山本幡男、自著「平民の書」を語る
[やぶちゃん注:昭和29(1954)年冬。病床を見舞った野本貞夫に「ぼくの遺書なんですよ」と言って示したノート表紙には「平民の書」と記されていた。その直後に熱を込めて語ったとする幡男の言葉であり、彼の記した「平民の書」の思想的屹立点を髣髴とさせるものである。貞夫が暗誦し、後に記憶から復元して家族へと送った遺書を含む手紙の中に書かれていたものか。直接話法であり、底本の作者辺見氏の手も加わっているものとは思われるが、僕は飽くまで山本幡男の肉声としてこだわって引用、旧字で示した]。
「ぼくはね、人間が生きるということはどういうことなのか、シベリアにきてようやく分かってきた氣がするんだ。ぼくは、共産主義者でも、もとより右翼主義者でもない。野本さん、時代はね、ぼくたちがこうしているあいだにも、日々、確實に移っているんだよ。いまのぼくの考えを強いて命名すると、第三の思想と呼ぶのがふさわしかもしれない。右でも左でもない第三の思想、全體主義にあらず、個人主義にあらず、東洋でも西洋でもないんだ。おそらくそれは、いずれきたるべきものであり、創造されるべきものなのだと思う。僕はね、これを第三の思想と呼ぶ以外にいまは名付ようがないのですよ」
« 「終局に於いて必ず正しきものが勝つといふ信念だけはあへて人にゆづるものではない」 山本幡男 | トップページ | 裸木 山本幡男 »