慧可断臂 土岐仲男
慧可断臂
達磨は天竺から渡って来て
中国の嵩山で面壁の坐禅をはじめた
坐禅は何年も何年も続いた
中国人は最初この乞食坊主を相手にしなかったが
やがて彼の名は漸く人びとの尊敬を集めるようになった
丁度その頃のことである
慧可はだまって面壁する達磨の背後に立った
達磨は依然として坐禅を続けた
達磨は慧可に気がついているのであろうか
雪がひひとして降りはじめた
慧可の足は冷えて来た
達磨は依然として坐禅を続けていた
雪は脛まで積もった
やがて雪は膝を越した
達磨は坐禅を続け慧可は立ちつくした
雪は腰を埋め腹を埋めはじめた その時
「お前はそこで何をしているのだ」
はじめて達磨が慧可に声をかけた
「あなたは何を考えていらっしゃるのですか」
慧可は突差に叫んだ
達磨は何も答えずにふり向いて又座禅を続けた
雪はなお降り続いて慧可の首にまで達した
やがて雪は溶けはじめたが
慧可の身体は瘦せ細って腐って行った
然し達磨は坐禅を続け慧可は立ちつくした
そして又幾月かが過ぎた
「お前はそこで何をしているのだ」
達磨は振り向いて再び問うた
慧可は答える前に劔を抜いて左腕を切り落とし
それを達磨に献じて叫んだ
「どうすれば悟れるのですか」
達磨は答えた
「悟ればよいのだ」
達磨ははじめてしみじみと慧可を見た
「どうやらお前は俺の弟子になれそうだ」
慧可ははじめてこうして達磨の弟子になった
達磨の面する岩に清水が迸走り
新芽をつけた小枝には色鳥が飛び交わしていた
見上げる空には断雲がころび
達磨と慧可の胸の間にはじめて同じ温かい血が流れた
中国禅の初祖達磨と
中国禅の二祖慧可は
こうして師弟の交を結んだ
[やぶちゃん注:「嵩山」は「すうざん」と読む。現在の河南省鄭州市登封にある。この山群の少室山北麓に嵩山少林寺があり、ここがインドから中国に渡来した達磨による禅の発祥の地とされ、中国禅の名刹として知られる。私は雪舟の有名な絵で知られる「慧可断臂」の逸話が事の外、大好きなのだが、それを語る話柄の中でも、酒詰先生のこの詩は、他の追従を許さない、非常に優れたものである。三段階のパートの字下げはママである。]