聖子テレジアは天国に召されました 直史ルカ記
母聖子テレジアは今朝5時21分、筋萎縮性側索硬化症による急性期呼吸不全により聖テレジア病院にて天国へ召されました。満78歳でした。母や私に繋がる多くの方々の励ましに感謝致します。母は最後に60年前の若き日の信仰を取り戻し、神父様の御祈祷を受けることも出来ました。この場を借りて御礼申し上げます。なお、母は遺志により慶応大学医学部に献体致しました。父と私と妻と三人で先程、見送りました。従って会葬等のお気遣は一切不要で御座います。墓も御座いません。ちなみに私も同じく献体をしており、慶応大学医学部の献体者合葬墓で将来、私も母と一緒になります。皆様にも神の御加護と私の母の慈愛がもたらされますように――
2011年3月19日 放蕩息子直史ルカ記す
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母の受洗 満18歳 1951年5月28日 都城教会にて
三位一体の主日 授戒 ベルリーニ神父様
受洗 授字 コンタリーニ神父様
洗礼名 テレジア(小さきテレジア)
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お別れの御祈祷 2011年3月19日9:00 聖テレジア病院310病室にて ――「放蕩娘の帰還」――
司祭 マリオ・バラーロ神父様(カトリック片瀬教会)
介添 川村悦子シスター様(聖テレジア修道院)
社会主義者にして超現実主義者夫豊昭
未だ帰還せざる放蕩息子たる直史ルカ
最後まで母を愛してくれた私の妻範子
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母の昇天の時――医師による死亡宣告は私たちが病室に着いてから6時40分に行われましたので、死亡診断書はその時刻になっていますが、父の持ち帰った病室にあった以下に示しました心電図モニタ・データによって5時21分、これが母の遷化の刻限です――
……私は丁度その時刻、アリスを抱いて寝ていました……5時過ぎ、アリスがすっくと起き上がって、布団の上で暴れ出すと、一声、「ワン!」と高く吠えたのを覚えています……暫くして病院から電話を受けた父が、私の家のチャイムを鳴らしました……「今朝、5時21分、脈拍・呼吸ともに取れないと言ってきた……さあ、行きましょう――」……三人でタクシーに乗り込んだ後、普段なら決して吠えないアリスが……何時までも何時までも吠え続けていたのが忘れられません……
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お母さん 村上昭夫
お母さん
海の音を聞かして下さい
海の貝殻の音を
母という名を聞かして下さい
私は思い出す
二億年ばかり前のこと
あなたが二億年変わらない海だった日を
ひろびろと広がるあなたのなかに
可憐な三葉虫の姿が
奇蹟のように生まれていた日のことを
私は思い出す
それからの火や泥の世界のことを
試みられていた愛のつぶつぶが
氷河よりも固く凍ってしまった
永い暗かった時間のことを
お母さん
その時あなたのなかに鳴り続けた
小さな貝殻の終わりのない音が
どんなにやさしくて強かったか
今日も波が寄せています
とても永かったあなたの疲労のように
貝殻がさやさや鳴っています
お母さん
あなたの音を聞かして下さい
あなたの白い貝殻の音を
静かに聞かして下さい
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……母の逝った今日は……如月の望月……あの西行が歌い、言葉通りにその日に逝ったという……
願はくは
花の下にて
春死なむ
そのきさらぎの
望月の頃 西行
……そうして、それは旧暦の2月15日……新暦の私(直史)の誕生日と同じ日よ、と妻が教えて呉れました……母さん、花見をしたかった、ね……でも梅の花は満開だし、菜の花も美しく咲いているよ……母さん……天国から見下ろしてね……
……1962か3年頃、当時、一緒に住んでいた従兄弟の大きい兄ちゃん「のりちゃん」や、ちっちゃい兄ちゃん「よっちゃん」、母と父と僕とで訪れた箱根のユネスコ村ブラジル館で父が写した母の写真です……母聖子は30歳頃、私の好きな母の……素敵な、素敵な一枚……
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……夜遅く、せめて今日ぐらいはと、アリスを亡き母のベッドのあった部屋で寝かせました……深夜、激しく壁を引掻く音がして、父が起きて覗いてみたところ、母の手作りのアリス用の毛のジャケットに鼻を突っ込んで静かに寝ていたそうです……母がアリスにお別れに来たんだ、と父は言っていました……私も、そう、思いました……
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母さん――本当に――貴女の愛を、ありがとう!
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