1952年10月10日筆 妻山本モジミ宛葉書 第五来信 山本幡男
[やぶちゃん注:山本モジミ宛五通目。ウラジオストク発俘虜郵便往復はがき。ハバロフスクソ連邦矯正労働収容所第二十一分所から。モジミからの返信が幡男の手元に配達されたのは昭和28(1953)年正月も過ぎてからであった。第一通目の発信から半年後のことであった。本文中の「勉」は養子に行った弟、「新津」は妹ユキノの夫と底本に注されている。これによって底本には総ての幡男来信が所収されているわけではないことが分かる。]
一九五二年十月十日。コレデ第五回目ノ通信デアル。マダ一回モ返事ヲ貰ヘナイノデ、ソチラノ樣子ガ少シモ判ラナイガ、オ母サンヲハジメ、皆元氣ニ暮シテヰルモノ想像スル。僕ハ相變ラズ壯健ニ暮シテヰルカラ先ヅ安心ナサイ。一番氣ニカカルノハ子供タチノ安否、ソノ教育ノコトダ。身體ニ氣ヲツケテ怪我ヤ病氣ヲサセナイヤウニ、才能ニ應ジテ良教育ヲシテヤツテクレ。生活ハ樂デナカラウガ。勉(ツトム)ヤ新津ヤ、別府ノ叔父ノ援助デヨク一人前ノ立派ナ人間ニナルヤウニ教育シテヤツテクレ。僕モ色々ナコトヲ體驗シ、學ビ、人道トイフモノニ目覺メテヰル。再會ノ日モ遠クアルマイ。皆サンニ山々、ヨロシク傳ヘテ呉レ。