メタファーとしてのゴジラ フラッシュ・バック
昨年の暮れ、僕の「メタファーとしてのゴジラ」の補習を受けた十数名の諸君。覚えているかね? 差し上げた「ゴジラ」シナリオ決定稿をご覧(表記はママ)。
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シークエンス70
走る国電の内部(スクリーンプロセス)
吊革にぶらさがったダンサー女とつれの男二人。
女「いやあねえ……原子マグロだ。放射能雨だ。その上に今度はゴジラと来たわ……もし東京湾へでも上がりこんで来たら、一体どうなるの?」
男A「まず真先に君なんか、一口でパクリだな」
女「いやなこったわ。折角長崎の原爆から、命びろいしてきた大切な、身体なんだもの……」
男B「そろ/\疎開先でも探すとするかな……」
女「私にも何処か探しといてよ」
男A「あァあ、疎開か……また厭な世の中になりやがったな……」
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君たちはあの時「疎開」と聴いて、その字を思い浮かべられなかったはずだ。しかし、見たまえ、それが今、周囲で囁かれている――
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シークエンス181
対策本部内衛生班
臨時の病室へ収容しきれず、ホールや廊下にはみ出した負傷者が足の踏み場もない程に混合っている。
重傷患者のうめき声、子供の泣き声、行衛を尋ね廻る肉身の叫び声――悲惨な混乱の中に甲斐甲斐しく働いている恵美子の姿がある。
運び出される母親、残された赤ん坊を抱きかゝえる恵美子。
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このシーンの死ぬ母と残される子はそれよりも前のシーンのデパートの前の親子だという話をしたのは覚えているだろう。この冒頭にはしかし、撮影時に追加されたシーンがあったのを思い出して欲しい。それはこんなシーンだ。
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山根博士の右腕である村上冬樹演ずる科学者田辺博士がガイガー・カウンターを『この少女』に向ける。――
激しい反応音。――
田辺博士、心配そうに彼を見る隣の恵美子に、首を横に振る。――
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ここにはまた、あの印象的な伊福部の曲が被っている。――いや、防護服を着た人間が子供に放射線測定器を向けている――そんなシーンを僕らは数日前からTVの映像や新聞の報道写真でいや程見せられているじゃないか!――
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ゴジラよ、お前は今、どう思っている?
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