蓮の華 土岐仲男
蓮の華
蓮の華は咲いている
一つ一つ花弁はくねり
一つ一つの色の濃淡
どこかに䕃をつくり
どこかで光をはじく
一ひらではなく
二ひらではなく
まこと万朶のはなびらが
立つもあり
坐するもあり
跳るもなりわだかまるもあり
おのがじし思い思いに
左し右しおどけつつ考えつつ
しかも相集って何かを抱く
汚れた水の上
澄んだ水の上
流れ流れる水の上
何か尊いものが真中にあって
また尊いものが普ねく亘っていて
それが美しい香と棚引き
何の微粒子かわからぬものもあって
それでいて全部が整然と乱れ
開き揃っていると言えば揃い
たしかに咲いている
昨日までは無かった事
明日はまた内であろう事
それ故に愉しく
それ故に悲しく
それ故に憂いなく
しかも億万劫の生命を伝え
億万劫の悩みと解決を伝え
今の刹那は
それを確かに明らかに咲いている事
力一杯に咲いている事
その華は私であり
私は又その華でもある
その華は私の恋人のヨニーであり
その華は又赤ん坊の乳房である
釈迦自らが見
釈迦自らが成就した華
その華を私も見る
釈迦の華は釈迦の華であり
私の華は私の華である
宇宙全体が一華であり
事々無碍がそこにある
誰もその華を見ようとは言わない
その華は誰にも見えないところの咲いている
然しその華は誰にも見えている
眼を閉じても
眼を開いても
華は無く
華は有り
華は
華は
釈迦の愛した蓮華である
[やぶちゃん注:「ヨニー」は梵語の<yoni>で、女陰または子宮、女性生殖器。一般には外生殖器を指すことがことが多い。ヨニ。男根を意味する対語は<linga>。
「事々無碍」は「じじむげ」と読む。「事事無碍法界」のこと。「華厳経」に基づく華厳思想では四法界(事法界・理法界・理事無碍法界・事事無碍法界)という考え方がある。「法界」とは、我々の感知可能な現実と、その裏面にある実相を含めた世界全体を言う。無常の現象としての現実世界を「事」の世界として捉えて「事法界」、その「事法界」を働かせている原理の世界が「理法界」、その「事」と「理」が妨げ(「碍」)が全くなく、複雑に絡み合って渾然一体となり、共鳴し合っている状態が「理事無碍法界」、そこから「理」を取っ払って「事」だけとなっても、「理事無碍」と変ることなく渾然一体共鳴共振状態にある完全調和した世界を「事事無碍法界」と言う。
ここで仲男の言う「蓮華の華」は、また「古事記」や「日本書紀」に載せる、「ときじくの花」(垂仁天皇が常世国に使者を遣わして持ち帰らせた不老不死の霊薬「非時香菓」(ときじくのかぐのこのみ)「非時香木実」(時じくの香の木の実)」であり、芥川龍之介の「スマトラの勿忘草」でもあったに違いない。]