ひとりだけの水族館 最終水槽 ひとりだけの部屋
ひとりだけの水族館 最終水槽 ひとりだけの部屋
ここはね――ヤン・シュヴァンクマイエルの後裔にしてエリック・サティの画師――野山映氏のアニメーション「ひとりだけの部屋」の題名を冠した最後の水槽だ。ひとりぼっちのヤドカリの――「僕」の水槽なんだ――ここはね、「僕」ひとりだけの部屋だ――ヒトデたちはそれぞれに李徴や李賀や槐多や龜之助といった有名な詩人だったり画家だったりするんだけど、みんな偏屈で「僕」の話し相手になんかなってくれやしないんだ。ほら、「ひとりだけの部屋」にもブンブン飛ぶ虫はいたじゃないか。あれみたようなもんさ――だから「ひとりだけの部屋」でも、まんざらおかしくはないんだな――
……どう? 君? 実は「僕」のこの水族館はここで行き止まりなんだよ……入り口はもうパートのおばさんがとっくに閉めてる頃なんだ……閉めていいって、僕は僕の鍵で出るからねと伝えたからね……さあ、君……「僕」のこの「僕」だけの水槽に……僕と一緒に……入らないかい?…………
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少年、突然、無言のまま、両手でステンレスの水筒を振り上げると、水槽に思い切り叩きつける。
水筒は空しく跳ね返って、床に転がる。そのステンレスの表面に映る「ひとりだけの部屋」の明かり。(F・O)
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翌朝、パートのおばさんがやってきて、いつもの通り、最後の水槽の部屋まで見回りをしてみた。
特に変わった様子はなかった。
最後の部屋も、いつもと変わらずヤドカリが一匹だけ蠢いているばかりだった。
ただ、見かけないステンレスの水筒が床に転がっていた。
おばさんは大きな欠伸をすると、忘れものらしいその水筒を取り上げると切符売り場に戻って腰をかけた。
水筒は切符売り場の窓の口の内側の脇に、客から見えるように置かれた。おばさんの手書きのおかしな日本語を書いた紙が貼り付けられて――
――『忘れられたもの』――
そうしておばさんはその日の午後、館長の男が行方知れずになったことを知った。
ひとりだけの水族館 完
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追記:本作は、2011年9月末日で終了する「ハッピー・アクアリウム」への僕なりの個人的なオマージュであって、誰かに読んでもらいたい訳ではない。この3月の母の死以降、ある不思議な逃避的意識がこの他愛もないアプリに向かって異様な空間形成願望を働かせたことは事実である。もっと下らないアプリはゴマンと生き残っているのに、これが消えるのは少しばかり、淋しい気もする。一応、上にリンクは張っておくが、この僕の水槽を直に覗くにはミクシイのマイミクであり、なおかつ、アプリに参加する必要がある。今更始めても二月足らずで終了するのだから馬鹿馬鹿しいことは請け合いである。