父さん 今日 俺が「あいつ」に父さんの仇を討つぜ
「新編鎌倉志巻之二」の報国寺まで校訂を完了した。
報国寺で――僕は俄然、思い出し、怒りが沸騰したのだ!――
――報国寺の昔の住職に、「死んでもともと」とか、結構、売れた禅「モドキ」本を書いた男がいる。
菅原義道という。
僕も生前に逢ったことがある。
人当たりのいい、好々爺だった(と父も言ってはいた)。
その時、彼は、あの世も仏もない、とうそぶいたのを忘れない(それも確かに禅の世界では真である)。
しかし、「竹の寺」と称して金儲けに邁進し、その時(確か七十年代末だ)、竹もどきの自動入場整理機械(バーが回転するあれだよ)をいち早く設置していた――愚劣なあの機械、さても今もあるんだろうか――
しかし――僕が言いたいのは、そんなことじゃ、ない――
父は鎌倉学園だった。
戦前、漢文の教師はこの菅原義道だったのだ。
彼は墨染めの衣で教壇に立ち、何と言ったか?
――「死ぬことは生きることと見つけたり」――
「葉隠」を豪語して、いたいけな若者達に天皇の赤子として死ぬことを、確かに! 『教えた』のだ!
彼の授業では、生徒は皆、机の上に正座させられたのだ。
そうして、戦争が終わった……
特攻を志願した少年航空兵として、この男の言う通り、「死ぬことは生きることと見つけたり」を実践し乍ら、辛くも生き残ってしまった父は、まず、復員した鎌倉駅で、ばったり出逢ってしまったのだ――
奴は困った顔をして黙ったままだった。
父は学園に戻った。勤労動員や出兵で、父が受けた僅かな最後の授業――
その国語の授業は――何と、やっぱり菅原義道だった――
教室に来た彼は――
墨染めの衣じゃあない、三つ揃えのスーツを着ていた。そうして――
そうして――奴の第一声は、
「皆さん! 民主主義は――いいもんですよ!」
――これが――「禅者」を気取った、菅原義道なる男の正体である――
――彼は後に防衛大学校か何か、自衛隊の講師になったそうだ。父はそれも許せないという――
当然だ――
国粋主義の「葉隠」の精神からも――民主主義の精神からも――
――禅というものは――
――それを併呑しても――
――かく金の亡者となるような忌わしく汚く衣替えをする奴を――
――決して許しはしないからだ!――
*
僕は事実を述べている。
名誉毀損で訴えるなら、永劫、闘おうじゃないか。
僕はこのちっぽけな愚劣な好々爺然とした(然だ! 禅じゃねえぞ!)菅原義道という男を糾弾したいのでは、毛頭、ない。こんな奴は刺し違える価値もねえんだ! それよか――
――人の人生を――
――教育ならぬ狂育が――
――それは今も生きているゾ!――
――如何に鮮やかに――
――致命的な誤りに――
――死に導くかを――
叫びたいのだ!
*
父さん、やっと僕の仇討ちは――終わったよ――
ほら――これが奴の首、だよ……