岩波文庫「芥川竜之介句集」の加藤郁乎氏の解説に限りなく共感せること
先般入手し、僕の「芥川龍之介全句集」との校合を試みている岩波文庫版加藤郁乎編「芥川竜之介句集」の加藤氏の解説を読んだ。もう読み終えるなと思ったその最後に、はっとした。木歩が語られている!
――以下、引用させて頂く。
――僕がはっとしのは僕が木歩が好きだからというばかりでは、ない。
――僕がネット上で唯一纏まった「富田木歩句集」を公開しているから、でもない。
――その本当の理由は、今は語らないでおこう。
――来月の末には、分かって頂けるであろう。……
芥川龍之介の俳句の対象や関心を持っていた古俳諧や現代俳句、さらに新旧の俳人との関わりについて述べ終えた最後に加藤氏はこう書く。芥川龍之介が木歩について、一言も書き残していないことへの疑義不審である。
『さらに加えれば、同時代の俳人で年齢も五歳と違わぬ富田木歩につきいささかもふれるところがなかったのは腑に落ちぬ。親しかった入谷の兄貴俳人碧童、その俳友であった大須賀乙字を通じるなどして地獄耳だった芥川は木歩の名を聞き知っていたであろう。病軀を養い関東大震災に向島枕橋近くの堤上で横死した俳人木歩の生涯におよそ無関心であったとは考えられない。本所また向島に生まれ育った二人が大川を介したそれぞれの文学作品に気づかずだったというのは奇妙の話である。待乳山の渡しとして知られた竹屋の渡し場を所有した富田氏十七代目は一方で向島に柳市花街の開設を願い出た風流人、木歩の祖父である。零落した家で二歳のときに両脚歩行の自由を失った木歩はさらに胸を患い、貸本屋で糊しながら句に親しんだ。「我が肩に蜘蛛の糸張る秋の暮」「夢に見れば死もなつかしや冬木風」の境涯詠をもつ木歩に材を取り芥川ならではの小説の一篇、いや一句なりと出てこないものかとわずかの望みを捨て切れずにいる。』
加藤氏の謂いは頗る正当である。――
木歩と龍之介の接点――それはきっとどこかにあるはずである。――
どこかに隠れている。――
僕もそれを加藤氏と全く同じように乞い冀う人間である。――
芥川は必ずや何処かにそれを潜ませているはずである。……
*
……ここまでは加藤郁乎氏に激しく共感したことを記した。
……次の僕の記事では、しかし……残念ながらこの岩波文庫版加藤郁乎編「芥川竜之介句集」の句の捏造を指弾しなくてはならない。……
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