隠岐日記2 西ノ島 中ノ島
二日目の宿は中ノ島にとってあったが、4島制覇を掲げる妻の鼻息に負けて、西ノ島を訪れる。国賀(くにが)海岸はカルデラ形成から沈降したこの島前(どうぜん)三島の特徴を最も美事に発揮している奇岩奇石のオン・パレードの地である。水木しげるの妖怪霊力は隠岐にも侵攻していて、北端の島星神島(ほしのかみじま)には美事なヌリカベとネズミ男が断崖に姿を現す。僕は序でに子泣キ爺イのミミクリーも発見した。今度、行かれる方は、船がネズミ男の正面から少し動いた時に沖から陸に向かって右側をみておられるがよい。きっと口をあけて笑っている子泣キ爺イが空を見上げている――
鬼の金棒岩は、船長が意味深に沖側に回ってから、「何やらん立派なモノに見えます」と意味深に言ったが、そう言われてものの十数秒立ってから見て御覧なさい! 驚天動地! 1954「ゴジラ」のラストシーン、オキシジェン・デストロイヤーにやられて、東京湾上に浮かび出たゴジラの断末魔の映像に、確かに見える! これはもう、お見逃しなく!
僕は奇岩趣味で仏ヶ浦も羅臼も見てきたが、落葉樹林帯と多様な色彩と摂理を持つ地層が複雑異様に絡まっている、この国賀海岸をこそ、最高の奇岩奇石スポットとして自信を持って第一に推奨するものである。
そして――明暗(あけくれ)の岩屋である。
まずはそう物事に動じない僕が「こんな大きな船が、本当に、こんな狭いところに入るの? 真っ暗だぜ?」とナマで叫んでしまったほどに、あり得ないアクロバティック洞窟クルーズである。船体がぶつかって擦れた場所が見える。入り口から入りきってライトが消されると、ゆらるゆらゆら揺れたまま、完全な暗黒となって、こりゃ、女子供でなくても慄っとする(これが岩屋の名の「暗」である)。そうしてまたゴリゴリとぶつかりつつ、奥へ行くと、突然右手から光が差してくる(これが「明」で、今回はそうならなかったが、時間と日差しによっては海水面下がエメラルドグリーンに輝いて、カプリ島の「青の洞窟」と同じ体験が出来る)。そうして船はその洞窟をゆるゆると今度はバックで出るのである。僕はここでも、ハーンが鎌倉の長谷観音の顔を、上って行くランプで眺めたときの驚きのように、明暗の岩屋を後にした。
因みに、「青の洞窟」と同じで、この岩屋、気象条件によって、なかなか入れない(確かに入った経験から少しでも荒れたら絶対無理! 三度か四度に一度入れるとのことだ)。僕らは強運だったのだ。あなたが行かれた時には、僕らの強運をお授けしよう。
島の資料館で、戦後、ソビエトのラーゲリで亡くなった本島出身の山本幡男という人物に衝撃を受けた。ロシア語が堪能で、収容所仲間と社会主義の学習会を自立的に開き、万葉集の和歌を語り、俳句や詩をものした彼は、スパイとみなされ、ついにシベリアの地に果てた。1954年8月29日、享年45歳であった。多くの仲間が彼の遺言を暗記して(文字を記したもの持っているだけでスパイとみなされ、帰国(ダモイ)は不可能となる)故国へ帰り、それを妻や子に伝えた。僕はいつか、彼の記録やテクストをHP内に設けたいと考えている。それにしても――古来日本の配流の島出身の一人の類稀な一人の知識人が、シベリアの流刑地で生涯を閉じる――何と皮肉な事実ではないか――。
(*追加補足:山本幡男氏についての詳しいネット上の記載は、管見したところ、「クタビレ爺イの廿世紀裏話」というブログ記事の「シベリアの奇跡・届けられた遺書」がしっかりしている。是非、お読み頂きたい。)
島内渡船で中ノ島海士(あま)町へ戻る。
今日の宿は「マリンポートホテル海士」である。特に飯がうまいわけでも、部屋がいいわけでもない(ただ、隠岐の数少ない温泉であるのは嬉しい)。しかしここには決して見逃してはならない素晴らしいイベントがあるのである! ずばり! 水中展望船「あまんぼう」ナイト・クルーズである! 水中展望船はそれほど珍しくもない(但し、幾多の水中展望船に乗ってきた僕の経験から言うと、この船、その中でも海底の見易さや空調システム等を比較してかなりグレードが高い)。しかし、夜の8:50スタートの、ヤコウチュウを見るクルーズは、見なくては人生最大の後悔となると断言しよう。僕の今回の隠岐の旅のクライマックスはこれに尽きた。流れ踊る(スクリューの前進後進・左右ホバリング用補助スクリューを用いて多様な水流を発生させ、刺激を加えることで、めくるめく――マジホンで「めくるめく」なのだ!!!――ファンタジックな世界が現前するのだ!!! ハーンがこよなく愛し、その穏やかな浦見に「鏡が浦」と名づけたその海底で、僕はハーンが見なかった夜光虫の幻想的な乱舞の中――夜光虫となったのだ――