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2011/02/28

愛/心

愛は定義された瞬間に総て無効となる。

愛はそれ自体が命題足り得ない。

命題は論理による人間の生み出した総体的智という幻想の観念上の規定である。

本来の愛はそのような「智」を前提としたア・ポステリオリな哲学的定立ではなく、「智」を保持してしまった生命としての人間の、しかし原初的生の意志そのものにア・プリオリに食い入ってしまった楔である。

その楔を抜けば、血が迸り、その個体は確実に死ぬ。

しかし、その犠牲として新たな生命が生まれない、などとは言えぬ。

従って命題上は愛そのものが偽若しくは疑問文としての不完全提起でしかないものではあるものの、しかし、それでいてそれは現に確かに「在る」し、我々の「生」そのものの核心的な「謎」であり続けることによってもパラドクシャルに「在り続ける」のである。

それは「見かけ」上であるか?

それは正当な謂いである。

我々は神ではない。我々はただの一観察者に過ぎない。

「愛」という自他の現象の一観察者に過ぎない。

しかしそれはアインシュタインの相対性理論も、はたまた彼が嫌悪した量子力学をも遙かに凌駕した何ものかが支配している。

我々は他者に愛を示し得ず、実は自分にもそれを示すことは出来ない。

我々は鏡像としての「愛」を見ているに過ぎない。

それは我々によって説明され名指すことは出来得ても、示すことは出来ない

――しかし、とすれば――

即ち、愛は神であることとなり、私はそれを偽とし、以上の叙述全体が無化する。

……このトートロジーが「愛」の謎なのではあるまいか?……

2011/02/27

マリアへのタンギー 「タンギー爺さん」より

アーティストの教え子のブログを見ていたら、シュールレアリスム展にタンギーの好きな絵が来てないとあった――

タンギーは僕の一番のシュールレアリストだ――

さても――これでどうだ!

Le_temps_egaux_1951

では――これでどうだ!

Absent_lady

ほんじゃ――これはどうよ?

Indefdivisibility

ええぃ!――これは!?

Le_diapason_de_satin

さても! これはどうじゃ?!

Ma_vie_noir_et_blanc

ぬははははは!――これは!?!

Through_birds_through_fire_and_not_

――少しは憤懣がおさまったかい? まりあ?―― 

母のために――片山廣子歌集 野に住みて 縦書版

母のために――

片山廣子歌集「野に住みて」縦書版を「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に公開した。

……廣子さん、僕の母を守って下さい……

母にキス

ついさっき、用があって夜、また母を見舞った(今日は昼も見舞ったから)――

別れ際に母の額にキスした――

「母さんがいなくなったら僕もいなくなるよ」――

と告げた――

母は泣きながら――

母「……大船の開かずの踏み切りを、あんたを背負って二日おきに膿の出たガーゼを替えに病院に行った……」――

僕「僕を背負ったのが今の病気になったのかも」――

母「そんな……あんたは頑張らなきゃ……」――

僕「だからさ、母さんも頑張らなきゃ」――

手を振って別れた――

……また武満のあの歌が……僕の耳鳴りの奥にずっと響いていた……

母にキスした最後は……もう僕は覚えていない遠い昔……一番愛している人には、なかなかキスはしないものだ、ということを……今日……僕は知った……

2011/02/26

片山廣子歌集「野に住みて」抄――やぶちゃん琴線抄七十九首―― 縦書版

勿論、龍之介独りの歌を淋しく縦書にするつもりはない。

片山廣子歌集「野に住みて」抄――やぶちゃん琴線抄七十九首――」縦書版を「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に公開した。

芥川龍之介 越びと 旋頭歌二十五首 縦書版

芥川龍之介「越びと 旋頭歌二十五首」縦書版を「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に公開した。

父の画集「夢判断 その一」 NOTO 華/SHANGHAI-1943 若者の死/HIROSHIMA-1945-8-6-8-15 影/能登の貌―画集全作アップ完了

トップ・ページの「父のアトリエ」の父の画集「夢判断 その一」に「NOTO 華」「SHANGHAI-1943 若者の死」「HIROSHIMA-1945-8-6-8-15 影」そして流木のオブジェ「能登の貌」を追加し、画集全作アップを完了した。

この「華」

Hana

曰く言い難い魅力がある――

2011/02/25

父の画集「夢判断 その一」 NOTO-2 燃えるよな海

トップ・ページの「父のアトリエ」の父の画集「夢判断 その一」に「NOTO-2 燃えるよな海」を追加した。

2011/02/24

三月のうた

谷川俊太郎 作詩
武満徹    作曲
波多野睦美 歌

私は花を捨ててゆく――
ものみな芽吹く三月に――
私は道をすててゆく――
子らの駆け出す三月に

私は愛だけを 抱いてゆく――
喜びと恐れとお前――
お前の笑う――三月に

私は愛だけを 抱いてゆく――
喜びと恐れとお前――
お前の笑う――三月に

これは今の僕に相応しい歌――

父の画集「夢判断 その一」 ANDES-3 流氷域 / NOTO 詩人の肖像

トップ・ページの「父のアトリエ」の父の画集「夢判断 その一」に「ANDES-3 流氷域」及び「NOTO 詩人の肖像」を追加した。

――志賀さん――父さんを守ってくれて、ありがとう!――きっと僕が瀧口修造だと思っていた「詩人」とは志賀さん、あなただったのだ――画家は須らく詩人でなくてはならないのだから――そうして改めて見たら、錯視の老婆とマダムのように――この絵には志賀さんが、居たよ!

「流氷域」――いいな――ツェランの詩集「雪の区域(シュンネパート)」の挿絵にしたい――

2011/02/22

父の画集「夢判断 その一」 ANDES-2 そのときすでに

トップ・ページの「父のアトリエ」の父の画集「夢判断 その一」に「ANDES-2 そのときすでに」を追加した。

2011/02/21

父の画集「夢判断 その一」 VIETNAM ソンミの農道

父の彩色作品「VIETNAM ソンミの農道」をトップ・ページの「父のアトリエ」の父の画集「夢判断 その一」に追加した。

母さん父さん

最後はみんな一緒に居よう。僕はそう決めたんだ。

2011/02/20

父さん 言い忘れたよ

夕べは結局喧嘩をして言い忘れたよ――今度、三浦半島に行ってトコブシを採ろう! そうして、食べちゃおう! その場で! そうして――そうして、あの時と同じように、今度は一緒に、叱られようよ!――

志賀丈二作 藪野への護符凧

父の画集「夢判断 その一」の『軌跡』の最後に飾られた父の畏友志賀丈二氏の「藪野への護符凧」をトップ・ページにアップした。父さん、これが父さんと志賀さんの絆だったね。これが本物の遅れた誕生日プレゼントだと、僕は思うんだ――

父の画集「夢判断 その一」『軌跡』全パート アップ

父の画集「夢判断 その一」の内、『軌跡』と呼称する全パートをアップした。僕はどれも好きだが、特に毅然としたポリシーと優しい視線の「自画像」、父の盟友宇野小四郎氏のひとみ座(「ひょっこりひょうたん島」で御存知であろう)の演技――これは人形(人間の外的印象)に操られる人間(人間の心)というパラドクスが僕には痛感されるのだ――を描いた「マリオネット」、ドライポイントの強烈なリアリズムと題名の妙「飛べない」、一見して忘れることの出来ない謎「イカルス」、一番の僕のお気に入りで僕の所蔵になる「夜の森の夜」(これはエルンストを凌駕していると僕は勝手に思っているのだ)が好きだ。この「軌跡」の最後には、僕が数少ない日本の真正のシュールレアリストと認める、父の畏友志賀丈二氏の「藪野への護符凧」という作品があるのだが、これはトップ・ページの「アート・ショット」での公開としようと思う。

父の画集

トップ・ページ「父のアトリエ」はアトリエと名付けているのに、絵がないのは淋しかった。父の画集「夢判断 その一」から、年代順にアップしてゆく。ゆっくりと。とりあえず「自画像」「マリオネット」「ある人」「飛べない」の4作品をアップした。――父さん、誕生日おめでとう!

2011/02/19

父さんの誕生日に

父さん、ごめんよ、今日、妻に言われるまで今日が父さんの誕生日だって忘れてた――夜に寿司屋を予約した――妻と三人で飲もうよ――勿論、僕のおごりだ――母さんが見舞いに妻が買ってきた母さんの好きなイカの寿司を食べてる頃に――

母さんはあっと言う間に携帯の操作を覚えて、亡き叔さんの奥さんと母さんの姉さん兄さんに電話をした。その涙ながらの言葉を聴きながら、僕の心の中に、また武満の「小さな空」が響いてた――

明日は父さん母さんが一時、預かっていた伯母さんの子、親族の出世頭、東大出の大きい兄ちゃん(僕は幼稚園だったから本当の兄さんだと思ってた)が母さんの見舞いに来るんだよ――

母さんが一度だけ「母さんはあんたがもの書きにでもなるのかと思ってたのよ」と、僕が二十代の頃に僕に呟いたのを思い出したよ。母さん、僕の文章が四月に出る俳句雑誌で活字になることが決まったんだ。奇しくも下半身不随で数奇な運命に生きた俳人についての評論なんだ。原稿依頼を先月もらった時には、正直、奇妙な何ものかを感じたんだ。母さん、読んでよね――

「死者の訪れ」に書いた話を母さんにした。母さんは僕の話を泣きながら眼を輝かせて聴いて、「……訪ねて来たんだね……」と感慨深げに言った。僕も確かにそう思うんだ――

父さん、補聴器買うんだってね。きっと世界が変わるよ。二度聞かれるのに僕がいらいらするのもなくなるから、平和に過せるじゃない。しかし、その分、嫌なことも聞こえるか。いや、また好きなロシア民謡やボブ・デュランを聴けばいいんだよ――

母の弟の死を告知する

先日の「死者の訪れ」に書いた亡くなった人物は、母の実の弟であった。母の状態を考え、今日までそれを告げずにいたが、母に携帯電話をプレゼントする約束をしていたので、今日、携帯を渡し、事実を告げた。泣く母の手をとって、思わず僕も涙が流れた。母の前で泣いたのは、多分、長女のアリスが亡くなった時以来だ。その前は……ずっと……ずっと昔のこと……小学生の頃、母に叱られて泣いた……あの頃を思い出した……

270000アクセス突破記念「やぶちゃん版芥川龍之介句集」(全五巻)縦書版一挙公開

2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、270000アクセスを突破した記念に「やぶちゃん版芥川龍之介句集」(全五巻)の縦書版を総て公開した。

「やぶちゃん版芥川龍之介句集一 発句」縦書版

「やぶちゃん版芥川龍之介句集二 発句拾遺」縦書版

「やぶちゃん版芥川龍之介句集三 書簡俳句」縦書版

「やぶちゃん版芥川龍之介句集四 続 書簡俳句 附 辞世」縦書版

「やぶちゃん版芥川龍之介句集五 手帳及びノート・断片・日録・遺漏」縦書版

これを以って僕のHP内の俳句頁には総て縦書版が併載されることとなった。

やはり俳句は縦書に限る。

2011/02/18

蜘蛛の糸も凍ごるる蓮の夜寒かな

   我が俳諧の唯一の女弟子へ

蜘蛛の糸も凍ごるる蓮の夜寒かな

間違つては困る 我が弟子は此の弟子しかおらぬのだ 久々の新句なるも この女弟子から今來たつたる消息文に觸發されし假想吟也

2011/02/17

僕は

一体誰のために何をしているんだろう?……ついさっき疲弊しきって帰宅した……僕はこれから誰のために何をなすべきなんだろう?……いや、誰でもない、僕は母のために何かをしなければならないことは分かりきっている……しかし、僕は母のために何をなすべきなんだろう? 僕に何が出来るんだろう? 分からなくても出来なくても何かをなさねば僕は生きている心地がしないのだ……生きている価値を感じないのだ……母が「こんな体で生きていても」と呟く今こそ僕は母に母が生き生きと生きていると感じられる何かをしないでは……今、痛切にそれを思う……

2011/02/16

ドリュの台詞

僕らは敏感だけれど、実は彼らの心を捉えたいなんて思っちゃいない。これさ。「僕は君らみんなの心を捉えたいと感じているんだ。」と彼らに印象付ける必要がある。「君らの心を摑んだら僕は君を決して手放さないよ。」という印象をだ。

270000アクセス突破

2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本日午後、270000アクセスを突破した。しかし今、そのアクセス記念として考えている「芥川龍之介全句集」(の縦書への)の改訂が、納得出来るレベルに達していない。もう少し(書簡俳句の後半部分)なのだが、まだ終わらない。母のことも仕事の多忙(後期入試が明日である)もあって、それを完了するにはもうほんの少し時間が必要なのだ。どうか、今暫く、お待ちあれ。

2011/02/15

母さん

じゃあね 死にたくなったら 僕を思い出して――僕もいなくなるんだよ――僕はそれでいいけど 僕の妻や父さんはどうしようか?……母さん、頑張れ!!!!!!!!

54歳のウロボロスの輪

今日、僕は54歳。

友の贈ってくれたダブル・ウロボロス――父は、手にとって見た瞬間に

「いいねぇ!」

と言ったよ――コルジセプス、ありがと!――

Uroboros

2011/02/14

お煎餅のバレンタイン

あっ! チョコレートが嫌いな僕に今日、お煎餅を呉れた貴女――

「君の瞳に乾杯!」

2011/02/13

アランの台詞

病が意志それ自体の内にあるのに、どうしてその意志について語ることができようか――

尾崎放哉全句集(やぶちゃん版新版正字体版)縦書版

トップ・ページに「尾崎放哉全句集(やぶちゃん版新版正字体版)縦書版」を公開した。

残すところ、僕のHPの句集で縦書でないのは「芥川龍之介全句集」(全5巻)のみとなった。これを270000アクセスの記念としたいと思っている。既に縦書化へのプレ作業は完了している。乞う、御期待!

2011/02/12

アランの台詞

まず夜を終わらせねばならない。夜とは、端から端まで歩かなければならない道なのだ。

ドリュの台詞

『アントワーヌ・ヴァトーの絵を見つつ、僕は悟った――そうなんだ! それが、総てであり、そうしてまた、それは無だった、ということを――』

ここでドリュが言っている絵が、確かにヴァトーの「シテール島への船出」であることが、今日、不思議に僕の腑に落ちたのであった――

Antoine_watteau_034

接吻 北原白秋

臭(にほひ)のふかき女來て
身體(からだ)も熱くすりよりぬ。
そのときそばの車百合
赤く逆上(のぼ)せて、きらきらと
蜻蛉動かず、風吹かず。
後退(あとし)ざりつつ恐るれば
汗ばみし手はまた強く
つと抱きあげて接吻(くちづ)けぬ。
くるしさ、つらさ、なつかしさ。
草は萎れて、きりぎりす
暑き夕日にはねかへる。

語ることができないものについて、我々は沈黙せねばならない。

語ることができないものについて、我々は沈黙せねばならない。

(Ludwing Wittgenstein「論理哲学論考」終章)

ヨーグルトとラーメン

――僕が結核性カリエスで東京女子医大に母に背負われて通っていた小さな頃――僕は診察が終わってから病院の売店でヨーグルトを買ってもらい、帰りにラーメンを食べられることだけを楽しみにして生きていた――ヨーグルトとラーメン――それが僕には治療の苦痛を忘れられる唯一の魔法だったのだ――僕は麻痺している母の病床にヨーグルトしか持ってゆけない――ラーメンは――いつになるのかな――

アリスよ もう少し待ってろよ

母さんは帰ってくるから もう少し 待ってろよ みんなで一緒に花見をするんだ

告知 筋萎縮性側索硬化症

母の病気が

筋萎縮性側索硬化症 amyotrophic lateral sclerosis(ALS)

である可能性が高いという告知を本人と一緒に今日受けた。宇宙を解明しようとしたホーキング博士の、あの病いだ。

病態には多様性があり、進行の程度も様々であるが、有効な治療法はない。因みにγグロブリン投与も全く効果がなかった。

美事に文字通り、医者は「匙を投げた」のであった。

因みに僕は予測していたから衝撃ではない。

但し、それは僕の「智」としてではある――

――まずは、御報告まで――

2011/02/11

ドリュウの台詞

僕の周りに火を放って、神秘的な空き地を充分に広げよう――

芥川龍之介句集 全5巻 ブラッシュ・アップ及び総ルビ化終了

やぶちゃんの電子テクスト:俳句篇の「芥川龍之介句集」の「やぶちゃん版芥川龍之介句集五 手帳及びノート・断片・日録・遺漏」を大々的に補正増補し、「霜のふる夜を菅笠のゆくへ哉」の原画像も挿入した。ちょっといいぜ。夜になって「芥川龍之介句集 全5巻」総てのルビ化も終了した。

何を焦っているのかって? それは僕の人生にさ――

序でに――2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、現在只今、268961アクセス――270000アクセスが――近いのだよ――

時に、今日のこの作業の途中に遅まき乍ら、岩波文庫で昨年の8月に加藤郁乎編の「芥川龍之介句集」が出ていることを知った。前評判の割りには、出るのがひどく遅れたじゃねえか。近いうちに買ってみよう。アマゾンのレビューには『「芥川竜之介全集」未収録の句もよめる、文庫オリジナルで、芥川我鬼の句を読もうとすればこれ以上のものは現時点ではありません』と名打ってるぞ! ほう、1159句かい――僕は僕の「やぶちゃん版芥川龍之介全句集」の句数を数えていないが――いや、今に至っても数える気は、さらさらないがね――さても加藤郁乎さんよ、いやさ! 岩波書店編集部さんよ! 勝負しようじゃねえか! 足掛け6年かけた俺とあんたらと、どっちが本物の我鬼か、をね! ふふふ♪――

2011/02/09

桐の花 銀笛哀慕調 より

にほやかに女の獨唱(ソロ)の沈みゆくここちにかなし海も暮るれば

(淺草にて)

(これは蛙の冬眠の穴――ではない――マグリット)

そうだ――

僕の夢は
砂浜に朽ち果てた “Dudok de Wit”の少女がうずくまった あのボートの縁に腰を掛け
素足で死貝の感触を探りつつ
真っ暗闇の中にぽつりと燈る
セントエルモの上に置かれた 誰のものとも知れぬ魂の燈を眺めながら
風と波と そして死の音に 心を委ねることだ――

2011/02/07

僕は君のようには生きないし楽しまないし悲しまない

世の中は、この真理命題を理解していない連中が実に多過ぎる――お休み!――僕は目に見えぬ僕を抱き枕に抱いてみたいと――一度は思ったのだ――

アランの台詞

君は僕の友達か? だったらこのままの僕を愛してくれるはずじゃないか?

2011/02/06

悲歌 原民喜

濠端の柳にはや緑さしぐみ

雨靄につつまれて頰笑む空の下

 

水ははつきりと たたずまひ

私のなかに悲歌をもとめる

 

すべての別離がさりげなく とりかはされ

すべての悲痛がさりげなく ぬぐはれ

祝福がまだ ほのぼのと向に見えてゐるやうに

 

私は歩み去らう 今こそ消え去つて行きたいのだ

透明のなかに 永遠のかなたに

桐の花 銀笛哀慕調 より

ヒヤシンス薄紫に咲きにけり早くも人をおそれそめつつ

確かに――芥川龍之介の「紫天鵞絨」所収の、

片戀のわが世さみしくヒヤシンスうすむらさきににほひそめけり

という歌は4ヶ月先行する白秋のこの歌のインスパイアだな――

「やぶちゃん版編年体芥川龍之介歌集」参照)

エルモライの日記 補遺

2011年2月6日 午前9:09

……遂にミンノー県にはコルジセーヴァ侯爵夫人とミッピ伯爵御息女の所有なさる二つの農園しか、のうなった。昨日までおられたシンゴウ男爵の農園も、今朝覗いたら、作物もすっかり抜き取られて、もぬけの空になっておった……儂が独りになっても、ここで農園を続けて御主人ツルゲーネフ様御帰還を待つ、それがせめてもの御忠心と心得ておることは、前にも書いたような気がするが、こうしてミンノー県で古株となったところが、特に県から蓮の花の栽培を許されて貰ろうた。今日の午後1時過ぎには二度目の収穫が出来ようほどに。……昔は、出来た作物を人にとられぬよう、しっきりなしに覗いては、即座に収穫しておったものじゃが……今はめっきりお出かけを見ぬコルジセーヴァ侯爵夫人やミッピ伯爵様の御嬢様に、たんと差し上げようという気になっておる……これも、蓮の花なればこそか、のぅ……

2011/02/05

桐の花 銀笛哀慕調 より

病める兒はハモニカを吹き夜に入りぬもろこし畑(ばた)の黄なる月の出

猪瀬達郎句集 ルビ・リニューアル版 / 縦書版

達っつあん、達っつあんが宇宙の塵になって、もう三年経った――でも、僕はその塵となった達っつあんを、呼吸している気が、してるんですよ……

恩師故猪瀬達郎先生の「猪瀬達郎句集」をルビ化し、一部の誤植を補正、縦書版も作製した。

尾形亀之助句集 九句 附 尾形蕪雨一句・尾形余十五句 / 同縦書版 新規頁公開

今までブログ・リンク記載であった「尾形亀之助句集 九句 附 尾形蕪雨一句・尾形余十五句」縦書版とともに新規頁として作製、やぶちゃんの電子テクスト:俳句篇に注の一部に手を加えて、公開した。

2011/02/04

定本芝不器男句集 縦書版

「定本芝不器男句集 縦書版」やぶちゃんの電子テクスト:俳句篇に公開した。

桐の花 銀笛哀慕調 より

銀笛のごとも哀(かな)しく單調に過ぎもゆきにし夢なりしかな

2011/02/03

桐の花 銀笛哀慕調 より

かくまでも黑くかなしき色やあるわが思ふひとの春のまなざし

2011/02/02

エルモライの雁書

蓮華花咲於美櫛農園。請須摘。愛貴女于永遠。

2011/02/01

死者の訪れ

僕は今日の暁の頃、酔って寝ていた夢現に、僕の家のチャイムが鳴ったのを『確かに聴いた』。しかし妻はそんな覚えは、ない、と言ったし、隣家の父も鳴らしてはいなかった――しかし、『確かに誰かが来た』と体が感じている自分がいた――一日中、気になっていた――特に今日は新しい治療のために母が転院する日であっただけに、特に気になっていた(それが心理学的な不安のバイアスであったことは勿論、認める)――しかし僕は僕の不吉な予兆のいつも当たることは僕にとって殆んど確信的に事実であったから、思ってはいけないと思いつつ、『何かが誰かにあった』のではないかという疑惑が一日中、心臓に棘のように突き刺さっていたのであった――それが当たらぬように――と思っていた――が――しかし今夕帰宅して、まさに丁度、その前日の夕刻四時頃に――僕のある極近しい人物が亡くなったことを知った――僕は非礼にも大きな悲哀を感じているとは言えぬことも告解する(僕にとって他者の死とはそういうものである。これはあなた方に分からないかも知れない。分かって頂く必要もない。僕は母と同様に献体しており、葬儀というものを拒絶している。だから『おあいこ』である)――でも、心からその方の冥福を同時に僕は祈っている――僕には特に優しい人であったから――僕は神も仏も信じない……しかし……そうした『訪れ』は確かにあるのだ……

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