山本幡男 遺書「子供等へ」
[やぶちゃん注:山本幡男遺書のその四。子供宛。]
子供等へ。山本顯一 厚生 誠之 はるか 君たちに會へずに死ぬることが一番悲しい。成長した姿が、寫眞ではなく、實際に一目見たかった。お母さんよりも、モジミよりも、私の夢には君たちの姿が多く現れた。それも幼かった日の姿で……あゝ何といふ可愛い子供の時代!
君たちを幸福にするために、一日も早く歸國したいと思ってゐたが、倒頭永久に別れねばならなくなったことは、何といっても殘念だ。第一、君たちに對してまことに濟まないと思ふ。
さて、君たちは、これから人生の荒波と戰って生きてゆくのだが、君たちはどんな辛い日があらうとも光輝ある日本民族の一人として生まれたことを感謝することを忘れてはならぬ。日本民族こそは將來、東洋、西洋の文化を融合する唯一の媒介者、東洋のすぐれたる道義の文化――人道主義を以て世界文化再建に寄與し得る唯一の民族である。この歴史的使命を片時も忘れてはならぬ。
また君達はどんなに辛い日があらうとも、人類の文化創造に參加し、人類の幸福を増進するといふ進歩的な思想を忘れてはならぬ。偏頗で矯激な思想に迷ってはならぬ。どこまでも眞面目な、人道に基く自由、博愛、幸福、正義の道を進んで呉れ。
最後に勝つものは道義であり、誠であり、まごころである。友達と交際する場合にも、社會的に活動する場合にも、生活のあらゆる部面において、この言葉を忘れてはならぬぞ。
人の世話にはつとめてならず、人に對する世話は進んでせよ。但し、無意味な虚榮はよせ。人間は結局自分ひとりの他に賴るべきものが無い――という覺悟で、強い能力のある人間になれ。自分を鍛えて行け! 精神も肉體も鍛へて、健康にすることだ。強くなれ。自覺ある立派な人間になれ。
四人の子供達よ。
お互いに團結し、協力せよ!
特に顯一は、一番才能に惠まれているから、長男ではあるし、三人の弟妹をよく指導してくれよ。
自分の才能にうぬぼれてはいけない。學と眞理の道においては、徹頭徹尾敬虔でなくてはならぬ。立身出世など、どうでもいい。自分で自分を偉くすれば、君らが博士や大臣を求めなくても、博士や大臣の方が君等の方へやってくることは必定だ。要は自己完成! しかし浮世の生活のためには、致方なしで或る程度打算や功利もやむを得ない。度を越してはいかぬぞ。最後に勝つものは道義だぞ。
君らが立派に成長してゆくであらうことを思ひつつ、私は滿足して死んでゆく。どうか健康に幸福に生きてくれ。長生きしておくれ。
最後の自作の戒名
久遠院智光日慈信士
一九五四年七月二日 山本幡男
[やぶちゃん補注:これらの遺書を受け取った佐藤健雄は翌日も幡男の病床を見舞ったが、そこで幡男は、
「私ノ戒名ヲ久遠院法光日眼信士ト訂正シテクダサイ」
と書いた紙を彼に渡している。
久遠院法光日眼信士
戒名としては「法」(カルマ)は最上級の文字で、「日慈」より「日眼」の方が強靭に引きしまったいい戒名であると私は思う。]