山本幡男忌 / 海鳴り 山本幡男
山本幡男忌
昭和29(1954)年8月25日午後1時30分
咽頭悪性肉腫と化膿性癌細胞転移によりハバロフスク収容所第二十一分所内病室にて誰にも看取られずに逝去。
享年四十五歳。
遺体は解剖後、収容所から一キロ余り離れたロシア人墓地の隅に埋葬された。
そこには墓標番号「45」と書かれた白樺の墓標が立てられただけであった。
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[やぶちゃん注:昭和29(1954)年2月下旬、ソ連当局への収容所仲間の請願が認められて山本幡男はハバロフスク中央病院への入院が許可されたが、収容所を出た翌日には再び戻って来た。咽喉癌性肉腫の末期で既に手遅れと匙を投げられたのであった。見舞いに訪れた野本貞夫に、幡男は書いた口語自由詩「海鳴り」を見せた。「小島大乘」は山本幡男のペン・ネームの一つ。故郷隠岐の島嶼と彼の惹かれていた哲学としての大乗仏教に因んだものでと思われる。私はこの詩が好きだ。「ろんろん」というオノマトペイアも、そのシベリアで見る隠岐の映像も、そして「母の乳房を思ふ存分吸つて見度い 海鳴りの音」という一行も、何もかも好きだ。]
海鳴り 小島大乘
耳を澄まして聽くと海鳴りの音がする
ろんろんと高鳴る風の響き
亦(また)波の音
赤ん坊のときからその聲で目を覺まし
物心ついてからもその音に脅えた
海鳴りの響きだ!
闇を叫ぶ聲だ!
日本海から千粁(キロ)も離れた
シベリアの曠野の眞只中で
深夜――
私は遠い遠い海鳴りの音を聽く
窓打つ木枯(こがらし)よりも淋しく
亦懷かしいその響き!
海鳴りの夜の圍爐裏(ゐろり)は樂しい
自在鍵(じざいかぎ)の鍋には
烏賊(いか)と大根がふつふつと煮え
硝子瓶(ガラスびん)の二合の酒は火を透いて赤く
一家眷族(けんぞく)より集まつては啜(すす)り泣きまた笑ひ
幼い子供達には燒餠を配り
大人達はゆる/\と酒を飮み煙草を喫ひ
ふと話の途切れたときの淋しさを海鳴りはろんろんと障子(しやうじ)に響いて來る
母の乳房を思ふ存分吸つて見度い 海鳴りの音
友の手を力一ぱい握つて見度い 海鳴りの音
戀人の胸をかつしりと抱いて見度い 海鳴りの音
胸に溢れる慷慨(かうがい)をありつたけ吐いて見度い 海鳴りの音
鳴呼(ああ) 寒夜の病床に獨り目を覺まして
私は ろんろんたる海鳴りの聲を聽いてゐる
遠く追憶を嚙みしめてゐる……
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遠きシベリアの地へ向けて――幡男氏の御冥福をお祈りします――