言えるのは――それが神のみであるという逆説に於いてのみ――正しい。
君を愛しているが――
それを十全に表明出来ない世界に僕は生きているらしい――
それを十全に表明出来る世界に、僕は残念ながら再生する可能性を信じないのだ――が――事実として愚劣なあの世(愚劣であることが如何にも素敵じゃないか!?)が「確かに」ある――そしてそこにおぞましくも再生することが辛くも可能であるならば――僕は永遠に『そこ』で待っていよう――誰でもない、確かにやってくることの永遠にないゴドーたる『素敵な君』を待ちながら――
「実際は、影も形もない?」
「それが、ぼくたちの古い処方箋だった」
「淋しさの中に落葉がふる」
「さよなら、太陽も海も信ずるに足りない」
*
鮎川信夫「死んだ男」より。森川義信は私のテクストの彼の詩集を――
――社会的「人生」という真命題は「青春」という個人的偽命題より――遙かにおぞましく究極に於いて救い難く愚劣である――それが「人生」というものの正体である――
*
そんな風に――読む僕をせせら笑うかね?
新春らしい一篇を。芥川龍之介「比呂志との問答」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に公開した。
水戸光圀纂録・河井恒久纂述・松村清之考訂・力石忠一参補「新編鎌倉志卷之一」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に公開した。
――さても、これが今年の私のアンガジュマンだ――
10代の終わりから生まれ故郷である鎌倉を跋渉してきた。相応な郷土史研究もして来たが、不図、気がついたらまるで歩かなくなっていた。鎌倉の山々から離れて、もう15年程経ってしまった。教員になりたての23の頃、神田の古本屋で市史の白眉と呼ばれた「鎌倉市史」の「考古編」と一緒に、この底本とした「日本地誌大系」の「新編鎌倉志・鎌倉攬勝考」を見つけた時には、天にも昇る思いがしたのを今も忘れない。
「鎌倉市史」はそこに多くの名を載せている父に贈った。父は鎌倉学園の考古学研究会を創始した一人で、「鎌倉市史」編纂の頃には、そんな学生の父の杜撰な資料でさえ必要なほどに、鎌倉の古代遺跡群は完膚なきまでに宅地化されて消滅していたのである。
「新編鎌倉志・鎌倉攬勝考」は、鎌倉フリークでこれを知らない者はモグリと言わざるを得ない傑出した近世の鎌倉地誌である。大袈裟に言えば、今の鎌倉ブームのルーツは、ここにあると言ってもよいのである。――そうして――最早、致命的に失われてしまった真の『古都』鎌倉の遺跡・史跡には、この二作品を通してのみ、面影を知り得るすべがないものも、また多いのである。
――因みに神田で「天にも昇」ったのは僕の心だけではなくて、財布の中身も大枚の札ビラが昇天した――確か二冊で軽く3万円を超えていたように思う――その日の晩飯は、素(す)の立ち食い蕎麦一杯と相成ったのであった――
*
文章は決して平易ではない。相応な歴史的知識も要求される。覚悟を持って読まれたい。
――さても――僕のこの翻刻でさえ――一体、今年、どこまで辿れるのかも分からぬが――僕が青年の頃、胸一杯に吸っていた、あの歴史と文学と人気のない鎌倉の山々の香気を、今一度、味わってみたくは、なったのである……。
迎春 本年もHP「鬼火」とともに御愛顧の程相願い奉りまする――
2006年5月18日ニフティ・ブログ・アクセス解析開始以来、現在、累計アクセス数261966、一日当平均アクセス数155――楽しきことの一つだになかりせばせめてもの幻想のいや栄を我がHPとブログにのみ求めんとす――
書初めとして拙作『Homo animalis sapiens から Homo animus sapiens へ――太田豊太郎という進化 或いは 茨冠せる巫女エリス――「舞姫」小攷』を「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に公開した。――これが今年『最初』の覚悟のテクストである――
現役3年生ナル教ヘ子諸君ヘ。
12月の卒業テストの模範解答の裏側にあった奴を更にリニューアルしてある。受験が済んで落ち着いたら、また覗いてみて呉れ給へ。
――健闘ヲ祈ル――各個撃破セヨ――
*
今年は一体何が起こるやら――「皆目見当がつかぬ」という言辞が真に迫って感じられる――しかし、一つ自己拘束しよう。
新しいプロジェクトの合言葉は――鎌倉――だ!