離任式 又は 航海を祈る 村上昭夫
今日、君たちの離任式で読んだ詩を掲げておきます。これは既に昔、僕のブログに「書かれている」ものですが、これを僕が人の前で朗読したのは今日が始めてです。誰にもどこでも「朗読したこと」はありません。そして恐らく、これが僕のこの詩の朗読の最後であろうと思います。たった一度の――僕の心からの君らへの「安全なる航海を祈る」というメッセージだったのですよ。
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航海を祈る 村上昭夫
それだけ言えば分ってくる
船について知っているひとつの言葉
安全なる航海を祈る
その言葉で分ってくる
その船が何処から来たのか分らなくても
何処へ行くのか分ってくる
寄辺のない不安な大洋の中に
誰もが去り果てた暗いくらがりの中に
船と船とが交しあうひとつの言葉
安全なる航海を祈る
それを呪文のように唱えていると
するとあなたが分ってくる
あなたが何処から来たのか分らなくても
何処へ行くのか分ってくる
あなたを醜く憎んでいた人は分らなくても
あなたを朝焼けのくれないの極みのように愛している
ひとりの人が分ってくる
あるいは荒れた茨の茂みの中の
一羽のつぐみが分ってくる
削られたこげ茶色の山肌の
巨熊のかなしみが分ってくる
白い一抹の航跡を残して
船と船とが消えてゆく時
遠くひとすじに知らせ合う
たったひとつの言葉
安全なる航海を祈る
(1999年思潮社刊「村上昭夫詩集」より)
注:第4連目は改ページの頭になっており、組版では一行空きではありませんが、僕の判断で、一連ととりました。また、朗読の際の聴き取りの不具合を考えて、故村上昭夫氏には悪いけれども、今日の朗読では「巨熊」を「大きな熊」と読み替えています。僕は村上氏もあの柔和な笑顔で、許して呉れるものと思っています。
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今日の詩に何かを感じた人――是非、「村上昭夫詩集」を読んで欲しいのです。確信犯的に著作権侵害をしている僕に出来ることは、彼の詩集を多くの人が読んで呉れること以外には、ないからでもあります。彼の出身は岩手県一関市、結核で亡くなったのは仙台厚生病院、41歳でした。そうして――詩集を見ると分かりますが、この「航海を祈る」は詩集の最後にあります。これは一種の村上昭夫の辞世なのでした。いや、彼の生きたのは、
五億年の雨よ降れ
五億年の雪よ降れ
という「五億年」という詩句からすれば5億歳だったとも言えるのかもしれません。「安全な航海を祈る」と言って優しく敬礼する彼の視線は、
しんしんと肺碧きまで海のたび
という篠原鳳作のかの絶唱にダブって、篠原の肺から彼の肺を経て、僕らの肺へと響き返し、それは永劫、木霊となって、今日、あの体育館で僕の朗読を聴いたあなた方の――そのDNAへとうち返し続けるでありましょう。
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ゆりちゃん――カピバラのぬいぐるみ、これから僕の寝床の伴侶とするよ!
さきちゃん――いいね! 「X-RAY」! 高かったろうに、僕のお宝だ!
まえしろさん――こういうプラント・アニマル、すっごい欲しかったのよ! 母の祭壇の脇で、陽の光りがあたると、とってもピュア・アート!
ハンドのみんな――僕の海洋生物好みをビビンと来させたね! 実はこういうありがちな湯飲みなんだけど、僕は実は全く持ってなかったから超嬉しいんだ! スタンドには僕のお気に入りの母とのこの一枚を飾ります!
ひなちゃん――ハンカチーフありがと! 貴女がいなければ僕には山岳部は続かなかったよ!
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その他、たくさんの御手紙を戴きました。冗談でラブレターですと渡されたドッキリもありました――来られないからとメールを呉れた沢山の卒業生、昔々の別な学校の教え子で、花を持って行きますと言ってくれ乍ら、どうなるか分からなかったからお断わりしてしまったK.愛さん……その総ての人々に心から元気を戴きました。本当にありがとう!――母聖子テレジアの慈愛と放蕩息子乍ら一時の慈悲を受けて今日は特別に一時の改心をした直史ルカは――あなたとあなたの御家族をお守りします。
今日は本当にありがとう!