如月や嶺々を靑しと見る夕べ 山本幡男
[やぶちゃん注:昭和28(1953)年2月、収容所内で病床にあった同志野本貞夫への、幡男の見舞いの缶詰を包んでいたノートのザラ紙に書かれていた一句。辺見氏によれば、二月のシベリアは厳寒の中にも山々がほんのりと青みを帯びて春の到来を告げる頃で、本句は自分たちの抑留の冬もそう長くない、帰国の日も近いという励ましの思いを込めたものと解釈されている。至当と言うべき解釈である。]
如月や嶺々を靑しと見る夕べ 北溟子
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