山本幡男 遺書「妻よ!」
[やぶちゃん注:山本幡男遺書のその三。妻モジミ宛。]
妻よ! よくやった。實によくやった。夢にだに思はなかったくらゐ、君はこの十年間よく辛抱して鬪ひつづけて來た。これはもう決して過言ではなく、殊勳甲だ。超人的な仕事だ。失禮だが、とてもこんなにまではできまいと思ってゐた私が恥しくなって來た。四人の子供と母とを養って來ただけでなく、大學、高等學校、中學校、小學校とそれぞれ教育していったその辛苦。郷里から松江、松江から大宮へと、孟母の三遷の如く、お前はよくまあ轉々と生活再建のために、子供の教育のために運命を切り拓いてきたものだ!
その君を幸福にしてやるために生れ代ったやうな立派な夫になるために、歸國の日をどれだけ私は待ち焦れてきたことか! 一目でいい、君に會って胸一ぱいの感謝の言葉をかけたかった! 萬葉の烈女にもまさる君の奮鬪を讚へたかった! ああ、しかし到頭君と死に別れてゆくべき日が來た。
私は、だが、君の意志と力とに信賴して、死後の家庭のことは、さほどまでに心配してはゐない。今まで通り子供等をよく育てて呉れといふ一語に盡きる。子供等は私の身代りだ。子供等は親よりもどん/\偉くなってゆくだらう。
君は不幸つづきだったが、之からは幸福な日も來るだらう。子供等を樂しみに、辛抱してはたらいて呉れ。知人、友人等は決して一家のことを見捨てないであらう。君と子供等の將來の幸福を思へば、私は滿足して死ねる。雄々しく生きて、生き拔いて、私の素志を生かしてくれ。
二十二ヵ年にわたる夫婦生活ではあったが、私は君の愛情と刻苦奮鬪と意志のたくましさ、旺盛なる生活力に感激し、感謝し、信賴し、實によき妻をもったといふ喜びに溢れてゐる。さよなら。