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2011/09/10

銚子屏風ヶ浦 土岐仲男



銚子屏風ヶ浦

 

作為者は天地の焰

観客は太陽(ひ)一人

日本の陸島の東極

太平洋に直面するところ

千仭の崖屏風の如く

立ち亘るその曲輪(まがわ)いく粁

顧れば犬吠の端(はな)より

海霧に見えつかくれつ

銀色に細く

渚の曲線立てり

風は無きがごとくにして

砂つぶて草に音して流れ

波は動かざるごとくにして

時に岩にあたれば

雪白の飛沫

しばらく中空に漂漾する

この時足下に

白き海鳥の猫声湧き起こる

崖端に沿い

地隙を飛び越え

砂上のわが黒影を踏む時

見出でたり一塊の土器片に混じて

イヌの枯骨白き歯を揃えて笑うを

赤禿遺跡とは

そも誰が名付けし

日本の太古

このイヌを牽き連れ

この丘を彷徨いし人や誰

海坂(うなさか)高く垂雲に接し

この時

太平洋は

一点の帆影を点ずるなし

 

[やぶちゃん注:この詩は全体に漢詩を意識したようなところがあり、多くの漢語が音読みされる。従って「誰」も「たれ」と清音で読みたい。私はこの詩も大好きだ。ここには酒詰先生が明らかにした縄文人の飼育していた父の『落葉籠』(PDFファイル)にも登場する縄文犬を連れた、砂丘を行く縄文時の映像が素晴らしい。ところが「赤禿遺跡」という遺跡は千葉県銚子市内には現在、見当たらない。しかし、この銚子市屏風ヶ浦周辺には複数の貝塚遺跡があり、銚子ロータリクラブ会誌っぱ一八六の銚子市郷土史談会会長大木衛氏の「銚子は古代より生活の適地=市内の遺跡から古代人の生活=」によれば、この一帯は旧石器時代から『近くに湧水地もあり、生活に適した地とされる。この時代は、人々は生活し易い温暖で食料としての木の実やヤマイモやユリなどの球根が食料とされ、若葉や水を求めてくる小動物を捕らえての、自然をうまく利用しての生活とされて』おり、『銚子の屏風ヶ浦に面した地は、海からの魚や磯の貝などが豊かで、年間を通して温暖な地として数年の定着した地とされる。下総地方は旧石器時代の遺跡が少ない地として、古代人の自然物を食料とし、漂泊した時代であるが、生活条件の良い地としてこの地方で唯一の地とされる』とある。その中でも私には、現在の銚子市粟島町・南小川町・西小川町に跨る大きな粟島台遺跡がこの詩の舞台ではないかと感じさせる(現地に行った訳ではないから、とんでもない勘違いかもしれないが)。何故なら、現代の地図では、この遺跡から西南西へ二キロ弱の地点に銚子の「屏風ヶ浦」があり(「浦」であるからこれは実は遺跡の南五百メートル、見下ろす形の入り江を指すと考えてよい)、更に東南東二キロ弱の位置に犬吠埼があるが、そこから南を海岸線に沿って回り込んでこの粟島台遺跡を西側の根とする岬全体を犬吠埼と呼称するのである。そして、決定打は、ここに確かな先生の足跡を確認したからである。以下、銚子ポータルサイト「すきっちょ くるっちょ」の「とっておき、銚子散歩」の「粟島台遺跡」(二〇〇八年一月)より引用する(アラビア数字を漢数字に変換した)。

   《引用開始》

粟島台遺跡は、舌状の台地とそれを取り巻く低湿地によって構成されています。台地上には縄文時代前期の住居跡があり、低湿地には主として縄文時代前期から後期初頭にわたる遺物が層をなして包含されています。特にこの包含層は土器・石器はもとより、動植物などの有機質の遺物が、質・量ともに豊富に出土したことで知られています。

 この遺跡については、一九三三年(昭和八)頃に、吉田文俊という考古学愛好者が、石器や土器を多数発見したのが始まりとされています。その後、一九四〇年(昭和十五)三月に、東京大学人類学教室から酒詰仲男・和島誠一の両考古学者が遺跡を訪れ、初めて学術調査が行われ、後に『下総国小川町貝塚発掘略報』を発表しました。

   《引用終了》

詩の中には波の花に類似した現象を記しているが、波の花は通常、冬場に発生するから、この記載の三月というのは決して不自然ではない。また親潮と黒潮がぶつかり合う犬吠埼ならば、この現象が起きてもおかしくない。それにしてもあの酒詰先生が遺跡名を誤記するとは思えない。「赤禿」という遺跡名、若しくは他に相応しい比定地があれば、是非、御教授を乞うものである。

「太陽」は二字で「ひ」と訓じている。

「漂漾」は「ひょうよう」と読み、漂うこと。

「白き海鳥の猫声」言わずもがなであるが、チドリ目カモメ科カモメ属ウミネコLarus crassirostris。]

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