裸木 山本幡男
[やぶちゃん注:昭和29(1954)年冬。病床にあった山本幡男は、それでも収容所内に「日本文化研究会」というサークルを組織していた。以下、底本では会に参加していた野本貞夫の視点から、幡男がその会のある日の終わりに、話し疲れ、荒い息をしながらも、幡男が微笑を浮かべながら、
「ぼくの病室の窓から一本の裸木が見えましてね、その大木を見ていたら、こんな詩ができたんですよ」
と言って、次の「裸木」(はだかぎ)という詩を朗読した、とある。なお、連内での文字配りを整序するために、僕の判断で一部の平仮名表記を漢字に変え、ルビを排除してある。これが口誦されたものである以上、僕の仕儀は不当とは言われないと思う。「朱く」は「あかく」、「黄昏」は「たそがれ」、「沈默」は「しじま」と読んでいる。これはまるで漢詩を訓読したような重厚にして孤高な詩である。]
裸木
アムール遠く濁るところ
黑雲 空をとざして險惡
朔風は枯野をかけめぐり
萬鳥 巣にかへつて肅然
雄々しくも孤獨なるかな 裸木
堅忍の大志 瘦軀にあふれ
梢は勇ましくも 千手を伸ばし
いと遙かなる虚空を撫する
夕映 雲を破つて朱く
黄昏 將に曠野を覆はんとする
風も 寂寥に脅えて 吠ゆるを
雄々しきかな 裸木 沈默に聳え立つ
極まるところ 空の茜 緑と化し
日輪はいま連脈の頂きに沒したり
萬象すべて 闇に沈む韃靼の野に
あゝ 裸木ひとり 大空を撫する
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明日で僕の夏休みは終わる。明日、山本幡男氏の全遺書・辞世等を公開する予定である。