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2011/09/10

ゾウ(象) 土岐仲男

ゾウ(象)

やさしい眼をした
どこまでも続く肉の塊
鼻もゾウで
耳もゾウで
しっぽもゾウだ
ゾウでないゾウだけが
いと静かに宇宙に漂う
どれがゾウで
どれがゾウでないのか
全きゾウ
一部のゾウ
ふくれるゾウ
しぼむゾウ
硬いゾウ
やわらかいゾウ
ゾウでないものがなければ
ゾウであるものがない
ゾウは鼻を振って
尻尾を振って
木の幹の如き
四つ脚をふんまえて
歩いて行く
歩いて行く
ゾウでないゾウと
永遠の虚無へ――

[やぶちゃん注:この詩が村上昭夫の「動物詩集」に紛れ込んでたら、誰もが村上昭夫の詩だと思うのではあるまいか? 村上昭夫の「象」をここに掲げておく。

    象

 象が落日のようにたおれたという
 その便りをくれた人もいなくなった
 落日とありふれた陽が沈むことの
 天と地ほどのへだたりのような
 深い思いをのこして

 それから私は何処でもひとり
 ひとりのうすれ日の森林をのぼり
 ひとりのひもじい荒野をさまよい
 ひとりの夕闇の砂浜を歩き
 ひとりの血の汗の夜をねむり
 ひとりで恐ろしい死の世界へ入ってゆくよりほかはない

 前足から永遠に向うようにたおれたという
 巨大な落日の象をもとめて

酒詰先生は恐らく法(カルマ)を象徴する普賢菩薩の乗る象から、禪の空(くう)のシンボルとして象を形象として選んだように私には思われるが、村上氏の「前足から永遠に向うようにたおれたという/巨大な落日の象をもとめて」という最終行は、先生の「ゾウでないゾウと/永遠の虚無へ――」と恐ろしいまでに響き合っている。では――酒詰先生が村上昭夫の「動物哀歌」を読んでいた可能性は?――これは、あり得ないのだ。「動物哀歌」の出版は先生の死から二年後の昭和四十二(一九六七)年だからである。――でも、もし酒詰先生が「動物哀歌」を読んだら、きっと誰よりも感動されたに違いない。――いや、村上昭夫が先生のこの死を読んでいたら(それはあり得ない)、きっと彼の「象」も少し変わっていたかも知れないな……]

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