S―― 土岐仲男
S――
またあるときはさみどりの
賀茂の山べの草を藉き
君と語らうたのしさよ
燃ゆる思はうたとなり
いく山脉(やまなみ)を打ち越えて
はるばる空へながるれば
わがこえいつかそを追いて
ふるえももつつまろぶなる
この日この君いと若く
この日この時われ若く
過ぎし月日は夢と消え
君人妻の絆(きづな)なく
われに衣食の憂なし
血しほのたぎる胸二つ
つらぬく情念(おもひ)一つなり
君かろやかに脚を投げ
風に吹かるるおくれげを
われかきあげてしのびかに
くちずけすればあかあかと
夕空遠くカラス飛ぶ
球打ちいそぐゴルファーの
色とりどりのセーターも
浮世の夢の影と消え
楽しき園の絵の如し
ああかかる日のかかる時
夜のとばりのはや落ちて
われらの彫像つつめかし――
[やぶちゃん注:言わずもがなであるが、「S」とは先生の奥様である静枝さんである。本詩は珍しく一部に歴史的仮名遣が用いられている。表立っては技巧を感じさせないが、その定型がお洒落に成功しており、その歌垣としての詩想も透明で美しい。なお底本では目次が「S――」、本文が「S―」であるが、目次の標題を採用した。]