パソコン危篤状況の中で辛くも「新編鎌倉志卷之二」公開!
パソコンが死ぬ前に辛くも――「新編鎌倉志卷之二」を正字正仮名で「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に公開出来た。
――勘違いしてもらっては困るが、「徧界一覧亭記」の禪臭芬々たる厖大な詩群なんぞは(分からんながらも、作業していると後に行くほど、流石に種切れで相同語句や表現が頻出するのが分かる)、その殆んどが僕にはちんぷかんである。――こんなもん、読解鑑賞した上でテクスト化しろなんぞと言われたら、命が幾つあっても足りゃしねえ――
――この二卷では最後に僕の大好きな十二所(現在は「じゅうにそ」と発音する)の御塔ヶ窪(首塚のある谷戸。籾塔という鎌倉市最古の石塔が漫然と転がっている)や頬焼け阿弥陀の光触寺を所載している――ああ、ここに僕は何度一人向け、何人の人を案内したことだろう――何度か逢った先々代の住職には「アンタは儂よりよう知っとる。儂が説明するまでもない」と言われたのを思い出す――
――33年前――あの参道への道の左手に藁葺の民家がまだ残っていたね――そして、その屋根には――小泉八雲が鎌倉を描写した(「江ノ島行脚」だったか)中にあったように――鮮やかな色の軒菖蒲の葉が――初春の青い空間を鮮やかに切り取って映えていたね――僕は、生涯で軒菖蒲を見たのは、あの時、きりだったんだ――あんなに美しい天然自然の飾らぬ美の差配を、貴女と見た――それはあの時、きりだったんだね……
………遂に逢はざる人の面影………
……では……もしかすると随分、御機嫌よう――
(追記:どうもディスプレイのハード的な損傷であるようにも思われ、これはもしかすると、それほどのことでもない――蛸足にしていたディスプレイの配線を正真正銘の基盤から引き直したところ、今のところ一度もブラック・アウトしなくなったし、或いはいざとなったらディスプレイそのものを丸ごと取り替えちまえば済んでしまうようなことのようにも感じられないではない――だがしかし、悪いことばかりしか起こらぬ昨今だ――僕はもう誰も何にも信じない。だから事前に明日の分はセットしておいたんだよ。)