一枚の絵
昼、妻と買い物に出かけた――
両手に杖を突いて歩く彼女の後ろ姿を見ながら――
何かの絵を思い出そうとしていた……
夕刻、父とアリスの散歩に出かけた――
不自由な足で歩む父の後ろ姿を見ながら――
僕はさっきの妻の後ろ姿と重ね合わせながら……
その「一枚の絵」を確かに思い出したのだ――
北脇昇「クォ・ヴァディス」
“Domine,quo vadis?”
「主よ、何処へ?」
ペテロが十字架に架けられるために行かんとするキリストに問いかけた言葉――
……しかし僕は、その「一枚の絵」を悲愴感を以て思い出したのでは――全く、ない――そもそも僕はずっと以前から――世間で評されるような絶望や立ち竦みとしてこの北脇の「クォ・ヴァディス」を――感じては、全く、いないのだ――
僕は確かな実感としての――
「一枚の絵としての妻と父と僕」を――
北脇昇の「クォ・ヴァディス」の絵の中に――
確かに暖かに、感じたのである……
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