入日の壁 北原白秋
黄(き)に潤(しめ)る港の入日(いりひ)、
切支丹(きりしたん)邪宗(じやしゆう)の寺の入口(いりぐち)の
暗(くら)めるほとり、色古りし煉瓦(れんぐわ)の壁に射かへせば、
靜かに起る日の祈祷(いのり)、
『ハレルヤ』と、奧にはにほふ讚頌(さんしよう)の幽(かす)けき夢路(ゆめぢ)。
あかあかと精舍(しやうじや)の入日。――
ややあれば大風琴(おほオルガン)の音(ね)の吐息(といき)
たゆらに嘆(なげ)き、白蝋(はくらふ)の盲(し)ひゆく涙。――
壁のなかには埋(うづ)もれて
眩暈(めくるめ)き、素肌(すはだ)に立てるわかうどが赤き幻(まぼろし)。
ただ赤き精舍(しやうじや)の壁に、
妄念(まうねん)は熔(とろ)くるばかりおびえつつ
全身(ぜんしん)落つる日を浴(あ)びて眞夏(まなつ)の海をうち睨(にら)む。
『聖(サンタ)マリヤ、イエスの御母(みはは)。』
一齊(いつせい)に禮拜(をろがみ)終(をは)る老若(らうにやく)の消え入るさけび。
はた、白(しら)む入日の色に
しづしづと白衣(はくえ)の人らうちつれて
濕潤(しめり)も暗き戸口(とぐち)より浮びいでつつ、
眩(まぶ)しげに數珠(じゆず)ふりかざし急(いそ)げども、
など知らむ、素肌(すはだ)に汗(あせ)し熔(とろ)けゆく苦惱(くなう)の思(おもひ)。
暮れのこる邪宗(じやしゆう)の御寺(みてら)
いつしかに薄(うす)らに青くひらめけば
ほのかに薫(くゆ)る沈(ぢん)の香(かう)、波羅葦増(ハライソ)のゆめ。
さしもまた埋(うも)れて顫(ふる)ふ妄念(まうねん)の
血に染みし踵(かがと)のあたり、蟋蟀(きりぎりす)啼きもすずろぐ。
*
(「邪宗門」より)