父さんの誕生日に
父さん、ごめんよ、今日、妻に言われるまで今日が父さんの誕生日だって忘れてた――夜に寿司屋を予約した――妻と三人で飲もうよ――勿論、僕のおごりだ――母さんが見舞いに妻が買ってきた母さんの好きなイカの寿司を食べてる頃に――
*
母さんはあっと言う間に携帯の操作を覚えて、亡き叔さんの奥さんと母さんの姉さん兄さんに電話をした。その涙ながらの言葉を聴きながら、僕の心の中に、また武満の「小さな空」が響いてた――
明日は父さん母さんが一時、預かっていた伯母さんの子、親族の出世頭、東大出の大きい兄ちゃん(僕は幼稚園だったから本当の兄さんだと思ってた)が母さんの見舞いに来るんだよ――
母さんが一度だけ「母さんはあんたがもの書きにでもなるのかと思ってたのよ」と、僕が二十代の頃に僕に呟いたのを思い出したよ。母さん、僕の文章が四月に出る俳句雑誌で活字になることが決まったんだ。奇しくも下半身不随で数奇な運命に生きた俳人についての評論なんだ。原稿依頼を先月もらった時には、正直、奇妙な何ものかを感じたんだ。母さん、読んでよね――
「死者の訪れ」に書いた話を母さんにした。母さんは僕の話を泣きながら眼を輝かせて聴いて、「……訪ねて来たんだね……」と感慨深げに言った。僕も確かにそう思うんだ――
*
父さん、補聴器買うんだってね。きっと世界が変わるよ。二度聞かれるのに僕がいらいらするのもなくなるから、平和に過せるじゃない。しかし、その分、嫌なことも聞こえるか。いや、また好きなロシア民謡やボブ・デュランを聴けばいいんだよ――
« 母の弟の死を告知する | トップページ | 父の画集 »