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2011/04/30

皆さんへの告知(母への告知よりずっとマシだ)+雑感としての「建屋」(たてや)という読みへの国語教師としての強烈な呪詛

母の逝去後、精神的な持続力が著しく低下しており、今迄のようなペースのテクスト更新は残念ながらもう出来そうもない(母への告知よりずっとのましだ)今迄、毎日のように訪問して下さっておられる方には申し訳ないが、月に一度ぐらいのペースでしか行えぬ。それでもお付き合い願えるとなれば、恩幸これに過ぎたるはない。深謝する。

時に――「建屋」って聞いたことがあるか?

僕はない。

これは土木工事時用語で、ポンプ室やある種の機能を備えた機器を内蔵した建築物への呼称なんだそうだ。

その手の『専門家』には『当たり前』の言葉らしいぜ。

でも僕は聞いたことない。

――聞いたことないのは言わずもがな、『シーベルト』『ベクレル』『グレイ』と立て続けに『専門家』には『当たり前』の、しかし国民に難解な換算不能な単位を応酬した連中の底意地を考えてみよう――

実はこの不可解な「建屋」という語彙使用から、メディアの嘘は始まっていると僕は確信している。

僕は熊さん八さんだ……普通の建物じゃないんだよなぁ……だって「建屋」という聞いたこともねえぜ……「堅牢」なもんなんじゃねぇの?……「タテヤ」だもんなぁ……でもさ……正直、何か長屋みたようような、古臭い、木造のしょぼいものをも連想もするんだけんど……

まずは、そうだ! 平然と使っているアナウンサーに聞いてみようじゃねえか!

問:「建屋」(たてや)て何?

問:事故以前も、ニュースで普通に分かって使ってたの?

問:知らなかったとしたら、その語彙としての定義を何故最初にしなかったのは、何故?

この三つの問に答えられない失格アナウンサーはゴマンといる。

こんな体たらくだから俺は――「お前」を信じない――

言おう――

「たてや」じゃ――ぼろっちいな――津波にも爆発にも――あっと言う間に壊れる響きだぜ――天災と言いたいんだよねぇ「お前」は――「建屋」じゃあ――確かに津波で壊れて当然の箱ものの語彙だもんな――「ビルト」ってのは――どうよ? だったら、あの書割みたようなブルーの薄っぺらなホリゾントは――もっと「イメージ」上では強くなったになぁ……残念だぜ……

お前の言い訳は聞き飽きた……そうして「お前」を……ぶち殺してやる……それを請け負った御用学者どもも一緒に……ぶち殺しにしてやる!……明日……くれぐれも気をつけな……俺が背後から包丁でぶっすりやるかもよ……そうしてこれで脅迫罪が成立するなら……ちゃんちゃらおかしいぜ……プルトニウムで茶が沸くぜ……だったら原発行政を推進した旧自民党から現政府も……それに東京電力の幹部も……さてもみんなで仲良く絞首刑だ……その処刑に何十年かかるかな? 始皇帝の如く処刑しきれないのを恐れるほどだぜ……そうしてそれは……福島の原発処理とおんなじさ……処理しきれないことを永遠に恐れる……「お前」とな……

人生は原発と同じさ

元に戻らないことが分かっていながら周囲の人間は無責任に回復と幻想の安穏を謂々し云々するのだ――糞食らえ お前も 俺も――だからずっと前から言っているんだ 「お前」を俺は信じない と――

序でにいっておく 福島第一だけじゃない この騒ぎで知らん振りしてるが 例の「もんじゅ」もとんでもない状況じゃないか! あいつが壊れたら 福島なんか目じゃあねえ 日本列島そのものが死の島になるんだってことをちゃんと語れ 心ある科学者よ! それがお前たちの義務であり使命なのだ 明治以来の国家どころかキリスト教的西欧御用アカデミストから 遂に解放される時が お前に課されたのだということを 知る必要が遂に来たのだ――

2011/04/29

藪野唯至 富田木歩論 イコンとしての杖 『俳句界』掲載記念 富田木歩愛妹まき子哀傷小品二篇「おけら焚きつゝ」「臨終まで」 附 同哀傷句群 同縦書版

私の富田木歩論「イコンとしての杖」『俳句界』掲載記念としてやぶちゃんの電子テクスト:俳句篇『富田木歩愛妹まき子哀傷小品二篇「おけら焚きつゝ」「臨終まで」 附 同哀傷句群』及び同縦書版を公開した

特に「臨終まで」は僕には涙なくして作業を終えることが出来なかった。

「母ちゃん――暑いよ」

というまき子の言葉は――それは震災の迫り来る猛火を前にした木歩の最期の言葉として――そして――そしてめされる数日前から喉の渇きを訴えていた亡き母の言葉として――いや、これから起こるかもしれない日本の原発地獄の無数の言葉として――僕には痛切に響き返してくるからである……

以上の木歩のテクストを亡き母聖子テレジアに捧げる――

心の内が何もかもだめになりそうだから何かを始めることにした

何もせずにいると心の内が何もかもだめになってしまいそうだから、今日の昼前から、あるテクスト化作業を始めた。恐らく、今日の夕刻には公開出来る。テクスト化しながら涙が出た――そんな小品――

2011/04/28

スーちゃんへ

僕はキャンディーズのファンでもない そうしてその後もあなたのファンでもなかったのだが でもあなたの最後の録音テープを聴いて 思いだしたのだ 今村の「黒い雨」の演技は本当によかったな あなたの裸身の美しい胸を思い出す――そうしてあなたは役者として ではなく 人間として確かな最後の言葉を 芸能者としての「自分」を愛する人すべてに残したという点において スーちゃん あなたは芸人としてではなく 人間として本当に美しいのだ 僕は素直に涙したのだ 確かに 「あの男」のこれみよがしなディレクター染みた腐った仕儀は不潔でとっても厭だったことをはっきり言おう でも スーちゃん あなたはきっと言う――あんな男だけど私が愛した男だから許してあげてね―― 許そうじゃないか いや男とはみなそういうものなんだ 僕もそうさ だから あなたに いや 女には 男は 全ての男は許してもらわねばならないのだ スーちゃん 少しだけ早く天国へ行った僕の母と きっと必ず 話が合うと思うんだよ もう あなたの息は 苦しくないよ 僕の母が優しくさすってくれるているからね―― 

2011/04/25

母さん 山を越えて行こう あの日のように 

母さん あの日と同じように 山を越えて行こう 詩人が言った山のあなたに住むと言う 幸いを二人きりで探しに行こうか 僕が母さんを守るんだ あの父から貰った石斧でね……でもね 母さん 僕はあることをもう知ってるんだ 幸いは山のあなたにはないんだということをね 幸いはね 母さん 母さんと一緒に歩き続けること以外には ないんだよ……僕はね……もう母さんを背負えるんだよ……歩き疲れたら 何時でも僕が背負って上げる……

富田木歩論「イコンとしての杖」藪野唯至――くすぐったいよ 母さん

父さんもかみさんも「筆者」直々に木歩のことを心を込めて説明してやったのにさ、結局、未だに読みゃしないよ――しょうがないね、それは分かってたよ――だからさ、言ったんだ、母さんのためだけに書いたってね♪

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Haikukai20115

210ページ『魅惑の俳人 富田木歩』だよ。たかだか4ページだ。――本誌のためにも(この雑誌は超党派である。勿論、僕は現在、どこの俳諧上の派閥にも属していない)――流石に折角の依頼原稿だからね――皆様、本屋で立ち読みされて、御笑覧あれかし――買ってくれなんどとも、買って欲しいなんどとも言わないし、思わない。立ち読みでOKだ。失礼乍ら『俳句界』様――でもね母さん、原稿料は最初から断ったんだ。母さんのために書くと心に誓ったからね――芥川龍之介が自嘲めいて言った「売文の士」に成り下がらなかったことも――母さん、母さんのお蔭なんだ♪ ありがとう かあさん♪ 僕が母さんに上げる、初めての――幼稚園の時に作った気がするなあ、母さんへの勲章――僕の母さんをレリーフした手作りの紙の勲章――そうだ、幼稚園の時とおんなじのたかが紙の勲章なんだな――でも僕の母さんに捧げる勲章なんだ♪ かあさん――

2011/04/24

父の階段の怪談

昨夜、父と話しをていたら、父は最近、

「幻聴が聴こえるんだ」

と言った。

「……深夜……ギシ、ギシ、ギシ、ギシ……という階段を登るような音がするんだ……こんな時間におかしいと思う……おまけに何かで床をズンと突き刺すような音がするんだ……医者に言ったら、睡眠薬を処方してくれたよ……」

僕は遂に親父もきちゃったかと思った。……

……今日、僕はアリスを散歩させながら、父や母と歩いたかつての山道(今は完膚なきまでに住宅地となっているのだが)を歩きながら、あの「縄文の母子像」の撮影された場所を同定していた。ここだろうという場所で僕は少年の日の僕と同じ淋しそうな顏をしてみたりした。越路と称した場所は恐らく、僕の家の向かいの山の寺の裏(今は墓地に造成されている)――そこからは僕らの家が眺望出来た。

その時――何故か、ふと腑に落ちたのだ!――父の言っている「幻聴」は、これ、幻聴なんかじゃない! と――

アリスを連れて家に帰ると、早速、父に僕は言った。

「父さん、父さんの言う幻聴はね、幻聴なんかじゃ、ないよ。あれはね、食事をした後の妻が、居間のカウチで延々寝るんだけど、やっと二階に上るのが、午前1時、2時なんだ。3月で足が悪いからやめてからというもの、どうも3時ぐらいに上ってくることもあるんだ。彼女の足はこのところすっかり悪くなって、杖――これがまた、僕の山用の金属のストックにガムテープを張ったものを使ってるんだけど――これがまた、かなり、ゴツ! と強く突かないと体を支えられないんだよ[やぶちゃん注:事実、僕でさえ、その音で眼が覚めるくらいである。]。だからね、それは幻聴じゃなくってさ、本当の音なんだ[やぶちゃん注:僕の家は縦割りの二世帯住宅で、父の家の階段と壁隔てて同位置に我が家の階段がある。父の部屋はそのすぐ脇の二階にあるのである。]。――だからさ、薬は眠れない時にだけ、飲んだ方がいいよ、癖になるからね。――」

これを聴いて久し振りに、僕と父は声を出して笑い合ったのだった。

母さん♪ ふふふ♪ お笑いだね♪

早速、僕は口の乾ぬ間に、自己宣言の掟を破ってブログを書いた。それが所詮、僕なんである。

2011/04/23

富田木歩 悲傷句群――聖子テレジアへ捧げる

以下は、結核によって死にゆく愛妹まき子への思いを悲泣痛切に詠んだ、僕が富田木歩第一の絶唱と信ずる一連の句群である。

今回の2011年5月号『俳句界』の僕の論考「イコンとしての杖」では制限された原稿枚数の中、ここに示した冒頭と末尾の句のみを挙げるに留めたが、やはりここに、その全てを敢えて掲げておきたいのだ。(引用は僕の「やぶちゃん版新版富田木歩句集」を用いたが、時間的連続性を重視するために一部の句及び新井声風氏の注・僕の注は省略した)。

……それは……この木歩が僕自身であり、まき子が僕の亡き母聖子テレジアでもあるからである……

  病 妹
和讚乞ふ妹(いもと)いとほしむ夜短き

  病勢の急に怠りし妹頻りに母の讀經をもとむ
今宵名殘りとなる祈りかも夏嵐

  病 妹
妹さするひまの端居(はしゐ)や靑嵐

戸一枚立てゝ端居(はしゐ)す五月雨

  病 妹 三句
晝寢守(も)れば螻蛄(けら)の聲澄む花菖蒲(しやうぶ)

寢る妹に衣(きぬ)うちかけぬ花あやめ

病む妹に夜氣忌みて鎖(さ)す花あやめ

夕むれの縁に螻蛄鳴く黐(もち)の花

花黐の蠅移りくる晝餉かな

  病妹惡し
醫師の來て垣覗く子や黐の花

ともすれば灯奮ふ風や時鳥(ほとゝぎす)

船の子の橋に出遊ぶ蚊喰鳥(かくひどり)

  病妹 五句
咳恐(おそ)れてもの言ひうとし蚊の出初む

たまたまの蚊に咳(せ)く妹を憂ひけり

かそけくも咽喉(のど)鳴る妹(いもと)よ鳳仙花(ほうせんくわ)

死期近しと夕な愁(うれ)ひぬ鳳仙花

床ずれに白粉(おしろい)ぬりぬ牽牛花(けんぎうくわ)

  病妹惡し
額上の汗に蚊のつく看護(みとり)かな

  病妹惡し
蚊遣焚いて瓶花(びんばな)しほるゝ愁(うれ)ひかな

蚊遣焚いて子を預りぬ洪水仕度(みづじたく)

臥す妹に一と雨ねぎぬ軒葡萄

  臨終近しとも知らぬ妹こまやかに語る
涙湧く眼を追ひ移す朝顏に

  納棺式
死装束(しにしやうぞく)縫ひ寄る灯下秋めきぬ

  忌中第一夜
線香の火の穗浮く蚊帳更けにけり

  通 夜
棺守(ひつぎも)る夜を涼み子のうかゞひぬ

鷄音しばしば讀經さそはる明易し

  妹の棺を送る
明けはずむ樹下に母立ち尽したり

朝顏の薄色に咲く忌中かな

昨日届いた著者献呈一冊を母の霊前に今朝供えた――

2011/04/21

月刊『俳句界』2011年4月号 5月号予告――母さん来週の月曜日だよ

Haikukaiyokoku20115

母さん……2月に「楽しみにして待っててね」と言ったよね……4月25日の月曜日、主だった書店で売り出されるんだ……全国誌だよ……母さんに読んでもらうことだけを楽しみにしてたんだ……本当に母さんのためだけに書いたんだ……僕の……もしかしたら最初で最後の依頼原稿なんだ……投稿じゃない、正真正銘、出版社から頼まれて書いたんだ……母さんが望んでた「物書き」になった僕の……母さんに捧げた、母さんのように歩けなかった俳人富田木歩を讃えた文章なんだ……母さん……楽しみにしててね……

2011/04/20

そろそろ

――母さんは――やめようね、母さん――それで――そうであったように母さんは僕だけの「母さん」になるんだもんね――ね、かあさん……

2011/04/19

そろそろ

このヤニ臭くて酒臭くて鬱の僕から抜け出なくてはいけないね――母さん――

雜信一束

父さん ありがとう 母さんの部屋に寝かせてくれて 父さんらしい僕への思いやりだった 父さん 一緒に生きよう 楽しく生きよう!

範ちゃん 名古屋の母さんの介護 ご苦労さま もっと永く居たかったろうに母の命日に合わせて帰ってきてくれたのも ありがたい 僕も一人では生きて行けないことが 分かったよ

母さん 今日 青空に 「母さん」と何度も呟いた 母さんがいないと僕はいない これはね 残念ながら真理(ほんとう)なんだよ

アリス 母さんは死んじゃったんだ もうお前を優しく撫でてくれる手はないんだ でも いつか必ず海に連れて行ってやるよ もうちょっと待っててね 海を見たことないだろ? 大きいんだぜ 海は

こるじせぷすさん あなたが居て僕はどれだけ救われたか分からない 三世に 僕は君の友だ 賢治のさそり座なんだ

和田君 懐かしいな トップの珈琲の香りが君の葉書から香った また いつか 逢いたいね 折れた俺が復活した頃に

義父様 皆 花の枯れた折りに 二つの大きな花束をありがとう御座います 母は百合の香りにまた包まれました

僕の今の茶髪の教え子たちへ 今日の不思議な僕の体験を普段のおしゃべりをやめて しーんと聴いてくれた貴女たちに 僕は心から打たれたんだ

僕へ 妻や父にもっと 感謝しなきゃね 煙草ばかり吸って酔ってばかりいないでね

母さん――あの日――母さんは喉が渇いていたのに 僕はユダのように それが聞き取れなかったのではなかったんじゃなかったか? だとすれば 僕は母さんを殺したのと同じだ――母さん――ごめんね――

命日の朝

昨夜は母の部屋で寝た

今朝

アリスが吠えた瞬間に眼を醒ました

アリスが吠えたのは

3月19日母が亡くなった時刻と全く同じ5時21分であった――

2011/04/17

ウィトゲンシュタインの遺言

私の以上の諸命題は、私を理解する君がそこを通り、そこの上に立ち、そこを乗り越えて行くとき、最後にそれが常識を逸脱していると認めることによってのみ、解明の役割を果たす。(君は――言ってみれば――梯子を登り切った後には、その梯子を投げ捨てなくてはならないのである――)君はこれらの命題を乗り越えなければならない。その時、君は正しく世界を見ている。

語ることができないものについて、我々は、沈黙せねばならない。

――Ludwing Wittgenstein「論理哲学論考」終章(6.54及び7)

ウィトゲンシュタインはラッセルにこの「論理哲学論考」を捧げる時、「これで私はほぼ世界を語り尽くしたと思います」と語ったという。世界を滅ぼさんとする原発に病的で愚劣なトートロジーを繰り返すエセ科学者どもに比して、真の数学者にして哲人たるウィトゲンシュタインの、この言葉は絶対的に美しい!

ニフティのブログネタがブログの新規作成画面の右に見える……

「もし学生時代に戻れるなら、何をしたい?」

……そんなの……決まってる……岸上大作の二番煎じで……誰彼に馬鹿にされながら……死ぬことさ……

結局、誰も他者の苦痛や悲しみは分かり得ない……

今日は母の遺品を半日整理した後、父と食事をしたが、三時間、一言もお互いに喋らなかった……

肉親でさえ、この体たらくさ……

互いに最後は退屈なあくびをして終わりだ……

――結局――誰にも分からない。誰にも分からないんだ……

2011/04/16

希望なきパンドラの箱

1 プロメテウスはゼウスから火を盗んで人間に与えた。
1・1 プロメテウスとはギリシャ語でpro(先験的に)+metheus(考える)の意――既に智を受けたる熟慮する者、の謂いである。
1・2 原子力の火はプロメテウスの火である。
2 その後、ゼウスは人間が神々よりも強くなることを恐れて、人類に災厄を齎すことを企み、鍛冶(たんや)神ヘイパイストスに泥から美女パンドラを創らせ、プロメテウスの愚鈍な弟エピメテウスに贈りものとして与えた。
2・1 エピメテウスとはepi(後に)+ metheus (考える)の意、後になって気づく者、後悔する者の謂いである。
2・1・1 今の日本人は原子力発電に後悔している。
2・1・1・1 既にそれは遅きに失した――それは日本人が文字通り、愚鈍なるエピメテウスであったからである。
3 ゼウスの姦計を悟った兄プロメテウスは弟エピメテウスにゼウスからの贈りものを受け取ってはならないと注意したが、エピメテウスは聞かず、パンドラを妻とした。
3・1 パンドラはキリスト教のイヴに当る、ギリシャ神話に於ける人間の女の始原である。
3・1・1 パンドラとはPan(全て)+dōrā(贈りもの)の意である。
3・1・2 全ての贈りものはあらゆる善悪を超えている。
3・1・2・1 全ての贈りものとはそれ自体が、快楽と、その反対の災厄を全て含む。
3・1・3 但し、全ての災厄は女によって齎されるというこのステロタイプな男尊女卑の図式は、噴飯愚劣馬鹿鈍愚である。
3・1・3・1 全ての災厄は主に政治的経済的な男性原理に基づく個人的利害によって齎されていることは言を俟たない。
3・1・3・2 その証拠に、福島原発関連で登場する原発側責任者に女性は一人としていない。
3・1・3・2・1 実際には♂よりも♀の方が放射線には抵抗力を持ち(妊娠女性を除く)、非常事態の危機管理に於いては慌てふためき絶望する♂に比して、♀の方が冷静な判断力を持つというのは、生物学的な真理である。
3・2 ここに原子力を初めとした重要で微妙な行政機構が主に権威主義的で愚鈍極まりない♂が占有していたことの致命的な誤りが露呈している。
4 後、パンドラはゼウスから与えられた箱を開けてしまい、その中のあらゆる災厄が地上に解き放たれた。
4・1 解き放たれたものは、エリス(口論や殺人といった災いの女神)、ニュクス(死の神タナトス、地獄の渡し守カロン、復讐の女神ネメシスなどのまがまがしき邪神の母)、そして疫病・悲嘆・欠乏・貧困・ 犯罪・不和・狂気といった人間のあらゆるエゴイズムであった。
4・2 原子力発電所はパンドラの箱である。
4・2・1 さらに哀しいことに、その箱は冷却水や鉛やコンクリートの石棺で封じても――「期待」も「希望」も残ってはいない。
4・2・2 残るのは再臨界の恐れを孕んだ炉心の残骸と高エネルギ廃棄物と高濃度の放射線に汚染された水だけである。 
5 以上のような災厄の元凶であるエピメテウスとパンドラの当人二人は――しかし、それらの災厄を一切免れ、後に起こった大洪水(!)からも生き延び、末永く、仲睦まじく、今も暮らしているという。
5・1 残念なことに、「現実の神話」は――いや「安全神話の崩壊した現実」は――誰一人、災厄から免れぬ。
5・1・1 僕らの世界には安穏としたエピメテウスとパンドラはいない。
6 僕らの世界にはもう「神話」は――ない。

2011/04/15

母さん

「母さんがいないと僕はいないんだ」――そう言って僕は母さんと別れたんだ――だから僕はもう僕ではない――僕はもう僕じゃない――だから僕は僕の意思を離れて僕は僕でない僕として生きる――僕はもう僕ではない――僕の頭上にはもう闘争のマルスも、そして発展・希望のシンボルたる三日月も光ってはいない――そこにあるのは、ただ、闇ばかり……

2011/04/13

いちめんのなのはな……かすかなるむぎぶえ ひばりのおしやべり やめるはひるのつき……いちめんのなのはな ルチアまりあへ ルカより

   風景       山村暮鳥

     純金もざいく

いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
かすかなるむぎぶえ
いちめんのなのはな

いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
ひばりのおしやべり
いちめんのなのはな

いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
やめるはひるのつき
いちめんのなのはな。

2011/04/12

母さん 今日はあほなグチやで

しんたろうもたけしもあほのケツの穴やなあ わてよりなんぼかあほや かあさん 尻たたいて ついでに制御棒 ぶっすりケツの穴に つっこんでやってくれへんか

2011/04/11

母さん

今の惨状を僕が細かく伝えなかったのは

よかったと思ってる

その頃には母さんはもう呼吸の不具合に苦しんでいたからね

だって母さんなら

いの一番に何かしなくてはならないと思ったし

それが出来ない自分に苦しんだし

たとえALSだろうが何だろうが

被災者やその被害者のことを知ったら

相応の治療を受けている自分のことを

頑として

拒否したに違いないからね

いや……

看護師や見舞いの人々の端々の言葉から

母さんは

それを敏感に感じ取っていたのかも知れないね

だから……

母さん……

あれが……

やっぱり母さんらしい最後の選択だったんだね……

母さん

母さん

かあさん

2011/04/10

福島第一原発1号機は本当に問題はないのか?

2号機の除水ばかりが報道され、二日前の驚愕の1号機100シーベルト超過の公式プラント・データはその後の保安院の報告では「計器不良」としたまま、数値は今以って示されていない。1号機の器内温度は一向に下がらないではないか。しかし放水冷却しているという報道もない(すれば高濃度汚染水が2号機同様に多量に出るからであろう)。格納容器の底は丸い。溶融した燃料棒や制御棒の残骸が底に溜まって、レンズ効果によってその塊の中心部が高熱を発し、局所的再臨界に達したのではないのだと保障し、再臨界に達しての100シーベルトではなかった、計器の誤りだった、再測定の結果はこれこれの低位だから安全だと何故、速やかに補正しないのか? そもそも1号機への窒素充填自体が水素爆発を防ぐための最後の切り札である以上、そうあってしかるべきであることは言を俟たない。部外者の識者のステロタイプな見解なんぞを僕らは聴きたいのではない。事実の数値を示すことのみが求められていると言ってよい。何故、それをしない? それどころか昨日になって何故、今更に何故、津波による打撃映像を公開した? これまで起こったこと――いや、これから起こることは津波による天災だった、とでも言い訳したいではなかろうか、と僕が勘ぐったとして、君は笑うかね? ――僕はますます『お前』を信じないのだ―― 

2011/04/09

藤沢鎌倉トンカチ山遺跡出土品第2011―3―19号出土品 縄文分銅型石斧 復元:藪野豊昭 

Sekihu_2 

さすが! 父さん! あの僕がぶら下げている石斧がちゃんと今も残ってた! 40数年前、藤沢から鎌倉にかけての丘陵地で父が休耕田から発掘した実物に父が柄をつけて復元したものだ。父はもう、どこで採掘したか覚えていないという。いいや、それでいいんだ! これは僕の縄文の父さんの、僕ら縄文の平和な一家四人を守る石斧なんだ! 後の僕の妻も入れて四人さ。妻は今夜、この石斧を見た瞬間、「あら! トンカチ山!」と訳の分からないことを言ったのだ。それは縄文のシャーマンの謂いに僕には聴こえたのだ! だから迷わずそれを出土地としよう! この石斧部分、言っとくが、素人の僕が見ても、正真正銘、これは父さんの作った模造品なんかじゃない! モノホンの縄文期の分銅型石斧なんだぜ!

縄文の母子像 280000アクセス記念――母の形見に――

……遠い遠い遙か縄文の昔のことだ――後に鎌倉と呼ばれる山を母子が越えていったと……

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……父と三人の住居の祝祭に祀るための笹の枝を抱える如何にもひ弱な少年――慈愛に満ちた笑えみを浮かべて左手を少年に触れている母――

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……越路をゆく二人の後姿――

――少年は左の手に父の作ってくれた一人前の男の証しである母を守るための立派な石斧をぶら下げて……

ブログ280000アクセスの記念(280000人目のアクセス者はつい今しがた、12時22分14秒に"nessun maggior dolore"の検索ワードで「NESSUN MAGGIOR DOLORE イワン・ツルゲーネフ 補注追加」をご覧になったあなたである。……因みに詳しくはリンク先の私の注をお読み頂きたいのだがこの“NESSUN MAGGIOR DOLORE”はダンテの「神曲」の一節で、“Nessun maggior dolore che ricordarsi del tempo felice nella miseria.”と続き、イタリア語で「逆境にあって幸せな時代を思い出すこと程つらいことはない。」という、意味なのである……)と――

母の形見に――

――Aндрeй Aлaин Лэрoй Йaбунoвич Лука Taдaский

追伸:今日の昼間、このブログを書いた後にアリスを散歩に連れてゆくと、近くのおばさんが僕を見かけて、お悔やみを言ってくださった(この方は亡くなった直後に既に線香を上げに来てくれて頂いていたけれども、母の逝去後に僕がお逢いするのは初めてだったから)。……その話の中で、おばさんは「一昨年はいつも元気にアリスちゃんを連れて散歩なさっていたのに……私は……この上の山の方に……まだ、お母さまがいらっしゃるような気がしてならないんです……」とおっしゃった。僕は、このブログを書いた直後だったから、何だかそのおばさんの言葉が真実に聴こえたのだった。……そうして、亡くなった翌日に訪ねてくれた西原のお兄ちゃん、そのお兄ちゃんと、僕とおばさんが話しているそのすぐ下にある寺の、彼のオモニの墓のお参りをしたのを思い出したのだ。その時、お兄ちゃんはオモニの墓のまさにこの裏山の斜面に御菓子をちぎって投げながら、「お~い! また、来るぞ! それまで待ってろよ!」と何ものかに呼びかけて泣いていた。そして振り返って、僕に言ったのだ。「たーちゃん! しょうがないよ!」――そうだ!――この僕の家の裏山の、その山ふところの、自然の中に――確かに母は――いる!――僕は今、神がかった確信を持ってそう感じているのである――

279924アクセス

現在 2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、279924アクセス 恐らく本日中に280000アクセスに達する いつもなら記念テクストを公開するのだが そのストックも力もないのだ ただ 代わりに用意したものがある それでお許しあれ――

2011/04/08

たらちね

垂ら血ねや

   誰(たれ)も解らぬ

      母の生(しょう)

             唯至

たらちね

垂乳根の母が吊りたる青首の血を啜りつつ我は生き継ぎ  唯至

たらちね

タラチネル

  ベル

   カテドラル

  アポカリプス

       唯至

たらちね

垂乳根の母と驅けたるあの路邊(みちのべ)に我が葬送の鐘の音ぞする 唯至

たらちね

垂乳根の

母父子なる

無惨 業(ごう)

     唯至

たらちね

たらちねのははそはのはのそよそよと

      かひなきねなくもだしをるのみ   唯至

たらちね

たらちねの母の自死せる花下(はなもと)に

             裸体少年蝉時雨   唯至

たらちね

たらちねの母の乳首を喰ひ破り

    無縁佛となりにけり     唯至

   

漬物桶に鹽ふれと母は産んだか 尾崎放哉

漬物桶に鹽ふれと母は産んだか

筋萎縮性側索硬化症の母に「これで終わりです」という医師の直接告知は妥当であったと言えるか?

あの二月十二日に主治医は僕と母を前に

「筋萎縮性側索硬化症である疑いが濃厚です。従って残念ですが、これで終わりです。後はメンタルな部分で人工呼吸器等をどうするかといったことをお考えになる必要がありますね」「この後、どれくらい延命出来るかは悪いのですが分かりません」(これはALSである以上、確かに正しい)「僕らのボスである徳田虎雄も同じ病気ですが、彼は『生きる』ことを選択したんです。」

と言ったのだった。勿論、その態度は決して軽薄ではなかった。勿論、「終わりです」は治療法も有効な新薬もないという後段の説明を受けるが故に、文脈の中では「治療は」という主語以外にはないのだということも理性的には納得した――が――

「これで終わりです」――そして――『生きること』を選択しないということは、『死ぬこと』を選択することも出来ます――という謂いか?!

僕は今になって感じる。これが三日ほど経って僕に

「自殺したくても自殺も出来ない」

「こんな先の見えない中で生きてゆくのは苦痛だわ」

という母の独白となったのであろうことを――

僕はその4ヶ月も前に、献体を希望している母に

「僕もあなたも自殺は出来ないんだよ。だって献体しているんだから。司法解剖されたら、だめなんだからね」

と通院の帰りのタクシーの中ではっきりと言い放ったりはした――しかし――

この時の

「自殺したくても自殺も出来ない」

という母の肉声は途轍もなく重かった……僕が母だったら

「こんな先の見えない中で生きてゆくのは苦痛だ」

と確かに思うに決まってる……

……僕はいつか原因も不明、余命も不明、治療法なしというこのALSの告知方法について、書きたい。

ALSの患者を親族知人に持つことになる人々のためにも、書きたいと思う。

……今の檣の折れかけた僕には書けるかどうかも定かではないけれど……

……あの、確かに、相応に一生懸命やってくれ、結果として最期となった受け入れ病院も個人的な人脈で特別に差配してくれた医師を、指弾したいのでは毛頭、ない。

そして僕は癌を含む死病の告知に100%賛成である。

が――

しかし

やっぱり

「私のために一生懸命してくれているお医者さんや看護師の方たちやみんなのために、頑張んなくっちゃ!」

と言っている母に

何の前触れもクッションもなしに直接――

「残念ですがこれで終わりです」

「延命を拒否する選択もあるのです」

「いつ死ぬかも悪いのですが分かりません」

という直接『告知』――

否――『赤裸々な謂い』(僕はこれを告知と呼ぶことに抵抗を覚える)は

――絶対に、あってはならなかったと僕は思うのだ

――そこに

――医師として科学的事実を語る手順や方法の中に(これは今現在僕らが置かれている原発の進行中の事実について科学者や技術者が解説することに対しても同様に言えることではある――但し、それは隠蔽と煙に捲く真逆のベクトルとして――である)

――インフォームド・コンセントのセオリーのエシックスに関わる致命的な誤謬が

――患者の心を汲むべき「人間として」の何かが欠けていたのではなかったかということを

――僕は今、痛切に実感しているのである……

あなたが母の主治医だったら――どうしますか?――

2011/04/07

三月のうた リターン 否 真の鑑賞/感傷

谷川俊太郎 作詩
武満徹    作曲
波多野睦美 歌

私は花を捨ててゆく――
ものみな芽吹く三月に――
私は道をすててゆく――
子らの駆け出す三月に

私は愛だけを 抱いてゆく――
喜びと恐れとお前――
お前の笑う――三月に

私は愛だけを 抱いてゆく――
喜びと恐れとお前――
お前の笑う――三月に

三月十九日

母が逝った後には

この歌の意味は大嫌いな谷川俊太郎の作意を軽々と超えて

この歌の印象は大好きな武満徹の旋律を辛くも微妙に超えて

僕には確かな重要な途轍もない重い意義を持って感じられるようになったのだ

母よ

あなたは

確かにこの歌の

その通りだったのではないのか?

僕は

それを名指すことは出来るけれど

しかし

示すことは終生出来ない――

……母さん……誓って僕はあなたしか愛しません

離任式 又は 航海を祈る 村上昭夫

今日、君たちの離任式で読んだ詩を掲げておきます。これは既に昔、僕のブログに「書かれている」ものですが、これを僕が人の前で朗読したのは今日が始めてです。誰にもどこでも「朗読したこと」はありません。そして恐らく、これが僕のこの詩の朗読の最後であろうと思います。たった一度の――僕の心からの君らへの「安全なる航海を祈る」というメッセージだったのですよ。

航海を祈る   村上昭夫

それだけ言えば分ってくる

船について知っているひとつの言葉

安全なる航海を祈る

 

その言葉で分ってくる

その船が何処から来たのか分らなくても

何処へ行くのか分ってくる

 

寄辺のない不安な大洋の中に

誰もが去り果てた暗いくらがりの中に

船と船とが交しあうひとつの言葉

安全なる航海を祈る

 

それを呪文のように唱えていると

するとあなたが分ってくる

あなたが何処から来たのか分らなくても

何処へ行くのか分ってくる

あなたを醜く憎んでいた人は分らなくても

あなたを朝焼けのくれないの極みのように愛している

ひとりの人が分ってくる

 

あるいは荒れた茨の茂みの中の

一羽のつぐみが分ってくる

削られたこげ茶色の山肌の

巨熊のかなしみが分ってくる

 

白い一抹の航跡を残して

船と船とが消えてゆく時

遠くひとすじに知らせ合う

たったひとつの言葉

安全なる航海を祈る

(1999年思潮社刊「村上昭夫詩集」より)

注:第4連目は改ページの頭になっており、組版では一行空きではありませんが、僕の判断で、一連ととりました。また、朗読の際の聴き取りの不具合を考えて、故村上昭夫氏には悪いけれども、今日の朗読では「巨熊」を「大きな熊」と読み替えています。僕は村上氏もあの柔和な笑顔で、許して呉れるものと思っています。

今日の詩に何かを感じた人――是非、「村上昭夫詩集」を読んで欲しいのです。確信犯的に著作権侵害をしている僕に出来ることは、彼の詩集を多くの人が読んで呉れること以外には、ないからでもあります。彼の出身は岩手県一関市、結核で亡くなったのは仙台厚生病院、41歳でした。そうして――詩集を見ると分かりますが、この「航海を祈る」は詩集の最後にあります。これは一種の村上昭夫の辞世なのでした。いや、彼の生きたのは、

 五億年の雨よ降れ
 五億年の雪よ降れ

という「五億年」という詩句からすれば5億歳だったとも言えるのかもしれません。「安全な航海を祈る」と言って優しく敬礼する彼の視線は、

しんしんと肺碧きまで海のたび

という篠原鳳作のかの絶唱にダブって、篠原の肺から彼の肺を経て、僕らの肺へと響き返し、それは永劫、木霊となって、今日、あの体育館で僕の朗読を聴いたあなた方の――そのDNAへとうち返し続けるでありましょう。

ゆりちゃん――カピバラのぬいぐるみ、これから僕の寝床の伴侶とするよ!

さきちゃん――いいね! 「X-RAY」! 高かったろうに、僕のお宝だ!

まえしろさん――こういうプラント・アニマル、すっごい欲しかったのよ! 母の祭壇の脇で、陽の光りがあたると、とってもピュア・アート!

ハンドのみんな――僕の海洋生物好みをビビンと来させたね! 実はこういうありがちな湯飲みなんだけど、僕は実は全く持ってなかったから超嬉しいんだ! スタンドには僕のお気に入りの母とのこの一枚を飾ります!File0112

ひなちゃん――ハンカチーフありがと! 貴女がいなければ僕には山岳部は続かなかったよ!

その他、たくさんの御手紙を戴きました。冗談でラブレターですと渡されたドッキリもありました――来られないからとメールを呉れた沢山の卒業生、昔々の別な学校の教え子で、花を持って行きますと言ってくれ乍ら、どうなるか分からなかったからお断わりしてしまったK.愛さん……その総ての人々に心から元気を戴きました。本当にありがとう!――母聖子テレジアの慈愛と放蕩息子乍ら一時の慈悲を受けて今日は特別に一時の改心をした直史ルカは――あなたとあなたの御家族をお守りします。

今日は本当にありがとう! 

 

2011/04/04

「祭り」の終わり 又は 安全な航海を祈る

「祭り」は「晴レ」であった

それが終われば「穢レ」だ

即ち日常は民俗社会に於いて当然の「穢レ」であった

ところが非日常的現実が日常となる時が来た

真に陸にも海にも「穢レ」が垂れ流される今日

いや それでも我々は日常を生きるしかない

いや 我々は非日常を日常に安易に読み替えて生きていこうとする

しかしその時

日常を非日常に読み替えていることをしっかりと認識していないならば

それは

結局僕のような愚劣なペシミストの末路と全く以って同じ犬死となるのだということを最後に僕は君たちに言おう

そこではオプテミストはペシミストと等価である

そのような愚かな生き方を君たちはするな

若き生命を大切にせよ

そこでは自律的な自己判断だけが

何より「あなた」を救うのだということを銘記せよ

ただ一つの言葉

――安全な航海を祈る―― 

2011/04/03

La fete est fine.

La fete est fine.

母さん

桜 咲いたよ

相模陣のお寺に下る途中 もう満開だ

その向かいの斜面には緑の点綴する山桜もあるよ

切通しの桜も五分咲きで とってもいいんだ

向かいのお寺の正面は紅色の蕾が硬くて綺麗だし

その左手のソメイヨシノは三分咲き

今夜 二人きりで みんな みんな

見て歩こうね か、あ、さん――

父さんとのりちゃんには内緒だよ…… 

御用学者の嘘をお見せしよう

東京大学大学院教授大橋弘忠なる男の以下の発言を見よ。これは平成17年12月25日、唐津ロイヤルホテルにおいて、国と九州電力が推進する玄海原子力発電所3号機のプルサーマル計画の安全性について、県主催の公開討論会での討議の内容を加工せず、佐賀県の公式HPの「プルサーマル計画について」のこのページから、そのままコピー・ペーストしたものである。5億円の講座寄付を東京電力から受けている東京大学ならでは。国民を愚民とするこの男の発言を見よ! 下線部は僕が引いた。まず反対派の事故可能性についての「美浜・大飯・高浜原発に反対する大阪の会」代表の小山英之氏の意見を小馬鹿にした大橋弘忠なる男の発言(一部に意味の通じ難い箇所があるが、そのまま引用する)。

【東京大学大学院 大橋教授】

 これはもう安全余裕を完全に間違えて理解しておられる方の考え方で、融点が下がるということがどういうプラントに問題を引き起こすかということから解析をして、何かが起こった時に、それが溶けるのか、溶けないのか、そういう議論をしているわけです。ですから、融点がちょっと変わったから危険になりますよ、怖いですよというような話は技術的には何の根拠もありません。

一つ、先ほど小山さんにお伺いしたい。大変申し訳ないんですけども、スリーマイル島の事故の時に炉心が溶けました。炉心が下に落ちまして、原子炉の下に溜まって、冷やされて固まったのがTMIの事故です。もちろん炉心がそのまま発熱を続ければ、原子炉の中から溶けて下に落ちたというのは考えられなくはないです。小山さんの資料の中に落ちたら水蒸気爆発が起こるかもと書いてありました。私は水蒸気爆発の専門家です。更田さんもそうですけど、我々専門家の間ではそんなことは夢にも考えられていないんですけども、もし、TMIで炉心が下に落ちて水と混ざったら水蒸気爆発が起こるかもしれないというのはどういうふうに判断されたんですか。

こうやってお聞きしているのは、こういう話をこういう場所でいい加減な根拠でされると、そうすると反対派の方がいやTMIは水蒸気爆発が起きたんだろうというようなことを引用されるわけですね。水蒸気爆発が起こると、今度は格納容器が壊れたんじゃないかというふうに拡大していくんですけども、もとのところは、どういうお考えで、どなたからお聞きになって、どういう判断で「TMIでもし燃料が溶けて下に落ちると水蒸気爆発が起こるかもしれない」と書かれたんでしょうか。

【中村コーディネータ】

小山さんどうぞ。

【美浜・大飯・高浜原発に反対する大阪の会 小山代表】

何か資料に基づいて話したのではありません。

【東京大学大学院 大橋教授】

 そうすると、こういう公の場で話をされるには不適切ではありませんでしょうか。技術的な議論をしている時にですね、何の根拠もないお話を「かも」という言葉をつければ許されるという類の内容ではないように思うんですけど。

【美浜・大飯・高浜原発に反対する大阪の会 小山代表】

じゃ、水蒸気爆発は起きないという証明はできるんですか。

【東京大学大学院 大橋教授】

 そういうレトリックな話をしているんじゃないですよ。

【美浜・大飯・高浜原発に反対する大阪の会 小山代表】

 できるんですかと聞いているんですよ。
条件によると思うんですが・・・。

スリーマイル島の場合の話をされているのですか。

【東京大学大学院 大橋教授】

はい。

【美浜・大飯・高浜原発に反対する大阪の会 小山代表】

それは、ちょっと私はわかりません。

【東京大学大学院 大橋教授】

 分からなければ書くべきではないんではないでしょうか。ここで書かれたことがまた二次的、三次的に引用されて、起こるかもしれない、いや起きる、いや格納容器が壊れると、そういうふうに必ずなっていくような構造を持っているように見受けられたから、大変恐縮だったんですが、お伺いした次第です。

一読、お分かりになるだろう――彼が小山氏を批判するのに用いている正に『レトリックな』トリックをしかけているのが、この大橋弘忠と言う大山師であることが! こいつの脳内には髓質も灰白質もなく、ただ専門の水蒸気しかつまっていないらしい。

以下は凄いぞ! 福島原発のような事故は隕石が地球に落ちて人類が滅亡する――というより、この東大大学院教授男は「地球が壊れる」という如何にも非科学的な言い方をしているのに着目しよう――確率と同じくらい低いんだそうだ! 格納容器が壊れるなんてのは1億年に1回のリスクなんだから問題視する必要がないんだそうだ! そうかい? じゃ、今回の事故は凄いな! 1億分の1の確率――いやさ! お前はその前に巨大隕石の話を持ち出しているわけだから、40億年に1回もないとんでもない確率の現実に僕らは遭遇したというわけかい!!!――これが天下の東大の最先端の科学者の物言いかい?!

【東京大学大学院 大橋教授】

 私のパソコンを写していただけませんでしょうか。これが事故範囲の話を少し詳しく調べてまとめてきたものです〔資料3-7:PDF99KB〕。なかなか資料がなかったんですけれども、先ほど申し上げましたように、原子力資料情報室という所のホームページに、志賀、これは石川県の方ですけども、志賀原発2号炉における事故時の影響予測、プルサーマルの場合とウラン燃料の場合という比較がありました。おそらくこれと同じやり方で、同じやり方をして、距離で2倍、面積で4倍という主張がされているんだと思います。

ラスムッセン報告というのがあります〔資料3-8:PDF104KB〕。ラスムッセン報告というのは、1975年に発表されました格納容器破損のシナリオというのが含まれている報告です。この格納容器破損のシナリオを使って、プルトニウムの放出については、チェルノブイリで放出された値プラスアルファという4%という値を想定して、他のアクチニド元素もどんどん放出されるという仮定を置いて、半数死亡の距離を計算すると、ウラン燃料で45キロ、MOX燃料で83キロと約2倍になりますから、これをもってして距離で2倍、面積で4倍の評価になっているかと思います。

[やぶちゃん注:福島第一はMOX燃料を用いていることは周知の通り。推進派の学者でさえ、この時は「半数死亡の距離を計算すると、ウラン燃料で45キロ、MOX燃料で83キロ」と言っている。あなたがたはこの推進派も信頼するラスムッセン報告なるものを最近のニュースや御用学者の口から聞いたことあるかね? 僕はないね。尚且つ、ここではこの男「格納容器破損」でこれだと言っているのだよ。日本の原子力行政ではメルトダウンはゼッタイ起こらないのだからね。「格納容器破損」なんだわい。]

ラスムッセン報告というのは、原子力のリスクを定量的に評価したもので、1975年に発表されました。それはシナリオをそれぞれ考えまして、あるシナリオについて確率、それからその影響を評価して、確率を影響評価して、全部足してリスクを求めたものです。一番顕著な結果は、当時原子力のリスクは、隕石に当たって、隕石が地球に落ちてくるリスクと同じだという評価をされまして、反対派の方からはおかしい、おかしいと評価されたものです。

これは、こういうことなんです。大隕石、例えば地球が壊れるような大隕石が落ちる確率というのは、地球が出来て40億年間一つも来ていないわけですから、極めて小さい確率です。ただ、地球の大きさのような隕石が当たれば、地球は全員死亡ということになります。中程度の隕石ですと、確率は中間だけど、影響も中間くらい。小隕石はおそらく、1年に何個か落ちてきている確率は大きいんだけれども、その影響というのは殆ど海へ落ちて、燃え尽きたりして微小であると。こういうのを足してリスクを求めるのがリスク評価です。

[やぶちゃん注:こいつには巨大爬虫類滅亡の原因がユカタン半島に落下した「小さな」隕石だったなんてことは、到底、理解出来ないね。]

確率論的安全評価研究というのが、ラスムッセン報告の後始まりまして、想定するシナリオの詳細化だとか、確率の評価、機器の故障データベースを充実させる。放射線影響評価の高度化ということで、膨大な研究とデータの充実と手法の高度化が行われています。

これはお配りした資料につけてありますけども、レベル1PSA、PSAというのは、確率論的安全評価で炉心がどれくらいの頻度で損傷するかと。また次はレベル2というので、格納容器がどれくらいの頻度で破損して、公衆に放出されるか。それの影響はどうかというのはレベル3という評価でされています〔資料3-9:PDF66KB〕。

2倍4倍解析という原子力資料情報室の解析の問題点は、都合のいいシナリオだけとってきているわけです〔資料3-10:PDF96KB〕。例えば大隕石が落ちますよと。怖いですよ、地球は全員死んじゃいますよと。この確率論的安全評価というのは、確率を考慮してリスクを求めるためのもので、シナリオだけとってきてもしょうがないわけです。30年前の古いデータです。今は格納容器破損が起きる確率は極めて小さい。1億年に1回というような評価がされているのに、それが起きると考えたらというような評価がされています。だからチェルノブイリのケースとは全然違います。チェルノブイリのようなことが起こるとは、原子力の専門家は誰も思っていないわけです。それは起こるかもしれない。危険ですよと言って、大きく異なるデータを意図的に持ってくると。

それが先ほど小山さんにご質問したことと関係するんですけど、二次的に引用されるわけです。ホームページを調べてみると、何か根拠は分からないけれども、プルトニウムだから距離2倍、被害4倍に広がるとかですね、これまでの倍は逃げないといけない。面積は、汚染面積は4倍にもなると言われていると。これは全く根拠のない。これは我々から言えば捏造です。原子力資料情報室というのは、どういうものか知りませんけれど、技術レベルが極めて劣るのか、こういうことを日常的にやっておられるか、どちらかだと思います。そういうデータを出す事によって、どんどんどんどん二次的に言って、それにマスメディアがそれに飛びつけば、距離が2倍、被害が4倍、何十万人が死にます。何兆円損しますというふうに広がっているのが、こういう解析の一番大きい問題点だと思います。

これが奴らのやり口なんだ。今日只今でもこの男は「距離が2倍、被害が4倍、何十万人が死」ぬなんてことはあり得ない、「何兆円損」するなんてことはありえねんだと豪語するんだな?!

この大橋弘忠なる男も万死に値する。

まあ、嘗て述べた通り、万死に値するのは総ての日本国民なのだから、取り立ててこの愚劣な男を槍玉に挙げる必要も、全くないのだがね……そういう点でも僕はこの忌わしい大橋弘忠なる人物から名誉毀損を訴えられても、一向に平気の平左だ。

よかったら一緒に福島原発に行って高分子ポリマーを海に繋がる電源パイプに二人で素手で穴に詰めようじゃねえか?

俺は本気で言ってるんだ!

一緒に行こう!

俺は本気でやるぜ!

そうしたらあんたのおぞましい嘘もチャラにしてやる!

因みに貴様は同じシンポジウムで「プルトニウムは水に溶けない。飲んでも大丈夫だ。」と言っているらしいね!(2011年8月31日追加:確信犯発言画像リンク) 

ますます一緒に行きたくなったぜ!

汚染水で眼の覚めるような昇天ハイボールと行こうゼ!

この糞野郎が!

因みにプルトニウムの強毒性と急性毒性は僕のような馬鹿でも知ってるんだ。僕の昔の友人は東京電力の原子力発電のアセスメント担当(勿論推進派だ!)の科学者だったが、彼でさえ「あなたの言う通り。プルトニウムは極めて危険なんです。触れて数時間以内に皮膚は爛れ出し、細胞は致命的な損傷を起こします。」と言っていたぜ!

――僕ならもう、TVの御用学者の言うことは信用しない(東京電力から多額の寄付を受けている大学の「先生」ばかりだからな)。そもそもだ、数字の桁数を二桁も間違える科学以前の算数も出来ない技術者の言葉も、だ!

貴様ら、下請けで被爆している作業員や自衛隊員の人々の代わりに行って、チェレンコフの業火を美事、鎮火して来いや! 俺も何時でも同行してやる! 一緒に死のう!――

【2011年4月24日追記】大橋弘忠東京大学大学院教授の名前を誤記していたので訂正した。それにしても、この男、福島原発事故以降、やけに影が薄い、自身の言動を悔いて自己幽閉でもしたのかと思っていたら、検索をかけると、これを書いた前日の4月2日にはCSで「大震災から3週間……緊迫が続く福島第一原発事故。最悪の事態は回避できるのか? そして今、政治が成すべきこととは?」てな番組で、いけしゃあしゃあと自民党の林政調会長代理と対談してたらしいな。しかし、調べてみると驚天動地だ。その番組に関わるTogetterの書き込みの記載によれば、

この大橋弘忠なる男は事故直前の2011年2月7日に福島第一原発の安全性を、かの見るも忌わしい能面男の保安院に保証した人物でもある

とあるのだ! これは今回の未曾有の大事故の最重要参考人であり、重責間違いなしの人物の一人だということだ! 更にその記載には、もっと恐るべきことが記されている! 彼は通産省白書の

『福島第一原子力発電1号炉の経年化技術評価書』で30年使用限界とされるこの福島第一原発を60年使用可能だとさえ評価している

というのだ!

大橋弘忠よ!

てめえはどの面(つら)下げておまいさん、あっしらの前(めえ)に出られるっていうんでえ?

あっしは何時でも匕首でおまえの首を掻き切る覚悟があるぜ!

大橋弘忠!

鉄面皮(おたんちん)たぁ、あっ! て~め~え~の~こ~と~よ!!!

2011/04/02

全力で走る母

多分 あなたには分からない だって 僕も分からずに涙していたのだもの 「誓いの休暇」の あの全力で走る母こそ アリョーシャの――プリステーィチ・ママ――の台詞の向こうにいる「母」こそ――僕たちの「母」なのだ――

僕はもう二度と言わない――あのキノ・ボーベェスチは欲しい奴はいないかい? タルコフスキイは、この「誓いの休暇」だけは、やっぱり越えてない、というのが今の、僕の感懐だ――

2011/04/01

母さん

母さん ちょっと 疲れたよ 少し 眠ることにした でもね とんだことは何もしないんだ 自分に繋がるみんなから デクナボーって呼ばわるものになることにしても 僕は いいんだ 母さん……あなたは、きっと怒ると思うけどね――

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