消印昭和27(1952)年7月29日妻山本モジミ宛葉書 ウラジオストク発俘虜郵便 第一来信 山本幡男
[やぶちゃん注:妻山本モジミ宛。消印昭和27(1952)年7月29日。ウラジオストク発俘虜郵便往復はがき。差出人住所ソ同盟ハバロフスク市6125-1(ハバロフスクソ連邦矯正労働収容所第二十一分所の住所である)。配達されたのは11月末。本文中の「顯一」は山本幡男氏の長男。ちなみに現在も76歳で御健在、仏文学が御専門で立教大学名誉教授であられる。山本顕一氏のtwitterによれば、実に昨日、2011年8月22日に、山本幡男氏の死から57年目、初めて父親の墓参にシベリアに向かわれることがツィートされてある。祥月命日8月25日に合わせてのことと拝察する。戦後は顕一氏の中でも決して終わってはいない。]
先ヅ私ガ元氣ニ暮シテ居ルコトヲオ知ラセシマス。御安心下サイ。唯心配デナラナイノハ留守ノ家族ヤ親類ノ人々ノ安否、殊(コト)ニ顯一(ケンイチ)ハジメ子供達ガドウシテ暮ラシテヰルカ、一人前ノ教育ヲ受ケテヰルカ氣ニカカツテナリマセン。母上ヤ貴女ノ御苦勞ハ重々察シマス。明ルイ希望ト確信ヲ以テ生キ拔イテ下サイ。皆樣ニヨロシク。
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奇しくも、ソ連首相ヨシフ・スターリンは、66年前の昭和20(1945)年の今日、8月23日、日本軍捕虜50万人のソ連移送と強制労働利用の命令を下したのであった。
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