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2011/09/08

カテゴリ 土岐仲男 花月風流の道(序にかえて)/みどりの祭典

カテゴリ「土岐仲男」を創始する。

土岐仲男

(明治35(1902)年~昭和40(1965)年)
本名、酒詰仲男。日本考古学協会員・日本人類学会評議員・文化史学会理事・日本博物館協会評議員・日本貝類学会評議員・奈良県橿原考古学研究所所員・大阪府文化財専門委員・京都外国語大学講師・詩誌「世界詩人」極東詩委員(1925年8月刊行の創刊号による)。
明治35(1902)年5月29日
東京雑司ヶ谷生。
昭和 2(1927)年
同志社大学文学部英文科卒。東京開成中学校英語教諭となる。
昭和 9(1934)年
大山史前学研究所研究員。大山史前学研究所は陸軍少佐で文学博士であった大山柏(かしわ)が渋谷の自邸内に置いた、私設の考古学研究施設。遺跡調査研究・雑誌刊行・出土品展示を目的とし、考古学関連蔵書1万冊を公開するなど、戦後日本考古学の基礎となった機関である。
昭和14(1939)年
東京帝国大学理学部人類学教室嘱託。
昭和22(1947)年
東京帝国大学理学部助手。
昭和28(1955)年
同志社大学文学部専任講師。
昭和29(1956)年
同志社大学文学部教授。
昭和35(1960)年
論文「日本縄文石器時代食料総説」(画期的な手書きの労作である「日本貝塚地名表」附す)により文学博士。
昭和39(1964)年11月
同志社大学北ボルネオ学術調査隊隊長に就任(調査は翌年7月に行われた)。
昭和40(1965)年5月31日
ボルネオ学術調査のための準備研究を行っていた京都市紫野大徳寺高桐院の書斎にて喘息性心臓麻痺のために逝去。六十三歳。

私の父のたっての願いで、酒詰仲男遺稿として一周忌記念として七百部限定で出版され、酒詰静枝未亡人から父に謹呈された「土岐仲男詩集 人」を本ブログでの全テクスト化を行う。父には著作権に抵触することを何度も述べたが、鼻でせせら笑って大丈夫の一言、是非に及ばずである。父と酒詰仲男先生の関係については、僕のHPトップの「父のアトリエ」にある『落葉籠――昭和22(1947)年群馬県多野郡神流川流域縄文遺跡調査行ドキュメント――日本考古学の「種蒔く人」酒詰仲男先生の思い出に 藪野豊昭』(PDFファイル)を是非、参照されたい。父の話で印象的なのは、日本で初めて縄文時代の犬の埋葬墓を発見、狩猟用に縄文人が犬を飼育し、それを丁重に埋葬した事実を発表されたこと、戦争中、左翼思想を疑われ、特別高等警察から尋問を受け、先生の毅然とした態度が気に入らなかったからであろうか、殴られて歯が折れたというエピソードである。

ただ、同詩集の「序」の最後で、若き日に藤村や晩翠の詩を愛好した元同志社大学総長住谷悦治氏は、酒詰先生が密かに詩を創作していたことを知って正直、驚き、その「無題」とか「S――」といった詩を読んで、『ひとり涙しました。あなたとひそかに相通う心の時代があったのですね。この詩集はきっと多くの親しい人びとが胸に抱いて大切にするに違いありません。いつまでも、いつまでも。』と記されている。ネット検索で「土岐仲男」で検索をかけても、5件しかヒットせず、その内、意味あるページは4件、内1件は上記の父のファイルである。限定版詩集さえ、市場に出回っていない。土岐仲男の詩はもっと多くの人に読まれるべきである。何より、まさにこの詩集の巻頭詩「花月風流(ふりゅう)の道(序にかえて)」が、如何にもこういう僕を励ましてくれる。結果、僕自身、そうした確信犯でもって自律的にテクスト化に入ることとした。但し、著作権侵害を酒詰氏のみにするため、住谷悦治氏の「序」と堀田由之助氏の「あとがき」及び要樹平氏の秀抜な装丁画などは一切省略した。以下の目次はページを省略した。一部に僕の注を附した。

詩集 人 土岐仲男

花月風流(ふりゅう)の道(序にかえて)
みどりの祭典
老子
雑草(あらくさ)
平常着
蓮の華
秋草

スキャンベンジャーズの群
達磨
無題
銚子屏風ヶ浦
ゾウ(象)
S――
慧可断臂
伝説
無花果(いちじく)のジャム
天理教
×
君ほほえまば
「寺」
ホトトギス
孤影
五条坂
キリスト

 序  文   住谷 悦治
 あとがき   堀田由之助
 装  画   要  樹平

   序に代えて
花月風流(ふりゅう)の道

キリストは大工の子で
ヒューマニティーで人類を救った
釈迦は王子であり
王にもなり
哲学することで人類に教えた
ところで花月風流の道に従えば
人はキリストにも釈迦にもなり
花と月とを友にして
道楽三昧に耽けることができる
花月風流の道は庶民のものだ
だがそれが庶民の間に絶えてから
既に久しい
真実の詩(うた)は
いつの世にもあると言うわけのものではない
真実の詩(うた)を作る人も
いつの世にもいると言うわけのものでもない
私の詩がそれだとも
私こそが真実の詩人だとも言わない
それは歴史が裁いて呉れるだろう
私は
私の生命の焰(ひ)が消えるまで
鉛筆をなめては
襲い来る激情の浪を
紙面にぶっつけるだけで
それでよいのだ

[やぶちゃん注:「風流」は古くは「ふりゅう」と読んでいた。「花月風流」の「花月」自体、風流な対象としての花と月以外に、「風流な遊び」という意を持つから、「花月風流」で「風流」ととってよい。これが総ての始まりである。]

みどりの祭典

ワッショイ ワッショイ
ワッサイ ワッサイ ワッサイ
みどりだ みどりだ
左も右も 上も下も
ワッショイ ワッショイ
ワッサイ ワッサイ ワッサイ
昔のみどり 今のみどり
去年のみどり 今年のみどり
ワッショイ
大きなみどり こまかいみどり
つらなるみどり
ぶらさがるみどり
ワッショイ
ひれふすみどり ひろがるみどり
明るいみどり 暗いみどり
みどり みどり みどり
ワッサイ ワッサイ ワッサイ
動くみどり 佇むみどり
のびるみどり ちじむみどり
高い高いみどり
高くて 暗くて こまかいみどり
低くて 明るく 大きいみどり
ワッショイ ワッショイ
こぼれるみどり ただようみどり
ワッサイ ワッサイ ワッサイ
笑うみどり 怒るみどり
酔っぱらうみどり
吸われるみどり
みどりの本尊
みどりの脇立
ワッショイ ワッショイ
ワッサイ ワッサイ ワッサイ
みどりをあげろ みどりをおろせ
みどりをまわせ みどりをゆすれ
みどりをおがめ みどりになあれ
ワッショイ ワッショイ
ワッサイ ワッサイ ワッサイ
そこのけ そこのけ
みどりのお通り
ワッショイ ワッショイ
ワッサイ ワッサイ ワッサイ

[やぶちゃん注:「脇立」は「わきだて」と読み、兜の立物(たてもの:威風を与える飾り。)の一つで、兜の鉢の左右に立てて装飾とするものを言うのだが、ここは前行の「本尊」に対するものと考え、本尊の左右に控える脇侍仏のことを指している。このリフレイン、不思議に心地よいではないか!]

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