母が最後に撮った写真――
母が亡くなる正に丁度、一ヶ月前、
2011年2月19日
に母に妻が携帯電話をプレゼントした。
それを形見として僕は持っている。
持っているが、その実、その携帯電話の番号さえ知らないし、操作方法も殆んど分からない。
ところが、先週、たまたま弄っているうちに、その画像フォルダの中に一枚の写真があることに気づいた。
日時は、
2011年2月25日 20:24
である。
これがその写真である――
妻は母には携帯の説明書を一切渡していない。もう読む気力はないように見受けられたからである。妻との連絡が主で、親族と母との通話にも用いたが、それも概ね見舞いに僕らが行った時に限られていた。
だから、まさか――写真を撮っているとは思わなかった。――
しかし、この写真は正真正銘、確かに母が撮ったものなのだ――
この遅い時刻では妻や僕は見舞いに行っていない。そもそも面会時間を過ぎているから誰か見舞った人間が操作して撮ったものではあり得ない。また、「あの」病院の、まさかとんでもなく奇特な看護師が、この時刻に、母に携帯のカメラの使用法をおめでたくもレッスンしたとは、逆立ちしても思われないのだ――
その露出過多になった、クロッキーのような画像は――
母が入院していた、例のALSの診断と告知を下した病院――最後を看取ってくれた聖テレジア病院ではない。テレジアへは、この一週間後の3月2日の転院であった――
その病室のベッドの上から仰ぎ見た(大部屋であった)遮蔽用のカーテンの角の部分と天井――なのである――
母は――どんな思いで、この写真を撮ったのだろう――
いや 更に驚くべきことがある――
母は、何とこれを妻の携帯に写メールとして送ろうとした痕跡――携帯では妻のメール・アドレスらしきものを途中まで打ち込んであり、未送信のままになっていた――さえあったのである。
――母はこれらのことを――何の説明書もなしに――何と筋萎縮性側索硬化症の急激に進行する中で――たった一人でやろうとしたのである……
母さん――母さんは、やっぱり最後まで――僕の、そしてみんなの尊敬する――元気な元気な「頑張らなくっちゃ」が口癖の――母さんだったんだね――母さん――