死者の訪れ
僕は今日の暁の頃、酔って寝ていた夢現に、僕の家のチャイムが鳴ったのを『確かに聴いた』。しかし妻はそんな覚えは、ない、と言ったし、隣家の父も鳴らしてはいなかった――しかし、『確かに誰かが来た』と体が感じている自分がいた――一日中、気になっていた――特に今日は新しい治療のために母が転院する日であっただけに、特に気になっていた(それが心理学的な不安のバイアスであったことは勿論、認める)――しかし僕は僕の不吉な予兆のいつも当たることは僕にとって殆んど確信的に事実であったから、思ってはいけないと思いつつ、『何かが誰かにあった』のではないかという疑惑が一日中、心臓に棘のように突き刺さっていたのであった――それが当たらぬように――と思っていた――が――しかし今夕帰宅して、まさに丁度、その前日の夕刻四時頃に――僕のある極近しい人物が亡くなったことを知った――僕は非礼にも大きな悲哀を感じているとは言えぬことも告解する(僕にとって他者の死とはそういうものである。これはあなた方に分からないかも知れない。分かって頂く必要もない。僕は母と同様に献体しており、葬儀というものを拒絶している。だから『おあいこ』である)――でも、心からその方の冥福を同時に僕は祈っている――僕には特に優しい人であったから――僕は神も仏も信じない……しかし……そうした『訪れ』は確かにあるのだ……