序詩 北原白秋
思ひ出は首すぢの赤い螢の
午後(ひるすぎ)のおぼつかない觸覺(てざはり)のやうに、
ふうはりと靑みを帶びた
光るとも見えぬ光?
あるひはほのかな穀物(こくもつ)の花か、
落穗(おちぼ)ひろひの小唄か、
暖かい酒倉の南で
ひき毟(む)しる鳩の毛の白いほめき?
音色(ねいろ)ならば笛の類、
蟾蜍(ひきがへる)の啼く
醫師の藥のなつかしい晩、
薄らあかりに吹いてるハーモニカ。
匂ならば天鵝絨(びらうど)、
骨牌(かるた)の女王(クイン)の眼(め)、
道化(だうけ)たピエローの面(かほ)の
なにかしらさみしい感じ。
放埓(ほうらつ)の日のやうにつらからず、
熱病のあかるい痛みもないやうで、
それでゐて暮春のやうにやはらかい
思ひ出か、ただし、わが秋の中古傳説(レヂエンド)?
(昭和25(1950)年新潮文庫「北原白秋詩集」 「思ひ出」より)
« 僕は | トップページ | 蛇の舌 北原白秋 »