山本幡男 遺書「お母さま!」
[やぶちゃん注:山本幡男遺書のその二。母親宛。]
お母さま!
何といふ私は親不孝だったでせう。あれだけ小さい時からお母さんに(やはりお母さんと呼びませう)御苦勞をかけながら、お母さんの期待には何一つ副ふことなく、一家の生活がかつかつやっとといふ所で何時もお母さんに心配をかけ、親不孝を重ねて來たこの私は何といふ罰當りでせう。お母さんどうぞ存分この私を怒って叱り飛ばして下さい。
この度の私の重病も、私はむしろ親不孝の罰だ、業の報いだとさへ思ってゐる位です。誰も恨むべきすべもありません。皆自分の罪を自分で償ふだけなんです。だから、お母さん、私はここで死ぬることをさほど悲しくは思ひませぬ。唯一つ、晩年のお母さんにせめてわづかでも本當に親孝行したいと思ひ、樂しんでゐた私の希望が空しくなったことを殘念、無念に思ってゐるだけです。
お母さんがどれだけこの私を待って、待ってゐなさることか。來る手紙毎にそのやさしいお心もちがひしひしと胸に沁みこんで、居ても立ってもをれないほどの悲しみを胸に覺えたものです。唯の一目でもいいから、お母さんに會って死にたかった。お母さんと一言、二言交すだけで、どれだけ私は滿足したことでせう。十年の永い月日を私と會ふ日を唯一の樂しみに生きてこられたお母さんに、先立って逝く私の不孝を、どうかお母さん許して下さい。
お父さんと弟の勉と、妹のキサ子と四人で、あの世に會ふ日が來れば、お母さんの事を話し合ひ、お母さんが安らかな成佛を遂げられる日を共に待つことに致しませう。あの世では、お母さんにきっと樂に生きていただかうと思ってゐます。
しかし、お母さん、私が亡くなっても決して悲觀せず、決して涙に溺れることなく、雄々しく生きて下さい。だって貴女は別れて以來十年間あらゆる辛苦と鬪って來たのです。その勇氣を以て、どうか孫たちの成長のためにもう十年間鬪っていただきたいのです。その後は少し樂にもなりませう。私がこの幡男が本當に可愛いと思はれるなら、どうか私の子供等の、即ちお母さんの孫たちの成人のために倍舊の努力を以て生きて戴きたいのです。
やさしい、不運な、かあいさうなお母さん、さやうなら。どれだけお母さんに逢ひたかったことか! しかし、感傷はもう禁物。強く強く、あくまでも強く、モジミに協力して子供等を(貴女の孫たちを)成長させて下さい。お願いします。
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――僕は、これを読む都度、今年3月19日に天に召された母が、宣告された自身の筋萎縮性側索硬化症を「私の業」と呼んだことを思い出す――