龍之介よ、スマトラのわすれな草の花、見つけたよ
異花開絶域
滋蔓接淸池
漢使徒空到
神農竟不知
これは芥川龍之介が残した現在知られる生涯に最後の漢詩である。彼の手製の手帳に書かれたもので、「ひとまところ」という例の「芥川龍之介と李賀の第三種接近遭遇を遂に発見した」李賀の詩句を含む集句詩の漢詩を記した詩歌群の掉尾に置かれているものである。その冒頭には『大正十三年九月十八日如例胃を病んで臥床す「ひとまところ」は病中の閑吟を録するもの也 澄江子』のクレジットがある。
○やぶちゃんの書き下し
異花 絶域に開く
滋れる蔓 淸池に接す
漢使 徒らに空しく到る
神農 竟に知らず
○やぶちゃん勝手自在現代語訳
不可思議な一つの花が 遙か遠い絶海の孤島に咲いている
するすると茂ったその蔓は あくまで透き通った清らかな池に浸っている――
漢からやって来た勅使は ただ徒らに空しくそこに辿り着くだけ その花を見ることは出来ない……
いや かの本草の神である神農でさえ ついにその花を名指すことは出来ないのだ……
*
本詩をまともに読み、考えることが出来たのは李賀の時と同じく、2010年5月花書院刊の中国中山大学教授邱雅芬氏の「芥川龍之介の中国―神話と現実」の「第二章 芥川と漢詩」のお蔭である。彼女は別の章で、本詩を同年に発表した「第四の夫から」と関連させて解読されており、それによれば「絶域」は同作の舞台チベットであり、花はやはり同作に描写される仙境のシンボル桃花とされる。至当な解釈であると思うのだが、僕は本漢詩を一読、「これこそ、あのスマトラのわすれな草の花だ!」と思わず独りごちたのであった。
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沼にはおれの丈よりも高い蘆が、ひつそりと水面をとざしてゐる。おれは遠い昔から、その蘆の茂つた向ふに、不思議な世界のある事を知つてゐた。いや、今でもおれの耳には、 Invitation au voyage の曲が、絶え絶えに其處から漂って來る。さう云へば水の匀や蘆の匀と一しよに、あの「スマトラの忘れな草の花」も、蜜のやうな甘い匀を送って來はしないであらうか。
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そうなのだ! あの「沼」のスマトラのわすれな草の花なのだ!――これもかつて書いたのだが、小沢章友の小説「龍之介地獄変」(2001年新潮社刊)のあの印象的なシークエンスで、
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龍之介は多加志を連れて、二階の書斎に行く。そこでかねての多加志の所望であった絵を描くのであるが、楕円形の島を描き、花を描き、そして
『その花に、愛らしい蝶の羽を生やさせた』。
訝る多加志に龍之介はこう言う。
『これはね、スマトラの忘れな草の花さ』
『いいかい、多加志。この日本のずうっとずうっと南に、ふしぎな島があるんだ。スマトラの忘れな草の島さ。その島にはとても匂いのいい、白いきれいな花が咲いている。その花はなんだと思う?』
『その花はね、魂なんだよ』
『そうさ、ひとは死ぬと、スマトラの忘れな草の島へ、蝶々のかたちをした魂になって飛んでいく。島にたどりつくと、蝶々は白い香り高い花に変わる。それから、時が来て、また花は蝶になって飛びたつのさ。こうやって』
と、もう一枚、その花が持っている蝶の羽を羽ばたかせて飛翔するさまを描いてやる。その二枚の絵をもらって、多加志はにこにこしながら階段を駆け下ってゆくのである――
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と描かれた、あの花ではないか?!――いや、間違いない! この漢詩の「異花」こそ、あの、スマトラのわすれな草の花なのだ!――と僕は思わず叫ばずにはにいられなかったのである――
*
【2011年6月21日PM8:26追記】
異花開絶域
滋蔓接淸池
漢使徒空到
神農竟不知
因みに、本詩の平仄を調べておいた。以下の通りである。
●○○●●
○●●○◎
●●○○●
○○●●◎
これは平起式の五言絶句の平韻平仄式
◐○○●●
◑●●○◎
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◐○◑●◎
に則っており、韻字である「域」「知」は共に詩韻百六種の平声上平の第四韻「支」である。