山本幡男 遺書本文
[やぶちゃん注:山本幡男遺書のその一。遺書の総体は、先に示した冒頭に続く、「本文」と書かれた一通、「お母さま!」「妻よ!」「子供等へ」への三通から成る。]
本文
山本幡男の遺家族のもの達よ!
到頭ハバロフスクの病院の一隅で遺書を書かねばならなくなった。鉛筆をとるのも涙。どうしてまともにこの書が綴れよう!
病床生活永くして一年三ヵ月にわたり、衰弱甚だしきを以て、意の如く筆も運ばず、思ったことの何分の一も書き表せないのが何よりも殘念。
皆さんに對する私のこの限り無い、無量の愛情とあはれみのこころを一體どうして筆で現すことができようか。唯、無言の涙、抱擁、握手によって辛うじてその一部を表し得るに過ぎないであらうが、ここは日本を去る數千粁、どうしてそれが出來ようぞ。
唯一つ、何よりもあなた方にお願ひしたいのは、私の死によって決して悲觀することなく、落膽することなく意氣ますます旺盛に振起して、
病氣せざるやう
怪我をしないやう
細心の注意を健康に拂って、丈夫に生き永らへて貰ひたい、といふことである。
健康第一。私は身を以てしみじみとこの事を感じました。決して無理をしてはいけない。少しでもおかしいと思ったら、身體の具合を豫め病氣を防止すること。
歸國して皆さんを幾分でも幸福にさせたいと、そればかりを念願に十年の歳月を辛抱して來たが、それが實現できないのは殘念、無念。この上は唯皆さんの健康と幸福とをお祈りしながら寂光淨土へ行くより他に仕方が無い。私の希みは唯一つ、子供たちが立派に成長して、社會のためにもなり、文化の進展にも役立ち、そして一家の生活を少しつつでも幸福にしてゆくといふこと。どうか皆さん幸福に暮して下さい。これこそが、私の最大の重要な遺言です。