ひとりだけの水族館 第5水槽 死なない蛸
ひとりだけの水族館 第5水槽 死なない蛸
この水槽には二匹のカニ以外に何にもいないって?
いや、いるんだな、シナナイダコというんだ。岩の上のヤツかい? いや、あれは岩の上の作り物だ。
学名はない。未だ誰も発見していないからさ。
完全に透明で、如何なる光線を以ってしても、人間には可視化出来ないんだよ――
あの沢山沈んでる瓶は何かって?
あれはね、このシナナイダコを幻の中で直感した詩人が、この水槽には確かに蛸がいる! と言って投げ込んだ漂流瓶なんだ。
僕はその詩人に敬意を表して、この水槽を残しているのさ――
その詩はこうだ――
*
死なない蛸
或る水族館の水槽で、ひさしい間、飢ゑた蛸が飼はれてゐた。地下の薄暗い岩の影で、青ざめた玻璃天井の光線が、いつも悲しげに漂つてゐた。
だれも人人は、その薄暗い水槽を忘れてゐた。もう久しい以前に、蛸は死んだと思はれてゐた。そして腐つた海水だけが、埃つぽい日ざしの中で、いつも硝子窓の槽にたまつてゐた。
けれども動物は死ななかつた。蛸は岩影にかくれて居たのだ。そして彼が目を覺した時、不幸な、忘れられた槽の中で、幾日も幾日も、おそろしい飢饑を忍ばねばならなかつた。どこにも餌食がなく、食物が全く盡きてしまつた時、彼は自分の足をもいで食つた。まづその一本を。それから次の一本を。それから、最後に、それがすつかりおしまひになつた時、今度は胴を裏がへして、内臟の一部を食ひはじめた。少しづつ他の一部から一部へと。順順に。
かくして蛸は、彼の身體全體を食ひつくしてしまつた。外皮から、腦髓から、胃袋から。どこもかしこも、すべて殘る隈なく。完全に。
或る朝、ふと番人がそこに來た時、水槽の中は空つぽになつてゐた。曇つた埃つぽい硝子の中で、藍色の透き通つた潮水と、なよなよした海草とが動いてゐた。そしてどこの岩の隅隅にも、もはや生物の姿は見えなかつた。蛸は實際に、すつかり消滅してしまつたのである。
けれども蛸は死ななかつた。彼が消えてしまつた後ですらも、尚ほ且つ永遠にそこに生きてゐた。古ぼけた、空つぽの、忘れられた水族館の槽の中で。永遠に――おそらくは幾世紀の間を通じて――或る物すごい缺乏と不滿をもつた、人の目に見えない動物が生きて居た。
*
萩原朔太郎という詩人の詩さ……うん? ほう?! 朔太郎を知ってる! これはますます僕と似てるねえ!――
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