山本幡男の語った九條武子及び夏目漱石への共感
[やぶちゃん注:昭和29(1954)年か。竹田軍四郎に山本幡男が手渡したノートの切れ端に書かれていた一文。もうこの頃から幡男は徐々に会話が困難になってゆく。]
四十過ぎまで青年の氣持でゐた私も死といふ問題にぶつかつて無性に悲觀的になつた。
多いなるものにひかれゆくわが足どりのたどくしさよ
と此歌をかかれた當時の九條武子の心境をおもんばかると共に、漱石の如きは四十二歳の時、
『小生はこれまで神佛など信じた事は無き之候。唯自分といふのだけを信じて暮して居り候。所が近頃その自分といふものがつくづく當にならぬことに氣がつき申候。この上は何を信ずべく候』
と述べた。後になつて學者の間では『之こそ東洋哲學の道の自覺者だ』と云々した。
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