「誓いの休暇」は確かにタルコフスキイの原点であった――
冒頭を見給え! 麦畑の中の道――その左側で帰ってこないアリョーシャの面影を求めて、彼方を見つめる母カテリーナから、カメラはかなり早いパンを時計回りにして、街道の前景よりも有意に前方の街道の右端を写す――その時、その画面の右からフレーム・インしてくるのは数メートル後方の道の左端に居たはずのカテリーナなのだ――これを時計で計測してみるがいい。リアルな状況では、不自然に俳優が走らない限り、あり得ない映像なのだ(実際にそこまでの母の動きは終始一貫ゆっくりしたものであり、撮影は勿論、監督のそのような走ってこっちへという強制的指示がなされたとしか考えられない。そしてそこは――エンディングでカテリーナが全力で走って出た、アリョーシャと抱き合う、あの場所なのである)。これはタルコフスキイの、パンで左にフレーム・アウトしたはずの登場人物が、物理的にあり得ない右からフレーム・インするのと全く同じである――チュフライはやはりタルコフスキイの正しき良き教師で、あったのだ――