暫く
旅に出ます 随分 御機嫌よう――
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旅に出ます 随分 御機嫌よう――
「鎌倉攬勝考卷之九」を先に示した方途で更新。但し、僕が難読と感じたり、注が必要と思われるものには最低限の「語注」を附した。向後は特に面白いと感じた箇所以外は、ここでの更新報知を省略する。
すべての人の願いは求めることを如何に実現出来るかにあった。
神話や宗教や芸術文学は、すべてその実現のためにあった。
自然科学は、そうしたおめでたい仮想を一つ一つ確かに実証し、そうでないものとそうであるものに分類する歴史であった。
それは間違っていない。
ところが、科学「技術」はそれを「見た目」に於いて超えてしまった。
中性子によるウランのプルトニウム変換やクローン人間がそれだ。
ところが、それが僕ら人類を今、破滅に導こうとしている。
僕らは僕らの原初に立ち戻らなければならない。
そうしなければ僕らは僕らを破滅させる。
これは確かなことだ。
僕は僕が愛したい人を愛したい。
そのために僕らは生きている。
原発も核兵器もいらない。
僕はそのためにテロも辞さないであろう。
出来ることなら、MOX燃料の傍らで、プルトニウムの臨界量半々を左右の手に持って(プルトニウム239で臨界量は10kg。球形にして周囲を天然ウランやベリリウムなどの中性子反射材で覆えば臨界質量はもっと減じる。体にプラスチック爆弾を装着して爆縮効果を期待することも出来るか)、僕はこれを宣言したいのだ――
「鎌倉攬勝考卷之九」に「伊具四郎入道某舊跡」を追加した。「吾妻鏡」版「刑事コロンボ」だ! コロンボ役は北条時頼! 役者に不足はないぜ!
*
但し、僕の「鎌倉攬勝考」の詳細な注作業は、取り敢えず今回の「伊具四郎入道某舊跡」迄で原則、中止としたい。
これは注作業が面倒だからではない。今回のように逆に楽しいのであるが、本ページの場合、御家人らの邸宅跡がこの後も延々と続き、登場人物が半端でなく多く、一項目の注作業に二日も三日もかかってしまうからである。これでは本巻は一年かかっても終わりそうもない。「鎌倉攬勝考」のテクスト化という目標が、重量級の注釈作業で意想外に頓挫してしまう惧れを感じたからである。
注を楽しみにされている方もあろうとは存ずるが、悪しからず。将来、必ずや満足出来る注は完成させる所存である(生きていればの話だが)。
また実は別な意味で、僕はこの巻の後半を早く完成させたいという別な理由もある。――それは? ふふふ♪それは♪その時のお楽しみ♪
「鎌倉攬勝考卷之九」に「上杉中務少輔朝宗舊跡」「山内首藤瀧口三郎經俊舊跡」を追加した。
儂は毎朝……とっくに誰もおらんようになった牧場で独り毎朝リャマに餌をやって……コルジセーヴァ伯爵夫人一人しかおらんようになった淋しいコルフォーズの水遣り・除草・虫取りの世話も欠かさぬのじゃが……誰にも迷惑かけんと暮らして来たにの……だのに、今度はやっと復権致いたと思うたニフ帝立ハピアーナ・アクアリウムも……突如、閉鎖するちゅうこっちゃ……王も民もおらん……アナキズムとかいうことか……世も末じゃの、「この国」は……儂は……疲れましたじゃ、フィヨドール様……水槽の残る2ヵ月の最期を看取っての……儂はベージン草原に隠居致しまして、そこで、あの古きよき少年たちと語り暮らすことに……致しましたじゃ……永々の御愛顧有難く……ご主人様、随分と……御機嫌よう……
煤けむり田畑にひらふ螢かな
足袋白く埃をさけつ大暑かな 犀星
*
遅れた河童忌に――
「新編鎌倉志巻之三」を円覚寺の「萬年山正續院佛牙舍利記」の編者注から開山無学祖元書状まで公開した。実朝の一般に知られる渡宋計画が示されるが、そこでも最後に「神明鏡」のトンデモ記載が現れる。おかしな点を注で指摘してある。しかし、これもまた、面白い。寧一山のお洒落な花押も必見である。円覚寺はこれで記載の凡そ半分まで来た。
燒砂に細るゝ秋の螢かな
山螢よべのあらしに消えにけり
*
蛇笏の句を知っていれば、これも芥川龍之介への追悼である。
「新編鎌倉志巻之三」を円覚寺の「萬年山正續院佛牙舍利記」の本文と僕の注釈まで終えた。この実朝渡宋のエピソード、捏造ながらも頗る附きで面白い。その面白味が楽しめるような注も附けたつもりである。騙されたと思って、御笑覧あれかし。浮腫んだ右掌で行った仕儀である。
屋根瓦こけにうもれつ日の盛り 犀星
追分
*
この句は龍之介と廣子との恋への確信犯の秘やかなオードにして追悼である。
かたかげやとくさつらなるせみのから 犀星
螢くさきひとの手をかぐ夕明り 犀星
「やぶちゃん版編年体芥川龍之介歌集 附やぶちゃん注」 《縦書版》を「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に完全版として公開した。合わせて横書版も改訂した。今日、丸一日かかった。しかし、先日来、気になっていた。母の死の直前の3月11日の仕儀であったが、ただ縦書にしたというだけで、どうにもむずむずしていたのだ。これで、確かに――ソロモン龍之介とシバ廣子の形見となったのだ。二人の――幸せに、乾杯!
「鎌倉攬勝考卷之九」を「周防前司親實舊跡 和泉前司行方舊跡」まで更新した。
*
何年か前、かつて僕の教え子の中に、僕のHPを見に来て、「先生、ウィキからの引用は大学じゃ通用しませんよ。」と如何にも見当違いの忠告をして呉れた者がいる。僕は僕のHPの仕事を、有象無象の知的衰弱をきたした大学なんぞで通用させて、クソ・アカデミズムに認めてもらおうなんどとは、毫毛も感じたことは、ない。それが分からなかったこの教え子――しかし、それは高校時代に彼を教えた僕、彼を盲目的アカデミズム志向に導くことを防げなかった僕自身の不徳と致すところである。
ネット上でもウィキを学術研究の旧来のルールから批判・無効とする記事は多い(誠意ある正鵠を射た建設的批評も勿論、ないことはない)。僕はそういうのを見るにつけ、やっぱり真のジャーナリズムは日本では育たぬのだなと嘆息する。そういう狭量性が真の学究の面白さや意欲を徹底的にそぎ落とし、無味乾燥な官憲追従型の垂直思考ばかりの「学徒」を増殖させてしまっている。不審を抱くなら、複数の叙述と「権威ある」大学教授の重々しい書物で確認をとればよい。そうして不審がそこで払拭されたなら、その目から鱗の事実(僕は時にウィキの何気ないエピソード記載によって今まで曇っていた視界が豁然開けたことが何度もある)を堂々と使い、いや、寧ろ、その汎用的価値を顕彰すべきである。
ウィキペディアの誤りは、だいたいに於いて複数の誠意ある記者によって日々更新され、より正確で最新のものにメタモルフォーゼする期待を孕んでいる(そうでない思い込みでパラノイア的に手がつけられなくなっているものもないではないが、それはウィキのセイフティに頼らずとも、個人の晴眼で見れば一目瞭然であるし、逆に反面教師の記載として、かえって面白く批判的に読める。そうしてそれは、発行されている新聞や雑誌の属性と何ら変わらない)。
対して、アカデミズムの古糞は手にこびりつくと、何年たってもそのいやな臭いがする、そうしてその糞の臭いに慣れてしまい、それが自分本来の体臭だと思い込んでしまうものなのである。
危険なネット・テロリズムやネット・アナキズムに洗脳されるのは要注意だが、最早、ネット・ジャーナリズムを軽蔑する連中は、時代遅れの反動と言わざるを得ないと僕は思うのである。
「新編鎌倉志巻之三」を東慶寺まで完了した。
昔の教え子が僕のもう一つの僕の誕生日である7月21日に一抱えもある向日葵を贈ってくれた。もう一つの僕の誕生日――それを僕は忘れていた。その後遺症に苦しんでいるのに――6年前の7月21日、僕は真鶴の海岸で総合学習の海岸動物観察の最後に転倒し、右腕首を粉砕したのだった――母の祭壇に飾った――彼女のメールに向日葵の花言葉は「いつも見ています」「いつも傍にいます」だとあった――彼女も息子を持つ母である――母は――母だけがいつも子の傍にいて見守っている――愛さん、ありがとう――
BNP(脳性ナトリウム利尿ペプチド)値は心室から分泌される心臓機能亢進ホルモンの血中値で、比較的新しい唯一の血液検査による心不全検査である。この値が高まると心不全の危険度が高まる。
名古屋のアルツハイマーの義母は心臓も悪い。今、現在の義母のBNP値は――5000pg/dl――である。
pg/dlは1デシリットル中に含まれるBNPのピコグラム(1兆分の1グラム)で示したものである。
正常域は18.4pg/dl以下である。こちらのページを見られよ。500pg/dl以上は重症心不全であり、入院も含めて厳重な治療が必要、とあるではないか。
これは僕の桁の間違いではないのだ。
にも拘らず、義母は在宅で毒にも薬にもならぬリンゲル点滴を慰みに受けているだけだ。それも一ヶ月の在宅点滴は3回までという取り決めで昨日で終わりだ。
これはどういうことだ?
神は僕の残されたもう一人の母さんまで、理不尽に奪おうというのか――
*
今日は僕の健康診断だが、何が「健康」を「診断」だ。いい加減、アホくさいわ――わざわざ「診断」なんぞしなくたって分かり切っているんだ、右腕も糖尿も肝臓も――僕の心身五臓六腑、これ既に十二分に「不健康」なことは。
*
【夜追記】今夕、義母は妻の医師へのゴリ押しで(アルツハイマーの患者はどこも嫌がる)入院することが出来た。
「新編鎌倉志巻之三」を浄智寺まで、「鎌倉攬勝考卷之九」を「毛利藏人大夫季光第跡」まで更新した。
僕は僕の19インチ・ディスプレイで自分のHPの縦書版の表示を勝手に納得していたのだが、実は通常のノート・パソコンのディスプレイで見ると、確実に下が切れてしまうことに今日、気がついた。そこで、現在の僕のHP内の縦書ページの全ての行の高さ(横書きで言うブラウザ上の表示行の幅)を「HEIGHT: 700px」に統一した。これで、通常サイズのパソコンならば、文字サイズ「中」の全画面表示で、上下のスクロールなしに僕に縦書ページをスムースに読むことが出来るはずである。私のパソコンではこれで全画面表示にすると下約8cmが空白になり、短歌や長い見出し等、一部の一行で表記したいものがずれたり、二行に亙ったりして、実は見た目がお洒落でなくなるのが玉に瑕なのではあるが、ここは多くの方が面倒なく読めることを優先しようと思う。新たなテクスト開拓のパワーが今の僕にない以上、せめて既製テクストの縦書化をもっと図ろうと思っている。僕の縦書ページ、どうか今後とも御用達の程――
昨日をもって本トップ・ページから「縄文の母子像 280000アクセス記念――母の形見に――」の記事が消えた。もう99日のマキシマムを表示しておく必然性はなくなった。――が、僕はこの99という数字が妙に好きだ。――僕は僕の惨めな今日までの日々の迷走の99日をここに、これからも維持しよう(かつてこのニフティのブログはブログ開始からの全表示が可能であったが、あの頃が懐かしいな)。今日から99日後は――10月26日――さてもその頃、僕はどうなっていよう――その変容を一覧出来るのだ――
「鎌倉攬勝考卷之九」を「陸奧掃部助平實時舊跡」までアップ。このパート、第
(館)の主人の事蹟を注するのが、やや面倒。しかし、やり始めた以上は、これで行こう。
「鎌倉攬勝考卷之九」のテクスト化に着手、取り敢えず冒頭「三浦駿河前司義村第跡」を公開した。最後の豪族三浦一族が滅ぼされるさまを、「吾妻鏡」から引用して、実にコンパクトにまとめている。邸宅の影も形も礎石もない、ただただ田野の地を、冒頭に配して、ここまで語り切る植田氏のこだわりは立派である。
「新編鎌倉志巻之三」に「福源山禪興仰聖禪寺鐘銘」をアップした。この鐘銘、面白い。是非、御覧あれ。この血槍九郎所縁の鐘――どんな音がしたんだろう……
ヘイフリック限界叫ばんや蜩のあり
*
昨夕、遅まき乍ら、ヒグラシの声を聞く。
「鎌倉攬勝考卷之十附録」のテクスト化を完遂した。
「鎌倉攬勝考卷之十附録」は腰越状で知られる万福寺まで終了した。源義経のそれ、ほやほやの書き下し文と現代語訳を附した。
――僕が何故、このテクストの順に拘ったかは、もうお分かりであろう。江ノ島、腰越――そこは――父と母の思い出の場所であり、母が召された場所でもあるからさ――
「鎌倉攬勝考卷之十附録」のテクスト化に着手、取り敢えず「七里が濱」まで公開した。
*
キーボードはかろうじて問題なく打てるが――右腕は、最早、戻らない気がする――飯を食うのに箸を使うのが億劫になってきた――ペンや鉛筆がうまく使えない――何より今日、硬くしまってしまった掃除用具入れを開くのに、悪戦苦闘すること3分――指先に力が入らない――後はもう、どこまでで取り敢えず一時食い止めるか――それだけだ――暇を見てはウェイトを握り、孤独に上下させ、グリップをブルーに握る――はっきり言って、僕はもう――「沢山ダ!!!」――
「新編鎌倉志巻之三」は第三巻第五冊(「新編鎌倉志」は全八巻を十二分冊とし、第三巻は二分冊)を終了した。
6月23日に亡くなったのを知ってから、ずっと一言言いたかったんだ、ピーター。
僕は小学校3年生の時に「グレート・レース」の大ボケの小悪党マックス役のあなたに逢って、すっかり気に入っちゃったんだ。あの映画、史上最強のパイ投げ合戦が一番の目玉だったと思うんだけど、あのシーンよりジャック・レモン演じる爆笑のマッド・サイエンティストとの潜水艦の中の潜望鏡ギャク! もう46年も前なのに、映画館の中で大笑いする僕自身を、鮮やかに思い出せるんだよ。
その後は刑事コロンボ、きりっとスーツを着こなした、らしくない「殺人処方箋」から欠かさず見てた。
「二枚のドガの絵」の毛糸の如何にもな手袋はヤラれたね。
大好きなリチャード“キ印”ベースハート“提督”との競演の「ロンドンの傘」も同じく最後の摑みが最高だったね。
「魔術師の幻想」の火のコロンボ・マジックは溜飲。
映画ファンならその総て(展開も、ジャネット・リーの若き日の映像も、アリバイ崩しも)が垂涎の「忘れられたスター」――あれは、いいね、シリーズ中驚天動地の、コロンボが真犯人はグレースだと知っていながら、でも唯一、それをきっと最後まで黙っているんだろうなぁと感じさせる台詞――彼女を庇う大年のダンス・スターに答える『それが……いいかも知れませんね』――コロンボの情に涙した一本(ネタバレしないように最小限に発言は留めよう)。
でも、やっぱり一本だけ挙げろと言われれば――
ストーリー・配役ともに、僕は迷うことなく「別れのワイン」だね。
「ミクロの決死圏」「恐怖の植物人間」とマッド・サイエンティストを演じさせたら天下の権化、僕の熱狂的アイドル、ドナルド・プレーザンスが主演、
それに絡むのが、なんと僕の永遠の憧れジュリー“アブラ”ハリス!
彼女は、確か作中で映画好きという設定で、コロンボの尋問を、今夜はアラン・ラッドの映画を見るんだからと切り上げさせようとするシーンが如何にもシネマ・ファンを喜ばす。僕はちょい役の能面のような彼女の演技でも十分、「エデンの東」の面影にキスをした。
最後のドナルドとの車中の乾杯――あのワイン、僕もいつか飲みたいな。
――最後にあなたに逢ったのは「ベルリン・天使の詩」だったね。
そうか、天使に戻ったんだね、また――一足先に向こうに行った僕の母に、ピーター、また君の名演技を見せてやってね!
Peter“Columbo”Falk ! お勤め、ご苦労様!
「新編鎌倉志巻之三」は長寿寺の開山「勅諡正宗廣智禪師古先元和尚行状」を書き下し・注釈附でアップし、長寿寺の項を終了した。
*
一週間で右手の拘縮が進行した。箸やペンを持つのがだんだん不都合になってきた。電話をした義父はアルツハイマーの義母の介護にそろそろ限界が来ている感じだ。
アリスは少し元気なった。風呂に入れた。
七夕や短冊白く笹蕭々
「新編鎌倉志巻之三」、建長寺の項を総て終了した。
「新編鎌倉志巻之三」、建長寺塔頭に入った。
今日の午前中の分は、慌しい早朝の中で、愚かにもアップロードを忘れていた。
これでOK! 御笑覧あれ!
*
実は今日は本ブログ「鬼火~日々の迷走」開設6周年であった。
例によって、何時ものような記念テクストのもてなしは、残念ながら出来ない。
密やかに祝福して下されよ。
そうして――あなたにも神の御加護を――
「新編鎌倉志巻之三」に、建長寺二十八世肯山聞悟覚海禅師の「建長興國禪寺の碑の文」原文・書き下し・注釈を附して公開した。一つの難峰(しかし、景色は悪い)を踏破し得た感、なきにしもあらず。注釈の最後に、以下の感懐を附した。
*
最後に。編者の『文體絶作にあらず。録するに不足といへども』という謂いが、テクスト化の中で何となく分かってきた。勿論、浅学の私には何箇所かの不明箇所があるのであるが、それでも妙に、全体を通じて何か馴染めない違和感を感じるのである。まず、この文章、建長寺を顕彰するに便所の百ワットで、無駄に長い。且つ同一熟語の使用と相同類似表現がやたらに多い。開祖蘭渓道隆の幾つもの逸話も、言わずもがなの「サザエさん」「ドラえもん」最終回の都市伝説クラス、また、その霊験譚なるものも、まるで映像が浮かんで来ない如何にも凡庸な描写に終始している。さらに言えば、その教化の謂いでは、どこぞの政治家のように自律的な禅機や機根より寺を支える権力への阿りが見え見えで、派閥を維持管理する規律規範を何より重んじており、どこぞの教育者のように矯正主義に基づく俗臭芬々たる如何にもな底の浅い思想を、禅語を駆使してごてごてに塗り固めているところなど、禅者・宗教家はもとより、心ある凡俗ならば、どこか退屈不快な感を抱くのではあるまいか。少なくとも私はそう感じたのである。この建長寺二十八世肯山聞悟覚海禅師なる人物、後掲されるように建長寺塔頭妙高院の開山であり、この塔頭は蘭渓道隆の法を嗣いだ大覚派の拠点として知られた。さもありなんという気がする。既に先の「圓鑑」の注で示したように、後の建長寺大覚派と円覚寺仏光派のキナ臭い抗争と義堂周信の苦悩を知った私には、編者とは或は違った意味で、この寺伝の有難い銘文を素直に読むことが出来ないと言えるのである。
――この坊主、小利口な、後のこの寺出身の、現代の禅僧の誰彼と――よく似ているな――誰とは言わない、がね――
母の乳は枇杷(びは)より温(ぬ)るく、
柚子(ゆず)より甘し
唇(くち)つけて我が吸えば
擽(こそば)ゆし、痒(か)ゆし、味よし
片手もて乳房壓(お)し、
もてあそび、頰(ほ)を寄すれ。
肌さはりやはらかに
抱(いだ)かれて日も足らず
いとほしと、これをこそ
いふものか、ただ戀し。
母の乳を吸ふごとに
わがこころすずろぎぬ。
母はわが凡(すべ)て。
*
「思ひ出」より。底本は昭和42(1967)年新潮社刊「日本詩人全集7 北原白秋」を用いたが、漢字は僕のポリシーから恣意的に正字に直した。
国会図書館の画像ライブラリーで確認したが、本詩は初版には所収しない。そのため驚くべきことに、母を詠った絶唱として近代詩史上稀に見る優れた作品でありながら、ネット上では全詩にめったにお眼にかかれないのである。
――僕の、母へのレクイエムとして、ここに記す――
「新編鎌倉志巻之三」を、建長頑室玄廉が、作者水戸光圀へ宛てた、開山蘭渓道隆関連の品々を寄贈してくれたことへの感謝状「水戸相公に復する書」までテクスト化した。流石は黄門の爺さま、自分の印籠を鎌倉地誌に入れ込むお決まりのちゃっかりポーズを忘れずにしているのだ。でも、何だか微笑ましい感じでもある。許すと致そう。
――実は――次が――如何にも重いのだ。
「建長興國禪寺碑文 壹卷」
これ、総字数28000字を超える大蛇のうねるが如き漢文なのである。おまけに、この最後に――その長文を評して編者は何と添えてあるか――
――文體絶作にあらず。録するに不足といへども久く當山に傳るものなれば、姑く載之。――
あちゃ~~~! 右手の痛みも忘れられそうな――地獄の訓読だぁ!
「鎌倉攬勝考卷之十一附録」のテクスト化を完遂した。
*
右手の指の拘縮が始まった――
夏バテでカイカイ病のアリスをまず病院へ連れてゆき――その後、整形外科へ赴いた――かあさん、かあさんのことを知ってる療法士だったよ――
「もう少し動くようになるような気もしますが……まあ、気長にリハビリしましょう……」
成程、ね――
かあさん、そんな塩梅だ――