芥川龍之介と李賀の第三種接近遭遇を遂に発見した
有客來相訪 通名是伏羲
泉石烟霞之主
但看花開落 不言人是非
與君一夕話 勝讀十年書
夭若有情 天亦老 搖々幽恨難禁
悲火常燒心曲 愁雲頻壓眉尖
書外論文 睡最賢
虚窓夜朗 明月不減故人
藏不得是拙 露不得醜
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芥川龍之介ノート「ひとまところ」より。底本は旧全集を用いた。本ノートは冒頭に『大正十三年九月十八日如例胃を病んで臥床す「ひとまところ」は病中の閑吟を録するもの也 澄江子』のクレジットがある。この詩は全集に当ることでしか読み得ず、尚且つ、ノートの類として、また、数少ない芥川龍之介の漢詩という特異性から、まず一般人(僕を含めて)の目には滅多に触れないものである。恐らくこれをご覧のあなたも初見であろうと存ずる。
因みにしかし――まさにこれは「越し人」片山廣子から、あの情熱的な手紙を受け取った十三日後、廣子への内なる恋情の炎の只中にあった龍之介の記した漢詩なのである!――搖々幽恨難禁 悲火常燒心曲 愁雲頻壓眉尖――とはまさに、その廣子への思いではないか?!
そして――この詩の中に李賀が、いる、のだ――!
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芥川龍之介が李賀を愛読していたことは古くから知られていたことなのだが、僕は未だ嘗て、それを裏付ける芥川龍之介自身の執筆になる一次資料を見たことがなかった。
ところが今回、遂に芥川龍之介の作品の中に李賀の痕跡をはっきりと見出すことが出来たのである。
それは昨日入手した2010年5月花書院刊の中国中山大学教授邱雅芬(キュウ ガフン)氏の「芥川龍之介の中国―神話と現実」(因みに雅芬氏は女性である)の「第二章 芥川と漢詩」のお蔭である。
その「解説」でまず邱氏は第六句目の「夭若有情」は「天若有情」の誤りであると指摘されている。煩瑣を厭わず、そう直したものを示そう。
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有客來相訪 通名是伏羲
泉石烟霞之主
但看花開落 不言人是非
與君一夕話 勝讀十年書
天若有情 天亦老 搖々幽恨難禁
悲火常燒心曲 愁雲頻壓眉尖
書外論文 睡最賢
虚窓夜朗 明月不減故人
藏不得是拙 露不得醜
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以下、僕なりに訓読してみよう(邱氏は中国人であられるので日本人のするようないい加減な訓読自体がない)。
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客有り 來つて相ひ訪ふ 通名 是れ 伏羲(ふつき)
泉石烟霞の主なり
但だ看る 花の開落せるを 言はず 人の是非
君と一夕を話すは 十年書を讀むに勝る
天若し情有らば 天も亦老いん 搖々たる幽恨 禁じ難く
悲火 常に心曲を燒く 愁雲 頻りに眉尖を壓す
書外論文(しよぐわいろんぶん) 睡(すゐ) 最も賢し
虚窓(きよそう) 夜(よ) 朗らかにして 明月 故人を減ぜず
藏(かく)し得ざるは 是れ 拙(せつ) 露はし得ざるは これ 醜
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邱氏の現代語訳を参考にしながら、僕なりの訳を試みる。特に邱氏には僕のよく分からなかった最後の六句「書外論文 睡最賢/虚窓夜朗 明月不減故人/藏不得是拙 露不得醜」で啓示を得た。ただ僕は、これを牽強付会と知りつつも、この「故人」を「旧知・旧友」(又は古き詩人の意か?)ではなく、「心焦がれる恋人」(勿論、廣子のこと)と採りたい。そのように訳しておく。
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客があった 遣って来て私を訪ねたその相手は 通称伏羲 何と かの中国の原初の神々の長(おさ)じゃないか 天然自然の山水を愛する隠者だ――
彼と二人 ただ花が咲き そして 散るのを見ている――誰彼の人の善し悪しなんどは口にしない――
君と一晩語らって得たもの それは 十年書物を読み続けたのに勝るものだった――
天という存在にもし情というものがあったなら 天もまた僕の宿命を悲しむ余り一気に老いるに違いない――目が眩むような激しい愁いが僕の胸の中にはあってどうにもならないんだ――
その悲しみは火の如く心中に炎を上げてるんだ――僕の眉はその愁いのために何時だって顰められてるんだ――
書物なんどはうっちゃってしまえ! 人の書いたものを批評するなんぞもやめちまえ! 何より遙かに賢いのは 眠ることさ――
今宵 明月は紗のカーテンの掛かった窓を照らし その光りは焦がれる恋人の窓下にも同じごと射している――
隠し得ぬのは これ如何にもな拙(まず)さであり あなたに見せ得ぬのは これ私の真実の醜さなのだ――
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訳への疑義があれば、是非とも御教授願いたい。特に「明月不減故人
」の部分はあやしい。
さて、李賀である。邱氏の本詩の「評価」の欄の指摘によって、この「天若有情 天亦老」の部分が李賀の「金銅仙人辭漢歌」からの援用であることが分かるのだ(「序」があるが省略した)。
金銅仙人辭漢歌 李賀
茂陵劉郎秋風客
夜聞馬嘶曉無跡
畫欄桂樹懸秋香
三十六宮土花碧
魏官牽車指千里
東關酸風射眸子
空將漢月出宮門
憶君淸涙如鉛水
衰蘭送客咸陽道
天若有情天亦老
攜盤獨出月荒涼
渭城巳遠波聲小
○やぶちゃんの訓読
金銅仙人漢を辭するの歌 李賀
茂陵の劉郎 秋風の客
夜 馬の嘶(いなな)くを聞くも 曉(あかつき)に跡無し
畫欄 桂樹 秋香を懸け
三十六宮 土花碧(みどり)
魏官 車を牽きて千里を指せば
東關の酸風 眸子(ぼうし)を射る
空しく漢月と將(とも)に宮門を出づれば
君を憶ひて 淸涙 鉛水のごとし
衰蘭 客を送る 咸陽の道
天若し情有らば 天も亦老いん
盤を攜(たづさ)へて獨り出づるに 月 荒涼
渭城 巳に遠く 波聲小なり
この詩自体の解釈はそれだけで膨大なスペースが必要なので専門家の諸本に譲るが、要は人が非情無情とするところの対象(仙人の銅像)にも悲痛慷慨の思いがあるとし、李賀はそれに代わってその悲しみを詠んだのである。
龍之介はそうして、この金銅仙人の、その李賀の「思い」を、自身の廣子へのやるせなき「思い」とダブらせたのであったのではなかったか?
ともかくも、この十句目に芥川が用いた、
天若有情天亦老
が現われるのである。我々は遂に芥川龍之介の直筆のラインに李賀を見出したのである。最後に邱雅芬氏に心より謝意を表するものである――
……天若し情有らば 天も亦老いん……龍之介32歳……しかしもう、彼の宿命の時間は余り残されていなかった……
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追伸: 参考までに邱雅芬氏の同書によれば、この芥川の漢詩の「虚窓夜朗 明月不減故人」の部分は、『明代陳継儒(一五五八~一六三九)の詩句「幽堂昼深清風忽来好伴虚窓夜朗明月不減故人」の後半部によっている』と記されている。
三伸:実は当該書籍の正に該当箇所をgoogleブックスの画像で読むことが出来る。こちらをご覧あれ。そうして当該書籍を購入されることをもお薦めする。僕はこれから本書を精読するのであるが。
四伸:邱雅芬氏はこの漢詩全体が、幾多の中国古来の常套句や諺、複数の詩人の詩文からの「集句詩」であるということも指摘しておられる。その中で邱氏が指摘しておられない部分として、僕が新たにネット上から見出した部分があるので追記して参考に供しておきたい。それは冒頭の「有客來相訪 通名是伏羲」の二句で、これは正に上記の通り、邱氏が「虚窓夜朗 明月不減故人」の部分で示された陳継儒の、また別の文「岩幽栖事」にそのままある句であった。例えば中文サイトのここに示されている。その文脈は「問是何往還而破寂寥 曰有客來相訪 通名是伏羲」である。【2011年5月9日 PM8:21】