水戸光圀纂録・河井恒久纂述・松村清之考訂・力石忠一参補 新編鎌倉志卷之一
水戸光圀纂録・河井恒久纂述・松村清之考訂・力石忠一参補「新編鎌倉志卷之一」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に公開した。
――さても、これが今年の私のアンガジュマンだ――
10代の終わりから生まれ故郷である鎌倉を跋渉してきた。相応な郷土史研究もして来たが、不図、気がついたらまるで歩かなくなっていた。鎌倉の山々から離れて、もう15年程経ってしまった。教員になりたての23の頃、神田の古本屋で市史の白眉と呼ばれた「鎌倉市史」の「考古編」と一緒に、この底本とした「日本地誌大系」の「新編鎌倉志・鎌倉攬勝考」を見つけた時には、天にも昇る思いがしたのを今も忘れない。
「鎌倉市史」はそこに多くの名を載せている父に贈った。父は鎌倉学園の考古学研究会を創始した一人で、「鎌倉市史」編纂の頃には、そんな学生の父の杜撰な資料でさえ必要なほどに、鎌倉の古代遺跡群は完膚なきまでに宅地化されて消滅していたのである。
「新編鎌倉志・鎌倉攬勝考」は、鎌倉フリークでこれを知らない者はモグリと言わざるを得ない傑出した近世の鎌倉地誌である。大袈裟に言えば、今の鎌倉ブームのルーツは、ここにあると言ってもよいのである。――そうして――最早、致命的に失われてしまった真の『古都』鎌倉の遺跡・史跡には、この二作品を通してのみ、面影を知り得るすべがないものも、また多いのである。
――因みに神田で「天にも昇」ったのは僕の心だけではなくて、財布の中身も大枚の札ビラが昇天した――確か二冊で軽く3万円を超えていたように思う――その日の晩飯は、素(す)の立ち食い蕎麦一杯と相成ったのであった――
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文章は決して平易ではない。相応な歴史的知識も要求される。覚悟を持って読まれたい。
――さても――僕のこの翻刻でさえ――一体、今年、どこまで辿れるのかも分からぬが――僕が青年の頃、胸一杯に吸っていた、あの歴史と文学と人気のない鎌倉の山々の香気を、今一度、味わってみたくは、なったのである……。